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死者のダンスホール


「芽吹さん」

呼ばれて、芽吹菫は振り向いた。大学の構内。夕方とは言え日が暮れていて、真っ暗である。

菫の前には、男女十人ほどの学生がいた。見たことの無い顔触ればかり。菫は怪訝な顔をする。

「あのね。私たち、ダンスホール行くんだけど、芽吹さんも行かない?」

「え?」

何の脈絡も無い誘いに、菫は目を点にする。

「凄く良いとこだからさ。行こうよ」

笑う口元が見える気がするが、皆顔が陰が掛かったようにはっきり見えない。菫は後退る。

「……行きません」

全員一様に、ゆらゆら揺れている。

(この人たち生きてない……)

笑う学生たちの足元に影が無い。駆け出そうと背を向けた瞬間、腕やら足やらを掴まれて、転ぶ。地に身体が着かず、浮遊感を感じたところで、菫の意識は遠退いた。


「う……」

菫は冷たい床で、一人目を覚ました。辺りは暗く、自分が何処に居るのか分からない。

(荷物は無事だ……)

スマホで時間を見てみると、深夜だった。榊から何件かメッセージや着信がある。圏外では無さそうだ。そのまま辺りを照らすと、崩れた壁や壊れたパイプ椅子などの物が散乱しており、廃墟のようである。窓らしきものに近付いてみたが、外には闇が広がるばかりで景色は見えない。

(まずいとこに居る気がする)

ゾワゾワと、外気だけでない寒さが足元から這い上がって来る。菫はスマホが本当に繋がるか確認しようと、榊へ電話を掛けた。

“菫か?寝てたか?”

榊の声を聞いた瞬間、菫はホッとして、溜息が出た。最近は、バイトがあろうと無かろうと、授業終わりに菫が他愛もないメッセージを送るのが習慣になっている。今日は送る前にこんなことになっているので、菫は何から説明しようか一瞬考えた。

「寝てたことには違いないんですけど……」

菫が話すのを、榊は黙って聞いていた。

“分かった。怪我は?”

「ないです」

“そこ何処か、分かりそうか?”

「今の部屋からだと分からなくて……あ。あの人たち、ダンスホールって言ってたんですけど。白水市にダンスホールの廃墟とか、ありましたっけ?」

“待ってろ。調べる”

しばらくの沈黙とキーボードを打つ音の後、再び榊が話し出す。

“あるな。家から割と近い”

状況を忘れ、二人はへぇ、と感嘆の声を上げる。

「そこだと良いんですけど……」

“とりあえず行くから。着いたら連絡するけど、何かあったら直ぐ電話しろ”

「ありがとうございます」

電話を切り、菫は息を吐く。榊が来てくれると分かると、不安感が減った。スマホの明かりを頼りに、菫は今いる部屋から出る。

(出口どこだろ……)

荒れた廊下を進んでいると、何か音楽が聞こえて来た。出処である部屋の少し重い扉を開くと、きらびやかな光が菫の目に飛び込んで来た。

「……ミラーボール……?」

無人のホールに、一つだけ。銀色のミラーボールが廃れたステージへ、フロアへ、白銀の光を散らしている。ダンスホールには、しんみりするような静かな音楽が流れていた。どうも、菫がイメージするダンスホールと様子が違う。

「ここは、死者の為のホールです」

真後ろから落ち着き払った低い男性の声が聞こえ、菫はバッと振り向く。青白い顔の初老の男。白髪をきっちり撫でつけ、ホテルの支配人のような出で立ちだ。こちらもちぐはぐ。

「……死者の為、というのは」

菫が尋ねると、男は僅かに顔を上げた。端正な顔立ちながら、無表情。

「今はこのように静かですが、しばらくすれば一夜限りを楽しむ為老若男女問わず、このホールに集まるのです。踊り、歌い、迷わず行くべき場所へ上がれるよう」

「上がる……」

成仏、ということだろうか。

「生者の方は入れないことになっておりますが。最近、このミラーボールを使い、悪さをする者たちがいるようです」

「悪さ?」

「はい。ミラーボール、というのは、小さな鏡の集まり。ここにありますミラーボールは、ただの照明ではございません」

言われて、菫は中のミラーボールを見上げる。その目は不思議な色になっていた。しばらく見ていると、菫は分かって来た。

「あれは、魂ですか?」

男は僅かに目を見開く。

「ほう。お分かりになりますか。あのミラーボールには、人の魂が封じられた鏡を使っております。あの輝きの数だけ、魂があるのです」

菫は目を反らした。ぎらりと輝く無数の鏡。あれが全て……。

「……何故、あんなミラーボールが?」

「あれは、上がれぬ悪しき魂たちです。昔、このホールでは悪漢たちの諍いにより火を点けられ、無関係の者たちも多く亡くなりました。悪しき魂は上がれません。鏡に逃げ込み、そのまま縛られているのです。そして、迷う魂を導く光とされています。ミラーボールとして」

「そんなことが……」

男は口に人差し指を当てた。菫は口を閉じる。

「ご説明の途中ですが、そろそろ始まります。貴女様はこちらへ。お迎えの方は私がご案内しましよう」

「え!?」

何故榊が来ることを知っているのか。男は答えず、また指を口に当てる。

「こちらへ」

菫は今度こそ黙って頷くと、男に案内されるまま、ホールより右の奥の部屋へ入る。

(この人も幽霊だけど。悪い感じも怖い感じもしない。それにしても変なとこに連れて来られちゃったなあ)

「なるべく声や音を出しませんよう」

言われた言葉に頷き、菫は棚の陰に身を潜める。

榊に早く来てほしいが、来るのも危ない気がしていた。菫は榊へメッセージを送る。

“ここ危なそうなので、来てほしいですけど気を付けてください”

直ぐに返事が来た。

“俺より自分の心配しとけ!無茶するなよ 一人で突っ走るなよ”

“分かりました”

(すごい信用無い)

榊が呆れた顔をしているのが想像出来て、こんな時なのに、菫は少し笑みが浮かんでしまう。だが、大勢の足音が近付いて来るのが聞こえて、身体を固くする。

(老若男女、ってあの人たちが?)

こういう目に何度となく遭っているが、慣れることは無い。菫は一瞬目を強く閉じた。一つの足音が真っ直ぐこの部屋にやって来る。さっきの男かと思ったが、足音が彼と違って煩い。

(何か、怖い。誰……?)

バン!とドアが開く。真っ直ぐに、菫の元へ足音が向かって来た。

「見つけた見つけた!せっかく連れて来たのに、居なくなるから逃げられたかと思った!」

「え、」

若い金髪の男。陰が掛かり、顔はよく見えない。パッと強引に、腕を掴まれて立たされる。

「わっ!ちょ、離してください!」

「楽しいパーティータイムなんだから、良いじゃん!」

ぐっと手が腕に食い込む。振りほどけない。

「痛いっ!離して!」

「こっちこっち!」

菫の声には答えず、若い男は菫をずるずるとホールへ連れて行く。ホール内はさっきとは真逆の、騒々しい空間となっていた。ミラーボールの銀の明かりが、大勢を照らしている。影と顔のない大勢の男女が歌い、踊っていた。若い男は空いている手を、菫の腰へと伸ばす。

「ね、俺と入れ替わってよ」

「え?」

「ーーこの娘は俺のだ、触んな!」

菫の背後から拳が飛んで来て、若い男が吹っ飛んで行った。菫は何が起きたか分からず、固まる。後ろから、暖かい手が菫を優しく抱き締めた。

「よぉ。待たせたな、菫」

振り仰げば、榊がにやっと笑って菫を見下ろしていた。

「死んでも変わんねぇな、この手合いのヤツは」

「晃さん……ありがとうございます」

菫は榊の手に触れ、力が抜けたのか少し身体を預ける。榊は優しく目を細めた。けれど、菫は直ぐに立て直し、榊に向き直る。

「ホール出ましょう」

榊の手を引いて、ホールを出た。男一人吹っ飛ぶ事態が起きても、大勢の人々は騒ぎ続けている。ホールの外では、あの男が待っていた。

「ご無事で何よりにございます。こちらへ」

男は問答無用で、二人をホールより離れた部屋へ入れた。

「あの、さっき若い男の人の霊に、入れ代わってって言われたんですけど」

菫が言うと、男の目が僅かに見開かれる。

「そうでしたか。やはり」

「何の話だ?」

菫は、榊にミラーボールの話をする。男も口を開いた。

「先程申し上げました悪さをする者たちです。自分と入れ代わりに貴女様方を鏡へ閉じ込めるつもりかと」

「え、」

「迷惑な」

男は顔を上げ、二人を見る。

「これまでにも度々、生きた人間たちをここへ連れて来て入れ代わる者たちがおりましたので」

「ああ。肝試しに来た若者や失踪した人間が別人みたいになって帰って来た、って話ネットに上がってたな」

榊の言葉に、男は頷き、菫は真っ青になっている。

息を吐き、男は菫と榊を見た。

「あのミラーボールを壊すしかありません。割れれば、悪しき魂は二度と出られないのです。上がれる日が来れば、と照らし続けて参りましたが、関係の無い生きた人間をこれ以上犠牲にする訳にはいきません。手伝っていただけないでしょうか」

男は頭を下げる。榊は腕を組み、男を見やった。

「あんた、」

言い掛けたところで、足音が複数聞こえて来た。

「どうやって壊すか、考えているんですか?」

菫が声を潜めて尋ねる。榊が眉を顰めた。

「おい、菫」

「このまま逃げ出せても、また連れて来られるかもですし」

「……これだよ……」

榊は溜息をつくが、それ以上はもう反論しなかった。男が口を開く。

「ミラーボールは火事の影響で、あの場所から取り外すことはもう出来ません」

「じゃあ、何か投げて当てるか」

「夜明けも近いです。丁度良いかと」

「夜明け?」

「夜が明けると、魂は鏡へ強制的に戻るのです」

菫と榊は窓だった場所を見る。確かに、空が白み初めていた。朝が近い。

「なるほどな」

榊が言ったところで、ドアが乱暴に開けられる。榊は菫を背に隠す。複数人の霊が入って来る。男が反対側へ向かう。そちらにもドアがあった。開いて二人を呼ぶ。

「こちらへ」

二人はドアへ駆ける。そのまま男について、ホールへ向かった。


ホールの中は、今は無人になっていた。音楽も、菫が初めて見た時に聞いた、静かな曲が流れている。ミラーボールの無数の光がホール中に散っていた。

「もう、皆上がったようです」

男が淡々と説明し、直ぐに皆で、何か投擲出来そうな物を探す。

「意外と、投げようとすると丁度良いもん無いんだよな」

なかなか見つからないまま、また足音がやって来る。

「来ますね」

「げ。早ぇな」

ホールのドアが乱暴に開き、大勢が雪崩れ込んで来る。菫の傍らに居た男は、懐から何かを取り出し、菫に渡す。

「こちらをお使いください」

赤く丸い物。重さがあり、キラキラと光っている。一瞬ミラーボールかと思ったが、時間が無い。菫はそれをよく見ることもせず、少し離れた場所に居る榊の名を呼ぶ。

「晃さん!」

菫は榊へそれを投げた。危なげなく、榊は受け取る。目を見開いてそれを見た。

「ミラーボール?いや、オーナメントか」

赤くキラキラと輝く小さなミラーボールのような飾り。紐と、何かタグが付いていた。小さい割に重さがあり、投げやすそうだ。建物の隙間から、朝日が差して来る。女の一人が、慌てたように菫の腕を引き、ミラーボールへ向かう。

「わっ、」

「菫!」

だが、菫の腕を掴んでいた女が苦しそうに呻いた。榊が体当たりし、菫から女を引き剥がす。そのまま菫の手を引き、霊たちから距離を取る。

「大丈夫か」

「はい、ありがとうございます。さっきの赤いボールは、あの人がくれたんです」

菫は男を示す。榊は頷いた。

ホール中に呻き声が響く。数多の霊たちが、ミラーボールへと吸い込まれて行く。やがて、ミラーボールの光が消えた。榊は手に持つ飾りを、天井に下げられたミラーボールへと投げつける。その一投であっけなくミラーボールは落ち、床で粉々に割れた。断末魔のような絶叫が轟く。耳を塞ぐ菫を、榊が庇うように抱き込む。それもやがて小さくなり、消えた。硝子の破片だけが、朝日を受けてキラキラと輝いている。

「ありがとうございます。お二方」

男が壊れたミラーボールの前で、二人に一礼する。榊がミラーボールと男を見比べて

「あんた、このホールに放火された時死んだここのオーナーだろ。ここに来るまで調べた時、記事の写真で見たぜ」

「いかにも」

「良かったのか?あのオーナメント。子どもからもらった物だったんだろ?付いてたタグに“パパへ”って書いてあったぞ」

菫が目を丸くする。男は初めて、微かな笑みを見せた。

「物は消えても、私に残る思い出は消せません」

「そりゃそうか」

榊も笑った。欠片と共に、オーナーであった男の身体もキラキラと輝き始め、その姿が朧になって行く。

「おや。私は上がれぬ身と思っていましたが」

「ミラーボールに一番縛られていたのは、オーナーさんだったのかもしれませんね」

菫が静かに言う。男は、目を丸くした。だが、穏やかに笑い出す。

「そうかもしれません。ありがとうございます」

ミラーボールだったものと男は、朝へ溶けるように消えた。何も見えなくなるまで、菫と榊はそれを見つめていた。



菫はダンスホールの廃墟帰りに、榊の部屋に来ている。

前日の夕方から飲まず食わずだった為、榊と朝食を取ったのだ。食後に淹れてもらった紅茶を少し口にし、菫は榊を見る。

「晃さん。……抱き締めても良いですか」

コーヒーを飲んでいた榊は、目を剝いてマグカップをテーブルに置く。

「ん!?どうした。大歓迎だけど」

言いながら、ベッドに腰掛ける。菫が抱き締めやすいように。菫も、カップをテーブルに置いてその横に座る。そのまま、榊を抱き締めた。

「晃さんが一番です……」

「何それ可愛い」

思ったことが口をついて出た。菫は上目遣いで少し睨む。

「幽霊ですけど、知らない人に抱き寄せられそうになって怖かったので……私だって、晃さん以外の男性に触れられるの、嫌なんですからね」

言いながら、少しずつ俯く菫を、榊は目を丸くして見ている。だが直ぐに、嬉しそうに目を細めた。

「怖かったとこ悪いが、すげー嬉しい」

榊はひょいと菫を横抱きに抱え直す。

「ひぇ!?」

「こっちの方が良いだろ。俺の腕の中に居てくれ。あんな幽霊野郎の感覚なんか消してやるから」

途端に菫の顔は真っ赤になる。

「抱き締めたいって言っといてその顔はねぇよ」

榊は菫から顔を反らし、爆笑している。

「晃さんのせいです!」

反論するが榊が笑い続けるので、菫も結局少し笑ってしまった。



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