②数分前 〜考察〜
―数分前。
尿意を覚えて意識が覚醒した。
意識は覚醒したが瞼は開いていない。朦朧とする意識の中で、その断片に尿意を覚えながら、俺は徐々に現状を把握し始めた。
俺はたった今まで自宅のベッドにて睡眠中であった。睡眠中の俺が僅かな尿意を覚えて意識が覚醒した。これが現状だ。
ならば起きなければならない。このまま何もせず睡眠を再開すれば尿意に限界が来て破滅を齎す。いや、そもそも尿意を覚えたまま睡眠を再開するのは難しい。結局はベッドを出てトイレへ向かわなければならない。ならば早い方がいい。
さあ、目を開けろ。
そう念じながら、俺は目を開けたくなかった。億劫なのだ。今のところ、まだ尿意は僅かに過ぎない。まだまだ我慢できる範囲内だ。一方、睡眠欲はまだ満たされていない。このまま何も考えずもう一度眠りにつきたい。
俺は目を閉じながら考える。
トイレへ行かない方法はないだろうか。
当然ながら、いつかはトイレへ行かなければならない。一度覚えた尿意が消えることは稀でありその僅かな可能性に賭けるほど俺は愚かではない。必ず、いつかは、トイレへ行かなければならない。
しかし、いつか、とは具体的に何分後だろうか。そのタイムリミットによってはこのままもう一度眠りにつき、改めて強い尿意を覚えた際にベッドを出てトイレへ向かえばいい。それがベストだ。一度覚えた尿意を無視して睡眠を再開するのは難しいようだが、どうやら今の俺の体、脳内は睡眠を欲しているらしく、少し気を抜けば再びまどろむことが出来そうである。
何分我慢できるか。俺は自らの体と意識に問いかける。若年者では自らのタイムリミットを正確に割り出すのは困難だろう。しかし俺も30歳となり人生も中盤を迎えている。四十にして惑わず、と孔子の論語にあるが、そこには「三十にして立つ」ともある。立つとは自立を表す。自立した人間にとって、自らの尿意の限界を推し量ることは容易い。
―この尿意、まだ遠い。
―30分、これがタイムリミットだ。今から30分は、俺はトイレを我慢できる。
思考を進める。30分我慢できるならば、今俺は、ベッドを出てトイレへ立つべきか否か。
その答えは起床時間に依存する。
俺は妻と二人暮しをしている。妻は細かい女性で、綺麗好きで世話好きなのは有難いのだが、些か度を超えたところもある。
毎日の起床時間を決めているのだ。起床時間は夫婦で合わせており、その時間も完璧に決められている。
平日6時30分。休日7時00分。それが妻の指定した起床時間だった。
当初、俺は妻の決定に不満だった。平日は仕事があるため6時30分で妥当だが、休日はもっと遅くても構わないではないか。そもそも、休日は各自好きな時間に起きればいいではないか。幸い、俺と妻はどちらも土日休みであるため、どちらかが仕事でどちらかが休みという状況にはなり得ない。ならば休日くらい、満足するまで睡眠を貪って何が悪い。
以上の主張を、俺は限りなく優しくやんわりと妻の機嫌を損ねないよう注意して伝えた。しかし妻は首肯しなかった。曰く、そのようなだらしない生活は人間らしい生活とはいえない。そんな生活を私はしたくない。お隣の老夫婦なんて毎日6時には朝食を終えてると聞くのにあなたは文句を言うのか。
俺は頷くしかなかった。
話を戻そう。
今日は休日である。ならば起床時間は7時00分と定められている。また俺は尿意を30分我慢できる。
つまり、7時00分-30分=6時30分。
現在時刻が6時30分以降であればこのまま寝てしまって構わない。どうせ7時00分には起きなければならないのだから、このまま睡眠を続ければよい。7時に起きてからトイレを済ませればいいのだ。
逆に6時30分より前ならば、起きなければならない。仮にトイレへ行かないまま睡眠を続けたとしても、起床時間前に結局起きることになるからだ。例えば現在時刻が6時10分でこのまま寝てしまっても6時40分頃には尿意を我慢できなくなりベッドを出ることになる。するとトイレから戻った後7時00分まで暇になり、睡眠を再開しようにも7時00分に起きなければならないからまた寝るのは馬鹿馬鹿しいし、かといって眠いのは変わらないだろうから満足に活動することも出来ず、不毛な時間を過ごすだろう。
それならば今すぐトイレへ向かい、用を済ませてから再び睡眠を再開し、7時までたっぷり寝た方がいい。
まとめよう。現在時刻が6時30分以降ならば尿意を我慢して睡眠を続けるべきであり、6時30分より前ならば今すぐトイレへ向かうべきである。
現在時刻が分かれば、俺の取るべき行動を決定出来る。
が、しかし、俺は瞼を開くのが億劫であった。
もし瞼を開き、ベッド横のサイドテーブルに置いてあるデジタル時計を見れば、すぐに現在時刻を確認することが出来るだろう。しかしそこで、現在時刻が6時30分以降ならば、俺は再び眠りにつくことになる。
ならば最初から、瞼を開けなければ良かったと、俺は後悔するだろう。瞼を開ければ様々な視覚情報が俺の脳内へと侵入して今この心地よい半覚醒ともいうべき状態は解除され、意識がはっきりしてしまう。それは嫌だ。俺はそれを嫌悪する。また何より、瞼が重い。瞼を開けるにはそれなりに精神的抵抗感が伴うだろう。
が、一方で、瞼を開けなければ現在時刻を知ることは出来ない。先述したとおり、現在時刻を知れなければ行動を起こすことが出来ない。このまま寝るにしても、寝ないにしても、現在時刻を知る必要はある。
俺は考える。何とかこのまま瞳を開かずに現在時刻を知る方法はないだろうか。
―この瞳は、閉じていたいから。
第6感という言葉がある。理屈では説明できない未知の感覚。人知を超えたインスピレーション、勘、それを第6感と呼ぶ。
俺には第6感など存在しない。俺は安普請の賃貸に妻と二人で暮らす平凡なサラリーマンである。人知を超えた奇跡的な力で現在時刻を知覚することなど出来はしない。
しかし第6感はなくても、5感はある。人間なら誰しももつ、5つの知覚機能。視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚。
これらを駆使して、現在時刻を知覚出来ないだろうか。
5感のうち、味覚は使えない。舌を使って時刻を知ることができるならばそれは超能力者である。
視覚も駄目だ。封じられている(というか目を開けたくない)。
嗅覚も意味はないだろう。俺は鼻をひくつかせて臭いをかごうとするが、タオルケットの甘い洗剤の香りや部屋の芳香剤に僅かながら香ばしい香りが混ざるだけで何も分かりはしない。
触覚はどうか。俺は目を閉じたまま全身の皮膚に感覚を集中する。肌で感じる室温は寒すぎず暑すぎない適温。9月も半ばにして日中はまだ暑い日が続くものの、日の落ちる深夜や早朝はエアコンなしでも快適に過ごせる温度となる。我が家もエアコンは就寝時に電源を切り窓を開けて寝るようになった。
室温から何か分からないか。俺が今、肌で感じる室温は暑くないし寒くもない。深夜ならばもう少し肌寒い気がするから、おそらく早朝ではあるのだろう。しかしそれでは現在時刻を絞りきれない。今俺に必要な情報は6時30分以降か否かである。室温からそこまで具体的な時刻を割り出すことは出来ない。
まだ諦めるには早い。触覚は何も肌だけで感覚するものではない。大半の人間が人生でもっとも使用する部位、両手を駆使して感覚するのだ。
俺は仰向けの姿勢のまま両手の感覚を確かめる。
まず右手。右手は何かを掴んでいる、いや、掴まれているといった方が正しいかもしれない。俺の右手は同じベッドで隣に寝る妻に握られている。それもただ握られているだけではない。指一本一本を絡ませる、所謂恋人繋ぎだ。俺の記憶が確かなら、寝る前は手を繋いでいなかったはずだから、俺が寝ている間に妻が手を繋いだのだろう。寝ている間に妻に手を握られるのは今日が初めてではない。本人曰く甘えたい時に手を繋ぎたくなるらしい。ぶりっこである。まあ可愛らしいとは思う。普段から可愛らしい性格をしていればもっといいのにと思う。
続いて左手に意識を移す。左手は自由だ。ではこのまま、左手で何か感覚できるものはないだろうか。俺はタオルケットから左手をそっと出して、辺りをまさぐった。
手の平に、何か柔らかい感触がした。それを軽く握り締めると、適度な弾力で押し返してきて心地よい。ぬいぐるみだ。俺は今、左手にぬいぐるみを握っている。
去年の今頃に動物園で妻へ買ってあげたコアラのぬいぐるみ。妻は気に入っていつも自分が眠る枕の横に置いてあるのだが、寝ているうちにこちら側へ転がってきたのだろう。というのも、このぬいぐるみはほぼ真円、○なのだ。コアラのぬいぐるみということで、全身は灰色をしていてつぶらな瞳とこじんまりとした鼻が可愛らしいのだが、胴体はなく、まん丸の顔面に手、足、耳が控えめに付けられているだけで、全体のフォルムは完全に丸だ。コアラというより某ゲームの某ピンクのあくまを灰色に塗っただけのような趣でパクリとは言わないが胴体がないのはぶっちゃけ手抜きではと勘ぐっているのだが妻は可愛い可愛いコア君可愛いと愛でている。コアラだからコア君だそうである。雄なのか?
俺が握っているのは間違いなくそのぬいぐるみだろう。しばし感触を楽しんだ後、我に返ってそれを手放し、再び左手を伸ばし何か無いかとまさぐる。
ベッド脇にはサイドテーブルがある。そこに何か無いか、と思い左手を右往左往させていると、硬いものに手が当たった。サイドテーブルの天板であろう。さらさらとした木製の冷たい感触。続いて天板の上を探ると、ある物を握った。
手の平サイズで固いプラスチックの感触。リモコンだろうか。サイドテーブルにあるリモコンはテレビ用と照明用の二種類あるが、この軽さはおそらく照明用だろう。私はその照明用リモコンのボタンを押さないよう細心の注意を払いながら、できるだけ遠くにそれを置きなおした。もし誤ってスイッチを押してしまったら寝室の照明が点灯してしまう。そうなればただ事ではすまない。妻は敏感な性質で、すぐに目を覚ましてしまうのだ。以前も寝返りを打って腕が軽く触れた際、あるいは、まちがって寝室の照明を点けてしまった際、妻はすぐに目を覚ましてしまった。寝起きの妻は不機嫌だ。こちらの言い訳を聴いてくれない。しかもその不機嫌を妻は引きずる。もし今、この寝ている妻を起こして不機嫌にしてしまったら、今日一日は不機嫌が直らないだろう。せっかくの休日が台無しである。
照明用リモコンを無事にテーブル端へ置き直した俺は、再び左手でサイドテーブルを探索する。
やがて何かを握った。先程と同じくプラスチック製品のしっかりした感触。しかし照明用のリモコンよりも少し重い。おそらくテレビ用のリモコンだろう。
目を閉ざしたままの状況で、テレビなど無意味である。俺はテレビ用リモコンを手放そうとして―考え直した。
確かに、視覚が封じられた(厳密には自ら封じた)この状況ではテレビを見ることはできない。
しかしテレビを聞くことは出来る。そう、5感の内、まだ検討していない最後の感覚器官。聴覚を使用するのだ。
目を閉じたままではテレビ画面は見られないが、番組の音声を聞くことは出来る。音声さえ聞こえれば番組内容を把握でき、番組内容を把握できればそれが放送されている時刻から、現在時刻をある程度絞り込むことは出来る。俺は昨夜の記憶を思い起こす。最後に見ていた番組は…深夜枠のバラエティ番組。関東の人気お笑い芸人がMCを担当する長寿番組だ。10年以上続いており、芸暦20年を超えるベテラン芸人がMCを担当する番組だが、内容は深夜らしく下品で、くだらなくて、だからこそ最高に面白い…一緒に見ていた妻は笑っていなかったけれど…
あの番組はチャンネル7番だった。あれが昨日最後に見たチャンネルということは、テレビの電源を入れると、7番の番組が流れるということだ。土曜朝の7番は何を放送しているだろう。いつもの土曜日、朝起きて、テレビをつけると放送しているのは…ニュース番組、ではその前は…俺は必死に思い出す。その番組はいつも見ていないが、番組表は定期的に見ているはずだから、思い出せるはず…そう、音楽番組だ。クラシック系の音楽番組を放送している。しかも放送時間は5時30分から6時30分!その後はニュース番組が8時まで続く!
つまり今テレビをつけて、クラシックが流れてきたら5時30分から6時30分であり、俺はトイレへ行くべきである。しかしニュース番組であれば6時30分以降となり、トイレへ行く必要はなく、7時まで我慢すればいい。もしそれ以外の番組ならば…5時30分以前と判断して構わないだろう。
テレビをつければ、現在時刻を特定できる!
しかし…俺は隣で静かに寝息を立てる妻を想う。
妻が起きてしまわないだろうか。妻は視覚や感触の変化には敏感だが音には意外と無頓着なイメージもある。少しくらいの物音なら構わないだろうが。
リモコンでテレビの電源を入れたら、その瞬間に番組の音声が流れ出す。昨日設定した音声のまま流れる。昨日、俺と妻はどれくらいの音量で番組を見ていただろうか?それほど大音量ではないはずである。お隣がいるから、テレビの音量には少々気を使っている。というのも、数日前の夜、お隣から音に対して注意を受けたばかりなのだ。もう少し静かにしてくれませんかと。そのときは珍しく俺と妻は酔っており大音量で音楽を楽しんでいた。このアパートは鉄筋コンクリート製で、この部屋は5階でしかも角部屋だからいいだろうと思い音楽を聴いていたのだが、どうやら開けっ放しになっていた窓から音が漏れていたらしく、注意されてしまった。あれは恥ずかしい経験だった。
それからは、ある程度は音量を絞るよう気をつけている。特に今の季節は、うちもお隣も窓を開けているだろうから。
だから、今テレビをつけてもそれほどうるさくはない…はずだが…この朝の静寂の中で突然の音声に妻が起きてしまわないかは、分からない。
俺はリモコンを握り締める。音声が不安ならば、音量を調節すればいい。リモコンの電源ボタンを押してすぐさま音量調整の大小ボタンを連打して音を絞る。俺が聞こえるか聞こえないかくらいの音量に。
そんなことが可能だろうか。俺の目は閉ざされている。目を閉じたまま電源ボタンを特定するのも苦労するのに、間違えず音量を高速調整するなど、俺に出来るだろうか。間違って音量ボタンの「大」を連打してしまったら。あせってリモコンの向きが逸れてしまい赤外線がテレビに届かなかったら。
リモコンを握る手の平が汗ばむ。駄目だ、リスクが高すぎる。このリスクを、とることは出来ない。
俺は敗北感を覚えながら、リモコンをサイドテーブルへ置いた。
もはや、サイドテーブルに有効な道具は残されていない。半ば諦めながらサイドテーブルを探ると、こじんまりとした長方形の物体を握った。
デジタル時計だ。繰り返す。デジタル時計である。俺は怒りを覚えてデジタル時計を握り締める。なぜデジタル時計なんて使っているんだ俺は。もしこのデジタル時計が、文字盤むき出しのアナログ時計だったなら、時針と分針に触れて現在時刻を予想することも可能であったのに。俺たち夫婦はデジタル時計を使用していた。確かにデジタル時計は便利である。見た瞬間に時刻が分かる、文字も見やすい、複雑な機能も備えている。我が夫婦は使用していないが目覚ましの設定も可能だし、妻は料理のアラームとしても使用しているらしい。ボタン長押しで3分後にアラームを設定できて便利なんだとか。
そんなことはどうでもいい!針がついていない時計などこの場合、役立たずも甚だしいではないか!
俺は怒りのままにデジタル時計を放り投げようとして思いとどまり、サイドテーブルに戻した。
俺の5感は敗れた。いや正確には、味覚(使用していないが)、嗅覚、触覚、聴覚は無意味であった。残されたのは視覚。この閉じた目を開いて時刻を見るしかない。
…いやだ。目を開けると、文字通り、目が覚めてしまう。もし現在が6時30分以降なら眠り直す必要があるが、目を開けたら再び眠るのは難しく、仮に寝られたとしても満足感は得られないだろう。このまま眠ってしまいたい。
がやはり尿意は徐々に迫っている。もし現在が6時30分より前なら結局7時前にトイレへ立つことになり、なぜさっさとトイレを済まして少しでも長く二度寝の時間を確保しなかったのかと後悔するだろう。
…ああ、結局目を開けるなら、味覚、嗅覚、触覚、聴覚全ては無駄であった…
―本当にそうか?今までのデータで現在時刻を特定する術はないだろうか。
何か違和感がある。普段とは違う何か。眠りに囚われているせいで見逃してしまった些末事。
味覚、は使っていない。嗅覚、は使ったが役には立たなかった。触覚は、妻の手とぬいぐるみとリモコンを感覚した。聴覚は検討したが使えなかった。
…嗅覚、そう、臭いだ。俺はおかしいものを嗅いだ。いや、現在も嗅いでいる。芳香剤と共に僅かな香ばしい香り。
僅かな香ばしい香り…昨日の洗い物の残りか?いや繰り返すが、妻は綺麗好きだ。昨日の洗い物が残っているはずはないし、俺が寝ている間に飲食したとしてもそれに使用した食器を洗っていないはずがない。ならば室内のゴミの異臭か。馬鹿な、また繰り返すが妻は綺麗好きだ。臭いのするゴミをそのまま放っておくわけがない。
室内でなければ室外しか有り得ない。そう、窓は開けられている。今は9月。まだ暑いから窓を開けたまま寝ていたのだ。
では外の何の臭いか。焼き芋でも売っているのか、あるいは家の近くでランチしている奥様方でもいるのか。
いや、現在は少なくとも7時前の早朝。加えて我が家は5階であり、外の臭いがここまで香ってくることは有り得ない。
有り得ない?しかし室内でないなら、やはり僅かな香ばしい香りは外から香っているに違いないのだ。であれば原因は…?
…お隣か?お隣の臭いが僅かながらこちらへ香ってくる?しかし壁を通して臭いが漏れることはないのだから、窓を通してしかこちらに香りが流れることはないだろう。ということは、お隣も我が家と同様、窓を開けていることになるが…
…そうだ、今は9月だから我が家が窓を開けているように、お隣が窓を開けていてもおかしくはないのだ。いやむしろ、お隣が窓を開けている可能性は極めて高い。数日前、音量のことで注意された経験があるからだ。このアパートは鉄筋コンクリート造りで音は漏れにくいが、窓から音が聞こえることはある。だから開けた窓を通して音が聞こえたんだ。
お隣も我が家と同じく、最近の夜は窓を開けて生活している…ならば朝まで開けっ放しでもおかしくはない。
ではこの臭いの原因は何か?朝早い時間に発生する、香ばしい香り。
―朝食、そう、コーヒーだ!これはお隣のコーヒーの香りに違いない。
お隣は朝食を食べているか、朝食の準備をしている最中、そのいずれかである。が、それは問題ではない。朝食のコーヒーの香りがしているということは、「少なくとも」朝食を食べているかその準備をしているのである。
妻は言っていた。隣の夫婦は6時には朝食を食べ終えると。
現在は、「少なくとも」朝食を食べ終える前であり、ならば「少なくとも」6時より前ということになる。
結論が出た。俺は満足感を覚えて小休止しながら自分の設定した条件を思い出す。
現在時刻が6時30分以降なら睡眠を続け、6時30分より前ならトイレへ行く。
隣夫婦の朝食の香りから、現在が6時以前と分かった。
つまり俺は、今、トイレへ行く必要がある。
…自分で決めたことだから、仕方ない。俺は重たい瞼をゆっくりと上げた。




