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みかんはどこ

作者: 相口夏来

 スーパーに入ると、大抵寒い。夏に入ると、肘に掛からない程度の半袖のTシャツを着ていったことを後悔するくらいには寒いし、冬は手袋の締めつけから解放された両の手が萎縮してしまうくらいには寒い。その寒さの要因である青果など生鮮品のコーナーを利用するならともかく、私にとっては理不尽極まった状況である。

 その肚の底の窪みに集合して居着きゆく憤りを感じながら、私はその日、今年に入って初めて意識的に青果コーナーに入った。抗菌するがごとく歌詞を消して曲調を調えられたBGMを聞き流しながら、私は買い物かごも持たずにうろついた。地元の一介のスーパーをウインドウショッピングする性分も、そもそも冷やかしで店を訪れる悪癖もない。目的はある。目標の位置を探しているのみだ。わざわざ青果コーナーに入っているのだから長居する道理はないが、事実としてこのスーパーでそれがどこなのか、掴めないのだ。そうさせたのは私だというのが、腹立たしくもあり、情けなくもある。

 青果コーナーは、スーパーの五分の一ほどを占めていた。店に入ってすぐに商品の陳列された冷蔵棚が並んでおり、それは突き当たって左に曲がっても少し続く。すべてを一通り眺めてみたところ、しめて九十七品目の野菜と果物が売られていた。仕事柄、それら全ての名も味も栄養素もほぼ思い出すことができ、少し安堵したが、その九十七品目に目標はなかった。

 それを確認すると、私は僅かばかり憮然として、辺りを見回した。午後四時を回ろうとしている青果コーナーは閑散としていて、黒字に白抜きの店名をあしらった腰巻きのエプロンをしている人はすぐに見つかった。その店員は、きっと私がそうであったように商品を眺めては、灰色のボードを下敷きにしてひたすらチェックしていたが、私が歩み寄るとそれに気付くや否や、姿勢を正して表情筋を形作って出迎えきた。

「いらっしゃいませ、何か?」

 話し掛けもしてきた。

「いえ、ちょっと探しているものがありまして」

「何でしょう、お野菜ですか」

「あ、いえ。野菜ではなく――」

 その時になって私は初めてためらった。かように思われることだけは嫌だったが、突如のことで、すっかりこのような状態を予想し損ねていた。店員の表情筋がその形を憶えるよりも早く、私は仕方がなしに躊躇した言葉を吐いた。

「みかん、はどちらにありますか?」

 表情筋が崩れた。形式的に笑んでみせていた店員は破顔した。

「ああ! シトロンキアーゼですか」

 異様な涼しさに強張っていた手が硬直した。十中八九、昨晩までシトロンキアーゼなど知らなかっただろう店員が流暢に用語を発している様は、中には愉快だと話す同僚もいたが、私には悪寒を催させた。

「すみません、お客さんと同じで、みかん買いにくる方いっぱいいて、売り切れなんですよね」

 私は適当に相槌を打ったが、店員はシトロンキアーゼを連呼するのを止めなかった。

「なんでしたっけ、脂肪を燃やすのにいいんですよね、シトロンキアーゼ。同じ柑橘類なら一応シトロンキアーゼってあるそうですけど、特にみかんがいいって言いますからね。シトロンキアーゼ」

  一度はじけた表情はなかなか元に戻らなかった。

「でも、こういうのって、まあ売り切れてから言うのもアレなんですけど、眉唾ものですよね。何でしたっけ、大学の先生が出て随分説明あいてらっしゃいましたけど、どこまで安心していいのか」

私は初めてその人に愛想笑いをして、それから辞去した。

 その人には半ば感心してしまった。赤や銀の魚が並ぶのを傍目に見ながら、発言を反芻した。

 一つは注意力のなさ。楽しげに話す中に登場した大学の先生が私だということにいよいよ気付かないで終わっておきながら、植物一つに健康を預ける精神を持つようだ。

 もう一つは注意深さ。私より二十年は長く生きているだけはあるようで、権威を掲げて紹介するテレビのうさんくささを惜しげも無くさらけ出せられるのは悪くない。そうしてひたすら流れてくる情報の取捨選択に喘いで、情報を腐らせれば良いのである。

Google曰く、「シトロンキアーゼ」はフィクションで間違いないようです。

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