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第45話 見えない壁、見つけた気持ち

「今日、夕飯いらないから」


希美がそう言って、スマホをいじりながら部屋に引き込んだのは、中学から高校に上がって少し経った春のある日だった。

一緒に食卓を囲む時間はどんどん減って、何を考えているのかも分からなくなっていた。


「最近、目も合わせてくれないね……」


ぽつりと私が言うと、夫の優斗は新聞をたたみながら答えた。


「思春期ってやつだよ。ほら、俺だって昔、親に口きかない時期あったし」


分かってる。頭では、ちゃんと分かってる。

けれど、胸の奥はちくちく痛んだ。


娘は優しくて、素直な子だった。私たちのことが大好きで、なんでも話してくれていた。

だけど今は、私の言葉にすら苛立ちを見せる。


「どうしてそんなに怒ってるの?」

「別に。ほっといて」


短く、冷たく切られる言葉に、私は何度も心をそっと閉じた。


ある夜、希美が部屋に閉じこもったまま、なかなか出てこなかった。

夜遅く、そっとドアをノックすると、部屋の中からすすり泣く声が聞こえた。


「……どうしたの?」


返事はなかった。

でも、そのとき私は、希美の背中にもう一度そっと手を伸ばすべきだと思った。


「泣きたいときは泣いていいんだよ。大丈夫、ちゃんと聞くから」


しばらくして、希美が声をふるわせながら言った。


「……友だちとケンカした。自分でも何が正しいのか分からなくなっちゃって……」


それから希美は、ぽつぽつと心の中を話してくれた。

友だちとのすれ違い、自分の容姿への不安、将来への焦り。

「大人にならなきゃいけないのに、どうしてもなれない自分が嫌」と、泣きながらこぼした。


私は希美の肩を抱いて、ただ静かに寄り添った。

叱るでも、なだめるでもなく、ただ「分かるよ」と何度も伝えた。


私にも、そんな時期があった。

母とうまくいかず、自分の輪郭をどこかに置いてきたような、孤独な時間が──。


だからこそ、私はこの子に同じ思いをさせたくなかった。


翌朝、希美は少しだけ腫れた目で「いってきます」と言って、玄関を出た。

その背中に「いってらっしゃい」と返した声は、少し震えていたけれど、どこかあたたかかった。





思春期は、親にとっても「見えない壁」と向き合う時間。

けれど、それを乗り越えたとき、家族としての信頼はより強く、深くなるのだと、「私」はようやく気づいたのだった。



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