祝杯をあげるのは誰?
※リクエストいただいた『血色の月に導かれ』の続きです(が、単体でも読めるよう仕立ててます)
「また残されたのですね、オディリア様」
悲しそうに眉を下げる侍女に、彼女の主は申し訳なさそうな表情で断った。
「ごめんなさい、マーラ。どうしても食べ物を受け付けなくて……」
「悪阻がお辛いのはわかりますが、もう少し召し上がりませんと。お腹のお子のためにも」
「そうよね……。自分でもわかっているのだけど……」
木立に囲まれた山小屋に、およそその場に似つかわしくない高貴な姫君、と、その侍女が滞在していた。
「ごめんなさい。せっかくあなたが用意してくれたのに……」
「っつ、オディリア様、お顔を上げてくださいませ。大丈夫です、また何かお作りします」
顔を伏せるオディリアに、マーラが慌てる。
「無理もありません。あんなことがあったのですから──」
そう言って、マーラは言葉を濁した。
オディリアは公爵家の令嬢だった。
けれどもある日突然、王子から婚約破棄を告げられ、謂れのない罪名で身分を剥奪、追放の刑を受けた。
彼女のお腹に、王子の子が宿っているにもかかわらず、だ。
オディリアの父も、娘を庇うことなく王子に同調し、一台の馬車のみでオディリアを放り出す。
機転を利かせた傍仕えのマーラが金品を持ち出していなければ、旅の食事にさえ事欠いたことだろう。
"殿下が浮気でもされて、オディリア様のことが邪魔になったのですわ"
マーラはそう推測し、憤る。
それに対してオディリアが寂しげに微笑むだけだったので、次第にこの冤罪劇の詮索はなくなった。
ふたりは隣国の修道院へ送られることになっていたが、身重の身体で長距離の馬車移動は避けるべき。
そう判断したマーラが、知人の家に身を寄せることを提案。
ここ数日は、国境近くの湖にたつ山小屋で過ごしていた。山小屋の持ち主が差し入れてくれる食材で、マーラが料理を作り、オディリアに供する。
けれどもオディリアが大量に食事を残すことで、マーラは頭を痛めていた。
「では、こちらはお下げします」
オディリアを二階の部屋に残し、マーラは厨房に降りた。
テーブルに座る山小屋の主と目を合わせる。
粗暴そうな狩人が、巨体を丸めて声を潜めた。
「首尾はどうだ? マーラ」
「全っ然よ。ちっとも食べてくれないわ」
「……まいったな。お腹の陛下に栄養が届かねぇ。いくら魔王陛下の転生体とはいえ、魔族化を進ませるラド薬を摂取していただかないと、か弱い人間のまま生まれちまう」
「わかってるわ! だから、あの手この手で食事に混ぜてるのに、あの女が吐き出すのよ!」
苛立つ声で主人を"あの女"呼ばわりしたマーラに、先ほどまでの謙虚さはない。猛々しい瞳孔は、猫の目のように縦長く変わっている。
「おい、よせ、見られるぞ。まだ駄目だ」
そんな様子のマーラを、男が咎めた。
マーラは魔族だった。
男もまた、魔族だった。
魔族たちは、かつて勇者に討ち取られた魔王の復活を待っていた。
三百年の時を経て、勇者の血が薄まる時、彼らの王は勇者の血族として転生する。
魔族の弱点たる聖剣を扱う、勇者の血を引く人間として。
それはつまり、魔族の長が天敵である勇者に対し、耐性を持つということ。
最強魔王の誕生で、再び魔族の時代が来る。
この一心で人間からの迫害に耐え、いまが三百年め。
勇者の血を引く王子コンラートと、その子どもを宿した令嬢オディリア。彼女の胎の子は、待ち望んだ魔王に違いない──!
厳重な公爵家では、胎児を魔族化するための細工も出来ない。
魔王陛下には魔族であって貰わねば。
魔族はオディリアを攫い、彼女と胎児を魔族の国へ運ぶ計画を立てた。ついで、邪魔な人間の王国を滅ぼすため、コンラートのいる城を急襲した。
コンラートは魔族の到来を知り、急遽オディリアを逃がしたのだが、彼女が食い下がることを恐れて真実を伏せ、ただ罪による追放とした……ことを、魔族側は利用。まんまとオディリアの味方のふりをして、彼女の囲い込みに成功した。
だが肝心のオディリアの容態が悪い。追放された精神的ショックもあるのだろう。
食事はおろか、旅も再開出来そうにない。
母体の危険は胎児の危険。
無理強い出来ないため、歯がゆいが山小屋で足止めされていた。
「こんな場所じゃ心許ないわ。まだ人間の領域ですもの。陛下を早く、我らの国へお連れしたいのに。……人間の城はどうなったの?」
「陥落した。ただ、多重結界が展開されて、大勢の仲魔が閉じ込められた。きっと中で狩りつくされる。あの王子め、無駄に勇者の血を引いてないな」
「ちっ。結婚前に子作りするような、緩い下半身野郎のくせして、厄介な」
「結実するよう媚薬を盛ったのはお前だろう? 魔王陛下降臨のために」
「あら? 媚薬は、あんたたちが仕組んだんでしょう?」
「ん? いや潜入してた奴らからの報告だと……。いや、まあいいや。なんにせよ、燃えた城とともに王子も死んだんだ。気にすることはない」
「そうね。私も見たわ。赤い月の中に、燃え盛る城を。愉快だったわぁ」
「楽しんで貰えたようで、何よりだよ」
突然、三つ目の声がした。低い、獲物を見つけたかのような凄みのある声。
「!!」
「誰だ──、ぐはぁぁっ」
マーラは目を見張った。
たった今話題にしていた人物が。死んだはずのコンラートが、聖剣で狩人の背を貫いていたから。
「コンラート──殿下っ! なぜ!」
「取り繕わなくていいんだよ? お前たちに殿下と呼ばれると、なんだか虫唾が走るからね」
にっこりと、血濡れた剣を引き抜きながら、王子コンラートが笑う。
ザアッと音を立てて狩人の身体が塵になり、剣の血が消える。
魔族が滅せられた証拠だ。
「魔族の企みは潰えた。襲撃した連中は一網打尽にしたから、オディリアを迎えに来たんだ。当然だろう、大切な妻と子なんだから」
まだ結婚してない、とはマーラは訂正しなかった。
コンラート出現と彼の言葉からの衝撃が大きく、そちらに意識を割くので精いっぱいだ。
「死んだはずだ。死んで……。それよりも我らの正体を」
「巧妙に化けたつもりだろうけど、無理だよ。ニオイが違う。お前たちからは人外のニオイがした。勇者の鼻を舐めるものではないよ」
「く! 今お前を消せば、同じこと! オディリア様は渡さない!!」
マーラの手に魔導の火が宿る。
白目は黒く、瞳は赤く。牙ものぞく姿は、魔族の本性そのものだ。
「彼女は僕のものだ。返してもらう」
宣言は短く、攻撃も一瞬だった。
それだけでマーラの胴は横に切られ、ホロホロと崩れていく。
聖剣は、魔族の肉体を消滅させる。
「こ、んな……。ようやく魔王陛下を……、お迎えできるはずが……」
「魔王の心配は、しなくていい」
フッと鼻で笑ったコンラートは、剣を鞘に納めると足早に階段を駆け上った。
◇
「殿下!」
「ああ、オディリア! 無事で良かった! 魔族は排したよ」
山小屋で、恋人たちが熱い抱擁を交わす。
「大丈夫だったかい? キミに過酷な旅をさせて申し訳なかった」
「平気です。殿下が来てくださると信じてましたから」
「手紙は──」
「ダミーの手紙は、マーラが燃やしてましたわ。私に気付かれてないと思っていたみたいですが」
「まったく名演技だね、オディリア。キミには敵わないよ」
「殿下が私の言葉を信じてくださったおかげです」
きゅっ、と、互いが背中に回した腕に、力がこもる。
「まさかキミが勇者と旅した聖女の生まれ変わりで、占術師の予言より先に魔族の襲撃を予見してただなんて……。魔族は夢にも思わなかっただろうね」
特に"妊娠を計画して魔族をおびき寄せた"など、想像もしてないに違いない。
魔王討伐の折、魔王の最期の叫びを聖女は聞いていた。
"三百年後の世界に、勇者の血に転生して復活する"。
彼女はそれを阻止するため、転生の術を自分にかけて魔王を追った。それが可能なほどの大聖女だった。
ひとりで戦うことになるだろうと踏んでいたが、幸いにもコンラートが彼女から憂いを聞き出し、オディリアの負担を分かち合ってくれた。
そして今も、こんなにも大切にしてくれている。
コンラートのことが好きだ。コンラートも自分を好いてくれている?
ただ、彼からの好意につけ込んでしまった負い目が、オディリアを素直にさせない。
走り出しそうな感情は抑えて、国のために尽くさなくては。
オディリアはグッと息を呑む。
「前世の知識で、いまの私があります。ラド薬は、口にしませんでした。あれは魔族を作る薬ですから」
魔族の国に生息する希少な植物で調合された薬は、材料も製法も、ひとの国には存在しない。してはいけない。
マーラがそれを食事に混ぜていたことを、オディリアは察知していた。だから悪阻を装って、拒否し続けた。
「うん。身体は平気? 食べれてないんじゃ──」
「大丈夫ですわ。そんな時のための治癒力です」
「聖女様の治癒力は、万能なんだね」
コンラートが、優しくオディリアを見つめる。
「だけど、食事は摂らないと」
「でも、絶食から突然食べたら、拒否反応が出てしまいますわ」
「そう? じゃあ少しずつ、慣らしていこう。まずは僕で」
「え」
オディリアは聞き返せなかった。唇を熱く封じられては、何も言えない。
彼の全身から、オディリアを愛おしむ気持ちが伝わってくるから、彼女はそのまま彼の気が済むまで受け入れる。
「んっ……」
渇望するが如くオディリアの唇を求めていたコンラートが、ややあってそっと体を離す。
名残惜しそうにふたりを繋ぐ唾液は、どちらのものか。
「ずっと心配だった。いくらキミの前世が聖女様でも、単身で魔族と旅だなんて。何度、作戦変更を要請したかった事か」
「殿下──」
コンラートの真剣な眼差しに、オディリアも火照る身体を抑え込む。
「おかげで魔王派の魔族を城に誘い込み、一網打尽に出来たよ」
「魔王派?」
「いや、ん、そうだね。とりあえず帰ろう。新居として建てた城を、まだ見てないだろう?」
「ええ、きゃっ。自分で歩けます、コンラート様」
オディリアを抱き上げたコンラートに向けて、軽い抗議の声が上がる。
「運ばせて欲しい。長い間キミと離れていて、僕は寂しかった。まだ離れられそうにないから、キミと子どもの体温に触れていたい」
くすっ、とオディリアが笑う。
有能で知られるコンラートが甘える姿など、城の誰もが見たことないだろう。
(私だけが知ってる、甘えん坊のコンラート様)
あたたかな気持ちとともに、心にかかる不安をオディリアは口にする。
「お腹の子は……、本当に産んでもよろしいのですか?」
「もちろん。どんな魂を宿していても、子どもに罪はない。人として導こう。聖印を刻めば、魔王が出てくることはないだろう」
「はい……。私もそう、存じます」
「赤ちゃんと会えるのが、楽しみだよ」
「はい、殿下……。はい」
帰ったら、婚約破棄が狂言だったことを周知しないと。
もっとも旧王城の一室で行った茶番劇だから、知る者も限られているが。
そんなことを思いながら、コンラートはオディリアの額に口づけを落とし、気遣うように足を運ぶ。
(ごめんね、オディリア。僕はキミに、話してないことがあるんだ)
チラ、と彼女のお腹を見る。まだ膨らみも目立たず、いるかいないかわからないくらい、胎児は静かだ。
(──魔王の転生などナンセンスでしょう、父上。いい加減、代替わりしていただかないと。それとも名もなき息子のことなど、とっくにお忘れですか?)
ピクリ、と腹の子が動いた気がした。
オディリアが何も言わないので、コンラートの気のせいかもしれない。
(魔族のくせに魔力がないクズと虐げて、勇者来訪の際には僕を盾がわりにした魔王陛下。あなたは僕の子として、ただの人間として生まれるんです)
聖印を刻めば、魔族としての魔力は練れない。
魔力のない身に落ちるのは、元魔王としてさぞ屈辱なはず。
(記憶は……、残ってないほうがいいな。そのほうが幸せだろう)
名前はどうしようか。
さすがに魔王子だった自分と同じ、「クズ」という名前には出来ない。
今世の自分にはコンラートという立派な名前がある。前世とは違い、大切に育てられた。
そのコンラートの血を引く、王族の子として生まれるわけだし、自分がされた理不尽を誰かにするのは、本当のクズだ。
(ふぅ、やることが山積みだな)
ちゃんと愛せるだろうか。中身はどうあれオディリアの子だ。邪険には出来ない。
そして──。
残った魔族たちに知らしめる。
勇者の血を引く"最強の魔王"とは、この僕だと。
人間の国も魔族の国も、僕がいただく。
予言の魔王役は、僕が引き受ける。
だが侵略は無しだ。魔族には大人しくしていて貰おう。
オディリアが。
聖女様が望んだ、平和な世を作るために。
(過激な魔王派は滅した。残っているのは、日和見派と魔王子派。問題ない。……誰にも気にかけられなかった魔族の王子を、唯一"弟子"として育ててくれた大恩ある聖女様に今こそ報いる。そして、転生しても冷めやらなかった僕の想いを受け入れて貰う)
オディリアからの信頼は勝ち取ったと自負しているが、愛となるといささか……。
政略結婚の域を出れていないと思うのだ。身体を許して貰った時も、彼女には「魔王を封じる」という意識のほうが先にあった。残念でならない。こんなに求めているのに、ほとんど通じていないとは。
(聖女様、ニブいからなぁ、今も昔も。まあ、そこも愛らしいんだけど)
オディリアをゆっくりと解いていこう。
狂おしいほど慕っているのだと、しっかり伝えていこう。
三百年待ったから、きっとあと少し。
青い空には銀杯のような三日月が傾き。
祝いの酒を授けるよう、コンラートとオディリアに向けて輝いていた。
お読みいただき有難うございました。
冒頭にも書きましたが、こちら、『血色の月に導かれ』の続きとなります。
企画参加の短編だったのですが、気になるところで終わったのでたくさんのお声をいただき、「じゃあ物語が閉じるところまで書こうか」と続きを書きました。
まだ続きそうな気配はありますが、一段落はしたと思います。
すみません、長編になりそうだったので、手短にたたんじゃった(∀`*ゞ)テヘッ
前回、無知で無力な令嬢に見えたオディリアの前世は、勇者に同行した聖女でした。
城とともに落命したかに見えた王子コンラートはめっちゃ元気でした。でもって中身は、前世、虐げられた魔王子で、勇者が来た際、父である魔王に盾にされ瀕死。そのまま死ぬはずが、幼い彼があまりに哀れな見た目だったことから聖女によって救われ、彼女の弟子として育てられます。オネショタでヤンデレが成り立ってしまいました。
だもんで今世でも聖女ラブ、その転生体であるオディリアのために何でもしたいマンな彼は、彼女とともに魔王派の魔族を撲滅。(魔族たちから魔王子らしい扱いを受けたことがないまま、人間に大事にされたので仕方ないと思う)
人間の王子コンラートとして、魔王の転生体である赤子の監視と、魔族の管理を担うことになる。
──という、趣味丸出しの短編でした。たまにはリクエストにお応えしたくて…(;´∀`)
楽しんでいただけましたら幸いです♪(´艸`*)