第37話 旅立ちの準備
春の風が、少しずつ冷たさを手放し始めたころ。
長女希美は小学校4年生に、第二子の雅紀は年長クラスに進級した。
保育園の門の前で、小さなリュックを背負った雅紀を見送りながら、私はふと思う。「あの子も、来年は小学生なんだ」と。
「おかあさん、ぼく、もう自分で靴履けるよ!」
「ほんと? すごいじゃん!」
スニーカーのマジックテープをぎゅっととめて、満足げに顔をあげる雅紀。その笑顔に、数年前の赤ちゃんの面影を重ねて、目の奥が熱くなった。
ある日、学校から帰ってきた希美が言った。
「ママ、今度の学習発表会、来てね。わたし、クラス代表のナレーターやるんだよ!」
「えっ、すごいじゃない!」
「先生がね、“声に力がある”って言ってくれたの。うれしかった」
思えば、希美は小さい頃は泣き虫で、人前に出るのが苦手だった。けれど今では、クラスの中心で堂々と話すようになっている。
「ねぇ、ママ。わたし、大きくなったら、本を書く人になりたいな。ママみたいに」
「……ママも、そう思ってたよ」
ふいに娘が抱いてくれた夢に、自分の原点が重なって、胸がいっぱいになった。
一方、雅紀はというと、最近「ひとりで寝る!」と言い張って、夜に自分の布団で眠るようになった。
夫と目を合わせて、思わず笑う。
「君もそろそろ“子離れ”かな」
「そっちこそ、“親離れ”されて寂しそうじゃない?」
「……ちょっとだけね」
「僕は、まだまだ寂しいぞ」
その言葉に、私はそっと手を握った。
「でもね、寂しさって、ちゃんと大事に育てた証拠だよね」
「うん、そうだね」
春休みには、姉の家族と合同で一泊二日のキャンプにも出かけた。
姪や甥と並んで虫取りをする子どもたち。姉と私は焚き火の前でマシュマロを焼きながら語り合った。
「それにしても、うちらも“親”になったんだね」
「そうだね。あっという間だった」
「次は、子どもたちがどんな大人になるか、見守る番だ」
「……でも、できることなら、もう少しだけそばにいたいな」
「それ、すごくわかる」
笑いながら、どこか切なくなる春の夕暮れだった。
子どもたちは、それぞれの“旅立ち”に向けて、少しずつ準備をしている。
私はそれを見守りながら、自分の人生の次のページをめくる準備をしていた。
家族は、いつも変わっていく。けれど、変わっていくことでしか、前には進めない。
だから私は、今日も心を込めて「いってらっしゃい」と手を振る。
いつかその背中に「ありがとう」と言ってもらえる日が来ることを、願いながら。




