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菫、人魚になること


水の音で目覚めた。

青い空間。知らない場所。起き上がって、違和感に気付く。

人魚になっていた。……人魚?

床から二十センチくらいの高さまで、綺麗な水に満たされた場所に、私は浸かっている。広さは、人二人くらいは余裕で寝られるくらい。少し段差があって、畳の和室が広がっている。何でこんなことに?もう一度、自分の下半身を見た。

青から紫のグラデーションの鱗が、澄んだ輝きを放つ。それが生々しく魚に見えて、目を逸らす。両足が何か袋の中にでも封じられているような、変な感覚だ。少し動かすと、尾鰭がばしゃりと水を打つ。思ったより飛沫が飛んで、益々気が沈んだ。ここから出たいけど、出たらどうなるんだろう。頭が麻痺してるのか、深く考えず、縁に手を掛けて力を込める。水の中では軽い下半身が、上がった途端重くなる。滑るように、畳に上がる。痛くは無いけど、力が入らない。空気に触れる度、身体の水分がそれに吸収されているような感覚になる。ずるずると、這って出口を探す。擦れた下半身が熱くて痛い。キラキラと、畳に何枚かの剥がれた鱗が光っている。私はそれから、目を逸した。

最初の部屋で見つけた襖を全て開けても、和室が延々と続いているだけ。窓も無い。熱さと痛みで、床に伏した。動けない。夢じゃないの?ここ、何処……?何がどうしてこうなったのか、全然覚えてない。

リーン、と何かが鳴った。

ハッと見ると、テーブルの上に黒電話が置いてある。それが鳴っていた。怖い。線も繋がってないのに。どこから?怖いけど、何とか起き上がって、受話器を取る。

「……もしもし」

声が震える。私は一体何をしてるんだろう。でも、電話の向こうの声は、

“すみちゃん!すみちゃんか!?”

「……榊さん……?何で……」

いよいよ混乱した。私、もしかして死んだのだろうか。

“大丈夫か?”

「大丈夫じゃないです……私、どうしたんですか、死んだんですか」

“死んでない、落ち着け”

強い声が、落ちそうな涙を止める。でも。

「私、人魚になってて、知らない部屋から出られなくて。何も持ってないし、熱くて痛いし、どうしたら良いか分からないです……」

“すみちゃん。俺の声が分かるか?”

「……分かります」

優しい声が、不安で真っ黒な心に落ちて暖かく広がる。

“俺が言うこと、最後まで聞いてくれ。出来るか?”

「……出来ます」

“よし。ーー俺は、そこが何処か分かってる。これから迎えに行く。その部屋で待ってろ。分かったか?”

「分かりました」

“必ず行く。もう少しだけ頑張れ”

「……はい」

答えて、目眩がした。視界がぼやける。力が抜けて、受話器が滑り落ちた。榊さんの声が聞こえた気がしたけど、何を言ってるのかは分からなかった。


ぴちゃぴちゃと、何か水音が聞こえる。

私は目を開けた。さっき見た青。また、あの水場に寝ているみたいだった。

「目が覚めた?人魚姫」

知らない声に、身体を起こす。

鮮やかな赤い髪の人魚がいた。尾鰭は、オーロラピンクに輝いている。鱗は赤とピンクのグラデーション。ストレートの美しい赤い髪が、さらりと揺れた。人魚は私を見上げて、にこりと笑う。笑む口から、ギザギザの鋭い歯が覗いて、ゾクリとする。

「人に戻りたいの?」

歌うような美しい声を聞いた途端、私はぼんやりとしてしまい、ただ頷く。

「そう。ーー血を飲めば良いのよ。大事な人の血」

「血……?」

「貴女の魂は美味しそうだから、人魚になったらもっと美味しくなるかも、って話だったけど。やっぱり守りが強いのね」

何のことか分からない。美味しそうって?私を食べる気……?

「境木が無かったら、貴女を美味しくいただいてたのに。残念」

人魚の青白い手が、私の頬に触れる。怖いのに、冷たく、心地良い。拒むことが出来ない。私の目を、真紅の瞳が覗き込む。紅い宝石みたいな目に捕らえられる。

「ね。ずっと此処にいても良いのよ?貴女、人の世じゃ、生き辛いでしょ。力は強いし、いろんなノが貴女にちょっかい出すし」

生き辛い。確かにそうかもしれない。でも。ぼんやりした頭に浮かんで来るのは、何故か。

「……榊さん……」

ペンダントの水晶が、爆ぜるように光った。人魚が、弾かれたように頬から手を離す。

「うーん、やっぱり守りが強いわねぇ」

人魚がくすくすと笑う。私はその笑い顔を見ながら、また水に落ちる。触れる冷たさが心地良い。人の感覚が消えているような気がして、怖かった。

死ぬのは仕方ないけど、それ以外のことで榊さんに会えなくなるのは、嫌だなあと思う。

こんなに変なことに巻き込まれたり、巻き込んでばかりなのに。

バン!と襖が開いた。足音がこちらへ向かって来る。

「あら、待ち人来たりね」

人魚がくすりと笑って、フッと消えた。入れ替わるように、榊さんが現れる。

「……榊さん」

「すみちゃん。生きてるな」

真っ直ぐに、私のところへやってきて屈む。起き上がった私の青紫の鱗を見て、目を見張っている。

「生きてますけど、人じゃないです」

「そう言えるなら大丈夫だな」

榊さんがにやっと笑う。大丈夫じゃない。言おうとして、私も少し笑ってしまう。

「しかし、本当に人魚だな」

「人魚ですね……」

私は自分の鱗から、目を逸らす。榊さんが目を細めて笑う。

「人魚姫、ってこんななんだろうな、実在するなら」

しみじみ言う榊さんを、じっと見上げる。

「それ、褒めてるんですか?からかってるんですか?」

「褒めてんだよ。人に戻って帰ろうぜ、姫さん」

「榊さん、戻り方知ってるんですか?」

「ああ。すみちゃんには気分悪いかもしれないがな……人の血を飲むんだと」

榊さんは言いつつポケットから針を出し、左手の薬指の腹に刺す。鮮やかな赤い玉になって、血が浮かぶ。

「一滴で良いらしいから、ほれ」

スピード展開過ぎて、もう榊さんの血を飲むしか無い状況になってた。人魚の言葉を思い出す。大事な人の血。間違ってない。私はそっと、榊さんの手を取り、指に口付けるようにして血を飲む。いつもより、榊さんの手が熱く感じた。

鱗が消え、私は人の足を取り戻す。ドレスみたいなスカート姿になってた。似合わない。この格好も。

「ありがとうございます、榊さん」

「ハロウィンの時の比にはならんがな、量的には」

そういえばあの時、榊さん吸血鬼になってたんだっけ。榊さんもこんな気持ちだったんだろうか。それどこじゃ無かったけど、もっと優しくすれば良かった。考えてたら、榊さんにさっさと抱えられる。全身びしょ濡れだからか、いつもよりずっと身体が重くて怠い。

「すみません。濡れてるし、重いし」

ん?と言いながら私を見下ろす榊さんの目は、優しい光がある。宝石みたい。人魚の宝石よりも、榊さんのそれの方が好きだ。

「言っとくが、すみちゃん普段から軽すぎるからな?身体が心配よ、俺は」

「えっ!?」

言ってる間に部屋を出て、佐和商店の倉庫に居た。

閉店後で、店内は薄暗い。あっさり帰って来れた。

「私、何で人魚になってたんでしょう?あの部屋何ですか?」

榊さんは途端に、呆れたようなため息をついた。

「佐和家の私物」

「えっ、」

納得出来てしまう自分が嫌だ。

「人魚の箱庭、って名前のジオラマ。それに、本物の人魚が憑いてるんだよ。すみちゃん、その人魚に気に入られてる」

「……ああ、だから、」

私をあの部屋(箱庭)に留めようとしたのか。

「だから?」

「あ、いえ。その人魚に会ったので」

「何かされたか?」

「いいえ。私の魂が美味しそう、ってことと、人の世では生き辛いでしょ、って言われただけです」

榊さんが僅か、顔を歪ませる。そんな顔すること無いのに。

「榊さんに会えなくなるのは嫌だなあ、って思ったら、水晶が光って、助けてくれたんです」

「俺だってすみちゃん失うのはごめんだね。……そろそろマジでキレても良いと思うぞ、俺は」

そうまで言われても、あまり怒りは湧いて来ない。

「……榊さんに何かあったら考えますけど」

「かー……これだよ。もっと自分も大事にしろ、自分も」

榊さんの言ってることも分かるから、首を竦める。

「……分かってますけど。怖かったですし、榊さんが居なかったら帰れませんでしたし」

呆れた顔の榊さんは、諦めたように息を吐き出す。

「……家まで送らせろ」

「えっ、」

私は榊さんを見上げる。苦笑いを浮かべてた。

「一人で帰したくない。俺は、すみちゃんが心配なの」

表情と違って、声は優しい。心配してもらえて嬉しいのと、帰って来れた安心感とで一気にまた泣きそうになって、俯く。

「……お願いします」

榊さんの服を、ギュッと掴む。榊さんの温かさをもう少しだけ、感じていたいと思った。


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