第53話 それぞれの春
桜が満開を迎える四月。
希美は、美容専門学校の入学式に出席したその日から、新しい道を歩き始めた。朝は少し早くなったけれど、制服ではなく、私服とメイクで身支度を整える彼女の姿には、もう少女の面影はなかった。
「今日はワインディングの授業。ロッド巻くの、ぜんっぜんうまくいかない〜」
そう言いながらも、毎晩遅くまで自分のウィッグと向き合い、指先にマメを作っている姿を見ると、胸がいっぱいになる。彼女の“夢”は、今、現実のものとして形になりつつあった。
一方の雅紀は、強豪高校のサッカー部での練習に早くも揉まれていた。
毎日くたくたになって帰宅してきては、家では床に転がるように眠ってしまう日もあったけれど、それでも朝になると自ら起きて、誰よりも早くグラウンドへと向かっていた。
「中学の頃とは、ぜんぜん違うよ。でも、楽しい」
短くそう言って見せる笑顔に、私たちは何度も励まされていた。
優斗も仕事が忙しくなっていた。部長職になってから、帰宅が遅くなる日も増えた。
それでも彼は、子どもたちとの時間を大切にしていた。夜遅く帰ってきた日も、希美や雅紀の靴が玄関にそろっているのを見て、少し顔をほころばせるのだった。
「この家は、みんなの頑張りであったかくなってるなぁ」
そんな彼の言葉に、私はふと涙がにじみ出そうになった。
私も、小さな出版社での主任という立場に慣れつつあった。
若い編集者たちのサポートにまわることが多くなり、自分の経験が誰かの役に立つことの意味を、改めて噛みしめる日々だった。
ある週末。家族全員が揃った夕方、ベランダで夕焼けを見ながら四人で並んで座っていた。
「これから、どうなっていくのかな」
希美がぽつりとつぶやく。
「わかんないけど、頑張ってれば、なんとかなる気がする」
雅紀がそう返すと、優斗が笑いながら言った。
「大人も、毎日そう思いながら生きてるよ」
私は黙ってうなずいた。
たしかに、未来のことはわからない。けれど、家族という土台がしっかりしていれば、きっと乗り越えていける。
それぞれの春が、確かに始まっている。
そして私たちは、互いの背中を見ながら、寄り添い合いながら、また新しい季節を迎えていくのだろう。




