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「ゴメン、櫻井とは付き合えない。今の俺は愛菜のことが好きだから、彼女と別れることなんてできないよ」
俺ははっきりと櫻井の告白を断った。
正直に言って、櫻井から告白されるとは思っていなかった。途中からはもしかしたら、という程度には予想していたが。櫻井に俺が嫌われていないということはさすがにわかっていたし、それなりの好意を寄せてくれていることも分かっていた。確かに俺だって櫻井には一定以上の好意がある。だが、そもそも俺には彼女がいるのだ。内気な櫻井が彼女と別れて自分と付き合ってくれ、なんて言うとは思ってもみなかった。いや、俺が櫻井という女の子を見誤っていただけなのかもしれない。
だがいくら心のこもった告白をされようとも、俺には別の、好きな人がいるのだ。だから、櫻井の告白を受け入れることはできない。今後櫻井との関係は変わるだろう。少なくとも、ただの先輩後輩には戻れない。どういう形に落ち着くのかはわからないが、俺はそれを受け止め得る覚悟をした。だから曖昧に誤魔化したりなんてしない。きっと櫻井も同じ覚悟を決めて俺に告白したのだろうから。
――――だが、櫻井は俺の覚悟の一歩上を行っていた。いや、事態が俺の想像を超えていたというべきであろうか。兎にも角にもすべては俺の予想外であった。
「ふふっ、優斗先輩ならそう言うと思っていました。先輩は誠実で優しい人ですから……」
告白を断られたのにもかかわらず、そう言って櫻井は微笑む。さっきまでの緊張した表情はどこにもなく、顔に浮かぶのは今まで見たことのない、妖艶な微笑。状況と表情のアンバランスさゆえか、12月の深夜にもかかわらず、俺の背中にはひやりと冷たい汗が浮かんだ。なぜだろうか、俺の脳裏に警鐘が鳴り響く。
「じゃあ、先輩、向こうを見てみてください」
そう言って櫻井は時計台の方に指を向ける。脳裏に響く警鐘を無視して、俺も指の方を向く。
そこにいるのはどこでも見かけるような、両手の指の数で数えられるほどのカップル。
しかし、俺はそこで見てしまったのだ。互いに見つめあう刀也と――――
「あい、な……?」
12時の鐘が鳴る。
まるで映画のワンシーンのように。
まるで二人を祝福するかのように。
そして二人は唇を重ね合わせる。
「ねぇ優斗先輩、もう一度聞きます」
まるで悪魔の囁き。いつの間にか櫻井は俺の目の前にいた。
「愛菜先輩と別れて、私と付き合いませんか?」
「…………」
最初の告白と変わらず、櫻井は俺をまっすぐと見据えている。俺は思わず目を逸らしてしまう。無意識か否か、俺の目に再び刀也と愛菜が映る。
傍から見れば美男美女のお似合いのカップル。まるで俺こそがその間に割り込む悪者だったのではないか、と感じるほど二人の雰囲気は疑いようもなかった。
「目を逸らさないでください、先輩」
俺は自分でも大げさだと思うほどに肩を震わせて櫻井の方を向く。
「二人はこれから剣崎先輩の家に行きますよ」
なぜ知っているのだろうか。それは事実なのだろうか。そんな疑問を思い浮かばせないほどに櫻井の表情は真剣だった。
「私、今ひどいことしていますよね。でも、私なら先輩を絶対に裏切りません。ずっと先輩を愛します」
だから、と櫻井は続ける。
「愛菜先輩か、私。今選んでください」
櫻井が示したのは残酷な二択。
彼女の覚悟はこれだったのだ。俺を悲しませてでも、勝利をもぎ取る覚悟。俺が一瞬で決めた覚悟など比べ物にならないほどの強い覚悟だ。
「っ……」
いろいろな負の感情が俺の中を駆け巡る。悲しみなのか、後悔なのか、怒りなのか。ごちゃ混ぜになった感情は自分でも理解できない。
この感情を整理する時間が必要だ、と感じる。ただの優柔不断なのかもしれない。だが、今衝動的に答えを出してしまったら後で後悔する、と漠然と思う。
「一晩、まってくれ……。明日の朝には必ず答えを出すから……」
「ダメ、今答えてください。愛菜先輩か、私か」
「今答えを出すならっ!」
自分の声が大きくなってしまったのを自覚し、思わず時計台の方を見る。そこにはもう、見知らぬカップルしか残っていなかった。
俺は小さく息を吐き、心を落ち着ける。
「……今答えを出すなら、俺は愛菜を選ぶよ」
「なっ……!」
予想外の答えであったのだろう。櫻井に動揺が浮かぶ。きっと、自分が振られたとしても、愛菜を選ぶとは思っていなかったのだろう。
これは俺の最終的な答えではないし、櫻井だってそれはわかっている。だが、今答えをこれと決めたなら俺はその通りに行動するだろう。そしてその気持ちは櫻井にも伝わっていたようだ。
「一晩、待ってくれ」
「………わかり、ました……」
苦虫を噛みつぶしたような顔で櫻井は頷く。
俺はゴメン、と一言だけ言って櫻井に背を向けた。
「優斗先輩」
俺は背を向けて歩き続ける。
「私、覚悟できてますから――――先輩がどんな選択をしても」
振り返ることはできない。頬を伝う涙を俺は見られたくなかったから。




