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お返し


「あ、危ない、」

私・芽吹菫は、落ちかけているその女の子の服を掴んで、身体を支えていた。

大学構内にある階段。そんなに段数は無いけど、落ちたらそれなりに怪我をするだろう。

運良く、彼女も立て直してくれて、事無きを得た。

「ありがとうございます。助かりました」

振り向いた女の子は、サラサラの綺麗な長い黒髪ストレートヘアー。パステルピンクのワイシャツに、ベージュのスカート。にっこり笑う目は、ぱっちりと大きく、同性の私から見ても可愛らしい見た目だ。

「いえ。落ちなくて良かったです。気をつけて」

安心した私は、会釈して彼女を追い越しそのまま帰途につく。視線を感じた気がしたけど、直ぐ分からなくなった。


それから数日。

大学内外で、私は視界の隅に彼女の姿を捉えるようになった。後ろ姿だけど、パステルピンクのワイシャツに、ベージュのスカート。いつ見ても、助けたあの日と同じ格好でいる。大学構内だけならともかく、家路の途中や佐和商店の駐車場でも見るようになると、流石に変な気がして来た。いつも一定の距離を保ってる。気にはなったけど、実害は無いから放っておくことにした。いちいち気にしていたら、キリが無い。

その日も、いつも通り佐和商店でバイト中だった。

閉店間際。倉庫の方から、激しい物音がした。私はレジ前の商品棚、榊さんは外に掃除に行ってるから、今倉庫は無人だ。ラップ音。今日は一段とうるさい気がする。店の入口のドアが開く音がして、その方を見た私は息を呑む。彼女だ。相変わらず可愛らしいその子は、にっこり笑うと真っ直ぐ私の元へ来る。滑るように来た彼女に、思わず一歩引く。

「あなたにお礼をしたくて!」

「えっ?」

手には、真っ赤な小箱がある。それを開けると、チョコらしきものが入っていた。丸く平らで、表面に波模様の絵が描かれている。綺麗なもの。

「とても良いものだから!」

「ひえっ」

胸元を急に掴まれたと思ったら、力が抜けて膝を付いてしまう。そのまま仰向けに押し倒され、にこにこ顔の彼女が馬乗りで私にチョコを向ける。人でもお化けでもヤバい人だ。悲鳴が出掛けたところで、首を押さえられる。しかも片手。片手なのに、この子のどこに?という力で押さえつけられる。締めては来ないけど、痛いしびくともしない。

「離して……っ!」

両手で抵抗すると、ぐっと力が増した。楽しげな声が降って来る。

「これを食べてほしいの。助けてくれたあなたに」

こんな時に、恩を仇で返す、という言葉が頭をぐるぐる回る。

「さあ、食べて食べて」

苦しくなって開けた口に、チョコを無理矢理入れられた。あっという間に溶けて、中から何か液体みたいなのがとろりと流れ出る。チョコにも液体にも、味は無い。吐き出そうとしたけど、口を塞がれて、その内に直ぐ消えてしまった。苦しいし怖いしで、パニックになる。

「良かった!あなたに渡せて」

すっと彼女が立ち上がる。嬉しそうに。私は急に空気が入って来て咳込んでしまい、涙が出た。起き上がれない。

「菫!」

榊さんの声が飛んで来たのと、女の子が消えたのは同時だった。榊さんが来てくれて、起こしてくれる。

「……ありがとうございます……」

「話すな」

事務所まで運んでもらい、椅子に座った時には大分落ち着いた。

「首、赤いな」

そっと撫でられて、息を吐き出す。

「助かりました……」

榊さんは苦笑いしている。

「すずちゃんが教えてくれたんだ。すみちゃんが危ないってな」

すずちゃん。倉庫にいるお化けで、唯一意思疎通が出来る女の子。全然気づかなかった。

「後でお礼言いに行きます……」

「ピンクのワイシャツの女の子が居たけど。何があった?」

私は榊さんにこれまでのことを説明する。

「人じゃないやべー奴助けちまったってことか」

そういうことになる。改めて言われると、泣きたくなった。あのチョコは何だったんだろう。落ち着こうと水を口に少し入れて、思いきりむせた。口を押さえて下を向いたけど、水が指の間から落ちて行く。

「大丈夫か!?」

普通の、ペットボトルの水を口にしたはずなのに、泥水の味がする。口に広がる土の匂いも、消えない。ボトルの水の匂いを嗅いでも、今は普通の水。

「何で……」

背を擦ってくれた榊さんに説明すると、目を丸くした。

「水だけなら良いけどな……」

嫌な予感がした。榊さんが、デスクに置いてた飴を取る。イチゴ味。

「全部口に入れるな。むせたら詰まらせるかもしれんし」

頷いて赤い飴を受け取り、少し舐める。甘さも酸っぱさも無い、土と水の味。

「うっ、ダメです……泥水……」

「妙なことになったな」

榊さんと顔を見合わせる。訳が分からない。あの子は何者?それにこれ、このままだったらどうしよう……水が飲みづらいのはしんどい。その時、事務所の電話が鳴った。榊さんが取る。

「店長?ああ、居るけど。はぁ?今から?……分かった。店閉めて待ってる」

首を傾げて榊さんが受話器を置く。

「吉瑞さんですか?」

「おう。これから来るって。すみちゃんと待ってろとよ」

「どうしたんでしょう」

とりあえず諸々の片付けをして、店も閉めた頃、吉瑞さんが来た。

「ごめんねー!二人ともお疲れ様!ちょっと時間頂戴!」

吉瑞さんがノリノリでやって来た。グロッキーな気分が、少し和らぐ。

「あのね、これ一緒に飲もうと思って!」

三人で事務所に入ると、吉瑞さんがカバンから五百ミリくらいの瓶を取り出す。透明な瓶に透明なーー

「お酒?」

「堂々と店で飲酒するつもりかよ。どうした」

「いやいや。主に菫ちゃんに飲んでほしいのよ」

「へっ?」

私と榊さんは顔を見合わせる。どういうこと?

「じいちゃんが、菫ちゃんに飲ませろ、って。私と榊も厄払いになるから今回は特別に店閉めた後なら、店で飲んで良いよ、って。訳分かんないよね」

え。芳賢さん、何で。訳が分からないままお酒のラベルを見て、私は二度見した。

「このロゴ……」

「どうした」

あの子に食べさせられたチョコに描かれていた、波模様の絵。ちょっとゾクッとした。

榊さんに話したら、真面目な顔でお酒を調べる。

私もよく見たら、神社で出してるお酒らしい。『清流』と達筆な文字で書かれている。お神酒とは書いてない。あまり詳しいことは分からなかった。それに、妙に喉が渇いてくる。

「いただいても、良いですか」

「もちろん!グラスも持って来たよ」

「お前な……」

吉瑞さんから小さくて綺麗なグラスを借り、お酒を注いでもらう。また泥水の味がしたらどうしよう。

「菫ちゃん?」

お酒を見つめて迷う私を、吉瑞さんが不思議そうに見ている。私は首を横に振って、グラスを煽る。入って来たお酒は、とても綺麗だった。美味しいとかじゃなくて、内側から浄めてもらえるような、不思議な感覚。大分遅れてアルコールの存在が主張して来た。

「……美味しいです」

何と言って良いか分からなくて、とりあえず、それだけ告げる。

「大丈夫か?」

榊さんに顔を覗き込まれ、私は頷く。

「凄く綺麗な味がします」

榊さんと吉瑞さんが首を傾げる。でも直ぐ、吉瑞さんが目を輝かせた。

「めちゃくちゃ美味しそうだね!」

「待て待て。すみちゃんがあと二杯くらい飲んでからな」

「分かってますー」

吉瑞さんが言いながら、また注いでくれる。次のも問題無く飲めて、結局三杯飲んだ。その後は榊さんと吉瑞さんも口を付ける。

「何これ美味しー!!飲みやすいね」

「へえ、美味いな」

三人であっという間に瓶を空けてしまった。榊さんに水のペットボトルを渡される。

「飲んでみろよ」

頷いて、水に口を付ける。いつも通りの、普通の水の味。

「……戻りました」

「そうか。良かったな」

榊さんがホッとしたように息を吐き出す。吉瑞さんが不思議そうに私たちを見る。

「どうしたの?二人とも」

「いえ……ありがとうございます、吉瑞さん。芳賢さんにも、お礼を伝えてください」

「よく分かんないけど、分かった。美味しかったね、このお酒!」

にこにこ笑う吉瑞さんを、榊さんが呆れた顔で見ていた。


それからは、あの子を見かけることは無くなった。身体も何とも無い。

あの波模様のロゴのお酒を探してみたけど、見つからなかった。ラベルに書いてあった神社の名前も、思い出せない。榊さんと吉瑞さんも同じ。いつの間にか、あのお酒の空き瓶も無くなっていて、吉瑞さんも分からないらしい。芳賢さんには、厄が去ったなら良いじゃない、と優しく笑って言われたから、結局そのままになった。

すずちゃんにお礼を言ったら、シャボン玉遊びして!とお願いされたので、今度一緒に遊ぶ予定だ。



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