偽りの果実
秋風が校庭を吹き抜け、赤く染まった木々が夕陽にきらめいている。美術部の部室では、文化祭の準備に追われた部員たちのざわめきが響いていた。今年の文化祭は、美術部にとって記念碑的なイベントとなる予定だ。それもそのはず、展示の目玉は有名な写実画家・神崎光一の名作「銀の果実」だというのだから。
「『銀の果実』、本当に見られるなんて信じられない!」
部員の茜が声を弾ませる。彼女は美術部の中でも特に活動的で、部のムードメーカー的存在だ。
「これで美術部の名が学校中に知れ渡るわね!」
同じく部員の佐藤が応じると、部室はさらに活気づいた。
しかし、部長の夏希だけは窓際に佇んだまま、興奮する部員たちに背を向けていた。彼女は静かに校庭を見下ろし、心の中で複雑な思いを抱えている。
(本当に、あの『銀の果実』が展示されるなんて……。)
夏希は、神崎光一の大ファンだった。それだけに、この展示には期待と不安が入り混じっている。もし「銀の果実」を目の当たりにできるのなら、それは人生の中で特別な瞬間になるだろう――そう思う一方で、どこか胸に引っかかるものがあった。
「武藤先生が一人で準備をしているなんて変だよね。」
茜が部長のそばに来て、小声で話しかけた。
「部長、なんか心配そうだけど……先生に何か言われたの?」
夏希は一瞬戸惑いを見せたが、首を横に振る。
「ううん、別に。ただ……文化祭の準備をほとんど一人でやるなんて、珍しいと思っただけ。」
その時、部員の一人が外を指さした。
「見て! 準備室のドアの小窓から、展示の様子が見えるよ!」
部員たちは興味津々で準備室の小窓に群がった。
小窓の奥には、展示台と豪華な装飾が施された展示用の壁が見え、その中央に「銀の果実」の額縁が飾られていた。夕陽に照らされたその絵は、まるで光を吸い込むように輝いている。
「うわ……すごい。本物だ……。」
佐藤が息を飲む。
「写実的って聞いてたけど、こんなにリアルなんだね。」
茜が感動しながらつぶやく。しかし、彼女はその瞬間、何かが気になって眉をひそめた。
「……でも、なんだろう。なんか……変な感じがする。」
「変?」
佐藤が首をかしげた。
茜は小窓から離れ、視線を壁に向けたまま考え込んでいたが、その違和感を言葉にすることはできなかった。
第一章 - 事件の朝
文化祭当日の朝、部室に入った茜は、いつもと違う空気を感じ取った。部員たちが展示室の方でざわめいている。
「どうしたの?」
茜が展示室に駆けつけると、そこには大和と佐藤、そして部長の夏希が立ち尽くしていた。
「『銀の果実』が……消えた。」
大和が呟く。
展示用の壁の中央には、何もない。額縁ごと、あの絵が跡形もなく消えてしまっていた。
「何で……? 昨日あんなにしっかり飾られてたのに。」
茜が困惑しながら壁を見上げる。
すると佐藤が壁の下部を指さした。
「これ、見て。」
壁と展示台の一部には、絵具がかけられたような跡がある。その色は壁と同じ色で塗り潰されているが、微妙に凹凸があった。
「何かが塗り潰されてる……?」
茜がその絵具に触れると、まだ乾ききっていないことに気付く。
「誰かが朝早くに……?」
茜が呟くと、大和が険しい顔で頷いた。
「おそらく犯人は、昨日の夜から今日の朝にかけて何かしたんだろうな。」
その後、部員たちが展示壁を調べるうちに、塗り潰された下から奇妙な絵が浮かび上がってきた。それは歪んだ形の果実や長く引き伸ばされた直線が描かれており、正面から見れば不自然に見えるが、角度を変えると元の形を取り戻すような絵だった。
「これ……もしかして、トリック絵……?」
茜がつぶやく。
第二章 - トリックの解明
茜たちは顧問の武藤に報告し、展示室に彼を呼び出した。武藤は一目壁を見て、表情を硬くした。
「武藤先生、これってどういうことなんですか?」
佐藤が問い詰めると、武藤はしばらく黙っていたが、やがて静かに口を開いた。
「本物の『銀の果実』は、実は文化祭には間に合わなかったんだ。」
「え?」
「神崎先生の都合で借用が叶わなくなった。でも、文化祭の目玉を失うわけにはいかなかった。だから……私が代わりに描いたんだ。トリック絵としてね。」
その言葉に、部員たちは驚愕した。
「じゃあ、あの『銀の果実』は……贋作だったんですか?」
夏希が声を震わせる。
武藤はうなずき、続けた。
「トリック絵として特定の角度から見れば本物そっくりに見えるように仕上げた。それなら、誰も気づかないだろうと思った。」
その時、夏希が突然泣きながら叫んだ。
「そんなこと、許されるわけがない!」
全員の視線が夏希に注がれる。彼女は涙を拭いながら告白を始めた。
「私が塗り潰したの。あんな偽物を展示して神崎先生の名を汚すなんて許せなかったから!」
彼女の告白に、部員たちは衝撃を受ける。しかし、武藤は穏やかに彼女を見つめ、静かに言った。
「夏希、すまない。本当は私が最初に打ち明けるべきだった。すべて私の責任だ。」
エピローグ
事件の全貌が明らかになった後、展示室には改めてトリック絵が展示された。解説と共に展示されたその絵は、来場者たちに驚きと感動を与えた。
茜は最後に展示室を見回しながら呟いた。
「たとえ偽物でも、先生の思いは本物だったんだよね。」
文化祭の終わりと共に、美術部は新たな絆を手に入れていた。