第46話 少年のまなざし、大人の扉
「もう子ども扱いしないでって、言ったじゃん」
雅紀がそう言って私を見たとき、私は咄嗟に言葉を飲み込んだ。
小学六年生のころまで、甘えん坊だった彼は、中学に入って急に背も伸びて、声も低くなっていた。
春、制服姿で初めて登校する後ろ姿に、私は胸がじんと熱くなった。
「ちゃんと弁当持った? ハンカチも──」
「うるさいなぁ、もう!」
返事は投げやりだったけれど、玄関の扉を出るとき、彼は小さな声で「いってきます」と言ってくれた。
部活はサッカー。練習は厳しく、毎晩汗だくで帰ってくる。
「もうクタクタ」と言いながらも、彼の目はいつもまっすぐだった。
ある日、試合を見に行くと、チームメイトに声をかけながら走る姿に、どこか「男の子」ではなく「青年」の気配を感じた。
結果は惜しくも負けだったけれど、試合後に泣いていた仲間の肩を黙って叩く息子の姿に、私は言いようのない誇らしさを感じた。
帰り道。
「……勝たせてやりたかったんだけどな、キャプテンなのにさ」
雅紀は、静かに呟いた。
「みんなのこと、よく見てたよ。かっこよかったよ」
そう伝えると、彼は一瞬だけ、うつむき加減に笑った。
「ありがとう」
たったそれだけの言葉に、確かな成長がにじんでいた。
家では姉である希美と些細なことでよくケンカをしていたが、ときには先に謝って折れることも増えてきた。
夜、リビングで寝落ちしていると、毛布をかけてくれるような優しさも、いつのまにか芽生えていた。
そしてある日、夫がつぶやいた。
「なんか、俺がいないときのほうが、頼りになるかもな、あいつ」
冗談めかして笑ったその声に、私も思わず笑った。
きっと彼は、まだまだ未完成で、たくさん失敗もしていくのだろう。
でも、もう私がすべてを手取り足取り教える時期は過ぎたのだと、ふと気づく。
小さな手を引いて歩いた日々は遠く、いまは少し離れて、そっと見守る日々。
少年だった雅紀は、今、少しずつ「大人の扉」の前に立っている。
その背中に、私はそっと祈る。
どうか、自分の足で、まっすぐに歩けますように──と。




