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君をわすれない

作者: 卯月瞳子

「どうする?」


一馬は投げたコインを手のひらの内に収めるとそのまま私に問いかけた。裏か表か確率は二分の1。これは私と一馬に与えられた真剣勝負だ。


「私が先でいいの?」


「うん。俺はそれでいい。いや、違うな。京香が先に引いて」


「でもそんなの」


「いいんだ」


一馬の声はいま私たちが置かれている状況には余りにも不釣り合いだ。落ち着き払ったテノールの声に涙が出そうになる。どうしてこんな重要な役割を、私たちはこの世に誕生した瞬間から背負わされてしまったのだろう。


一馬と私はこの地球上で最も悲しく、最も罪な存在になろうとしている。




「わかった。じゃあ私が先に引くね」


自然と口腔内に唾液が溢れだして私はそれを飲み込んだ。もしコインの裏表を言い当てられなかった場合、私は敗者となる。


目の前で鈍く光る巨大な銀色の化け物は、私たちのどちらがそのボタンを押すことになるのかを不気味なほどの静けさで佇んだまま、見守っているかのようだ。


一馬と私は同じ病院で同じ日に生まれ、そして同じ施設で育てられた。親から引き離されたのも、全てはこの運命を科せられた存在だったからだ。


どうやって私たちが選ばれてしまったのかは知らない。だけれど、地球最後の瞬間を大好きな一馬と過ごせるのだから、不謹慎だけれど感謝してもいいのかもしれないとこんな異常な状況に置かれているいまだからこそ、思う。




一馬は気付いていないけれど、私には一馬の手のひらに収まる瞬間のコインがはっきりと見えていた。裏が表で間違えはないはずで、でも私は正直には答えたくなかった。


一馬は人一倍正義感が強く、そして誰よりも純粋で優しい心を持った人。だから私も好きになったのだ。もし一馬に地球を爆発させるボタンを押させることになったなら、一馬の魂はきっと永遠に宇宙を彷徨い続けてしまう。私は震えそうになる脚に力を込めた。


「………表が表」


「本当にそれでいい?」


「うん。私が昔から頑固なの、一番知ってるでしょう」


「そうだな。一度言いだしたら絶対聞かないもんな、京香は」


一馬の笑顔がいつも通りで私は心底ほっとした。良かった。最後に大好きな一馬の笑顔が見られて。


「じゃあ、開けるな」


「うん」


固く握っていた手のひらを一馬が慎重に小指から順々に、スローモーションで開く。最後の親指を持ち上げる前には既にもう、コインの裏側のデザインがはっきりと見えて一馬の手が震えていた。


言葉はなくても、一馬は私を見つめ私もまた一馬を見つめた。瞳の奥に映るのは、私たちにしか解り合うことの出来ない(何か)だ。




「大丈夫だよ、一馬」


「京香、お前まさか」


「私は平気。だってボタンを押した瞬間、私だって命はないわけだし」


自分自身に言い聞かせようとしていた。そんな私の最後の強がりを、一馬は気付いたのかもしれなかった。



笑ってみせようとした瞬間に強く一馬の右腕に引き寄せられて、私は一馬に抱きしめられた。この20年間というもの、私たちはずっと幼なじみという距離を保ってきた。それは私たちに与えられたもう1つの使命である(恋人を作ってはいけない)せいだった。



ずっと伝えたかった、けれど伝えることを許されなかった思いが一気に溢れだしてくる。


「好きだよ一馬」


「うん。知ってるよ。お前のことは全部全部俺が一番よくわかってる。京香、聴いて」


止まらない涙でぐしゃぐしゃに歪んだ顔を隠せないまま、私は一馬を見上げた。


優しく一馬が微笑んでくれたせいで、私の涙腺がさらに弛んだ。


「俺はずっと京香しか見てなかった。俺が初めて好きになった女の子も、最期に魂に刻み込んでいくのも、もし生まれ変わっても、ずっと好きになるのは京香だけだよ」




自分に与えられた運命を知ったとき、生まれてきたことを悲しく思った。顔を見たことさえない親を恨んだこともあった。けれどそんなときにいつも、私には一馬がいてくれた。


私のように運命を呪いもせず、いつでもまっすぐに物事へ立ち向かう一馬を見て私は少しずつ前向きになれた。


だけど、いまこの瞬間のように生まれてきたことに心の底から感謝出来たのは初めてだ。


「一緒に押そう、京香」


私の右手に一回り大きな左手を絡ませて一馬は言った。私がそれは出来ないと首を振ると、小さな子を宥めるように私の頭をぽんぽんと叩く。


「自分の気持ちがようやく言えたんだ。最期くらい、俺にもカッコつけさせて」


今にも泣いてしまいそうな初めて見た一馬の哀しみに満ちた表情に、私はもう何も言うまいと決めた。



「じゃあ、3、2、1で押すよ」


「うん」


恋人繋ぎしたお互いの手に汗が滲んだ。そして片方の手を二人同時に赤いボタンにそっと置く。


地球に破壊と再生が必要とされていて私たちがその役割を担うのなら、いつか地球が再生されるとき私たちの魂はそこに存在出来るのだろうか。


大好きな一馬。私が最初に好きになった人。それから最期の瞬間に愛した人。この思いはどこへ行くのだろう。


「一馬、さよなら」


「さよならじゃない。また会おうだ。今度目覚めたときも一緒だからな」


この愛しさをどう表現したらいいかなんてわからずに、私は一馬の唇に口付けをした。


「よし。じゃあいくぞ。せーの」


「3、2、1」



<了>






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