16 気の置けない友人達 後編
パチン
と、いい音がした。頬を叩かれた山本さんがキョトンとした顔をして、私の事を見ている。私は彼の顔を両手で挟んだまま、ムッとした顔で彼のことを見つめた。
彼は私の手に自分の手を添えて頬から離して握ってきた。表情が戸惑ったものになり、不安に瞳が揺れている。
「その、麻美、怒ったの? 嫌だというのに無理やり抱いたから」
その言葉に私はまた彼の手から手を抜くと、彼の頬をパチンと挟んだ。
「私は抱かれるのが嫌だとは言ってません」
私の言葉に彼はもっと困惑したようだ。
「だって、嫌だって・・・」
「それはキス・・・これのことです!」
左手首につけられた赤い痕を指さしながら言った。
先程見た、鏡に映った姿。いたるところに赤い痕をつけられていた。思い出して羞恥に顔が赤く染まったことだろう。涙で目が潤んでいると思う。
「待ってと言ったのに、聞いてくれなくて・・・こんなにいっぱい。・・・他の人に見られるかもしれないところにまで。・・・恥ずかしすぎる」
このあと友人達に会うのに、これを気付かれて指摘でもされたら居たたまれなくて、泣ける気がする。
「その・・・ごめん。麻美の反応がかわいかったのと、白い肌に赤い痕というのが綺麗で・・・もっと見たくなってしまって・・・」
しどろもどろに言う彼。どうしていいか分からないというように手を上げ下げしている。その様子を見ていたら、唐突に分かった気がした。
彼もどうしていいか分かっていなかったのではないのかと。強引に事を進めているようで、私が嫌がることはしなかったから。
あの目も、本当に私の事を観察していたのだと思う。けど、それは、もしかしたら私と同じように女性とあまりつき合ったことがないから、どうしていいか分からないから見ていたのだとしたら。
今だって抱きしめてくれればいいのに、それをしていいのかわからないのだろう。
私は彼の首に手を回して、自分から口づけをした。唇を離したら、彼は驚いたように私の事を見つめていた。
「あのね、私の言葉をちゃんと聞いて欲しいの。私は抱かれるのは嫌じゃないけど、無理な時もあるから」
「・・・無理って?」
まだ呆然としている彼は、かすれた声でオウム返しに訊いてきた。
「その・・・生理の時とか」
視線を逸らして小声で答えたら、「あっ!」と言って赤い顔になった。
「ご、ごめん。そうだよね。女性にはそういうものがあるんだよね」
動揺して早口でしゃべる彼に、私は微笑んだ。
「だから、そういう時にはちゃんと言うから聞いてくださいね」
「はい」
◇
ハア~とため息を吐き出した私は、やっぱり隠し切れなかったかと思った。
あの後ホテルで丁寧に髪を乾かしてくれた彼。私は仕事を辞めてから髪を伸ばしている。肩を超すくらいだったのが、いつの間にか胸を隠すくらいに伸びていた。肩につけた痕が襟ぐりから見えそうだと言われていたから、いつもの髪留めで留めるのをやめておろしていたのに、髪をかき上げたせいで見えそうになるって、どうなのよ。
そんなことを考えていたら、千鶴がトイレに入ってきた。
「麻美、大丈夫?」
戻るのが遅いから心配して様子を見に来たみたい。それとも和彦に何か言われたのだろうか。
「大丈夫って、なにが」
「戻ってくるのが遅いから、動けなくなったかと思ったわよ」
「なんの心配しているのよ。今日はそんなに飲んでないから戻したりしてないわよ」
近づいてきた千鶴は手を洗う私の事を心配そうに見ていた。私は千鶴に笑顔を向けた。
「でも今日の麻美、あまり食べてなかったじゃない。今は大丈夫でも、熱を出す前兆かもしれないでしょう」
「やめて」
私に近づいて額を触ろうとしたから、ついその手を振り払ってしまった。驚いたように私の事を見た千鶴が何かに気がついたという顔をして、私の左腕をつかんで手首の腕時計を外してしまった。
「なに? これ?」
現れたものを見て顔色を変えた千鶴は私の肩に手を置いた。
「何があったの、麻美。こんなところに痣を作るなんて。もしかして暴力を振るわれているの」
「違うから。落ち着いて、千鶴」
「落ち着いてなんかいられないわよ。別れなさい、そんな男とは」
「だから、違うの。誤解よ。これは暴力による痣じゃなくて、キスマークなの!」
私が叫ぶように言ったら、千鶴は口を開けて固まった。
「はあ?」
「だから、キスマークなの」
「そんなところに」
「そうよ。もう、みんなに気付かれないようにしていたのに」
私が顔を赤らめていったら、千鶴の眉間にしわが寄った。
「ねえ、本当に大丈夫なの、その男」
「何がよ」
「そんなところに痕をつけるなんて、異常じゃない?」
「だから、大丈夫だから」
「どこがよ。その指輪だって見方を変えれば、麻美を自分のものだと言いたいんじゃないの」
「それも違うから」
私は昼間のことを簡単に話した。今日を逃したら3週間会えないことと、指輪はクリスマスプレゼントだということを。
千鶴は納得出来ないようだったけど、一応は私の説明に頷いていた。
「でも、手首にキスマークはやり過ぎよ」
「それはわかるけど・・・でも、嫉妬したみたいだから」
「嫉妬?」
「そう。今日会うのが、女子だけじゃないと知ってね」
「うわ~、狭量じゃない」
「そんなことないよ。不安なだけだよ」
「不安って・・・」
「私ね、彼の方が3歳年上だし落ち着いて見えたから、勝手に私より大人なんだと思っていたのね。でも、彼もあまり女性とつき合ったことがなかったみたいなの」
「だから、不安に?」
「うん、そうだと思う。私達はこれからゆっくりとおつき合いしていくつもりなんだ」
笑顔でそう言ったのに千鶴は釈然としないという顔をしていたのでした。




