ナノ・セカンド
「ねえトム。なんだか私、コーラが飲みたくなってきちゃった」
「オッケー! メアリー、成功だ!」
「何が?」
「【サブリミナル効果】って知っているだろう?」
トムは上機嫌で冷蔵庫の扉を開き、キンキンに冷えたコーラを取り出しながらメアリーに得意げな顔をして見せた。メアリーはソファに座ったまま肩をすくめた。
「知らない」
「じゃあ説明してやる。映画やアニメなんてのは、数え切れないほどの『静止画』の連続でできているんだ」
「だから何よ?」
「例えばその静止画の間一つ一つに、人が知覚できないレベルで無意識に『コーラ』の絵を差し込んでおくと……知らず知らずのうちに、その人はコーラが飲みたくなってしまう。これが【サブリミナル効果】さ」
「え……まさか」
トムの右手から放り出されたコーラを空中でキャッチして、メアリーはまじまじとそれを眺め、もう一度トムに顔を戻した。透明に透けたガラスの向こうで、トムがしてやったりの満面の笑みを浮かべていた。
「そのまさかさ! 実は僕、君がのぞいていた下界のスコープに、10億分の1秒単位でコーラの絵を差し込んでおいたんだ」
「ちょっと……じゃあ私がコーラを飲みたくなったのは、そのせいだってワケ?」
メアリーは目を丸くして、気味が悪いといった具合でコーラを浮雲で出来たテーブルの上に置いた。
「何だか怖いわ……何でそんなことするのよ?」
「まあまあ、怒るなよ。ちょっとした実験だったんだ。これで計画の成功が保証されたぞ」
「計画って?」
口を尖らせるメアリーとは対照的に、トムはまさに天使のように軽やかに持論を語りだした。
「全ての魂を幸せにする計画。下界に生きる魂たちに、そうだなあ、数日に1回程度の単位で気づかれないように『嬉しい』とか『楽しい』って刺激を与える。そうすれば魂たちは、自然と『生きるってなんて素晴らしいんだろう』って思いながら生き抜いてくれるはずさ!」
「たかだか数日に一回程度の間で? そんな瞬きするみたいな時間じゃ、誰も『生きてて良かった』なんて自覚できないわ……」
「だからサブリミナルなんだよ。我々の存在を認識されたらそれこそ厄介だろう?」
「それは、まあ、そうだけど……」
メアリーが難しそうに眉をひそめた。トムは嬉しそうに自分の分の『天国コーラ』を取り出した。
「現に君は、コーラを飲みたくなっていただろう? それと同じさ。彼らにとっちゃ、『1日』という静止画の連続が、1回分の人生なんだ。その間に、このサブリミナル効果を続けていれば、きっと1回分終える頃には全ての魂が無意識に幸せになってるよ」
「そううまくいくかしらね……」
『なんて素晴らしい計画なんだろう』という顔で目を光らせるトムをあしらって、メアリーは白い羽を広げもう一度下界のスコープに目を戻した。米粒みたいな生き物たちの表情を覗き込む。果たして、彼らはトムの計画通り幸せになっているのだろうか……それとも……。