国を憂える聖女様、悪女になる
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『ああ、これ、もうダメだわ』
エスメラルダは、目の前の群衆を見下ろして思った。彼らは目の前の美しき聖女、つまりエスメラルダを、手を合わせて見上げている。
その目は家畜のそれだ。全てを与えてくれ、自分たちの苦痛を取り除いてくれる、その存在に依存し切っている。
なぜ私が空に手をかかげただけで涙ぐむのか。確かに私は実りを豊かにするように神に祈ったけれど、それは実際には大した効力はない。
これだけでは、収穫量の増加は見込めない。それを求めるのであれば、品種改良だとか、肥料の開発だとか、面倒で時間のかかる仕事に根気よく向き合わなければならない。
そして、一段高いところにある特等席で、うんうんと頷きながら、エスメラルダに微笑みかけてくる王族たちを彼女は見やった。
あなた方が、聖女頼みの政治をしてるから、こんな事になっているのに。
「よくよくご覧なさいな」と彼女は心の中でつぶやいた。
この広場の端の端、路地から顔を覗かせた路上生活者たちを。
彼らはエスメラルダを見には来るけれど、こちらを見るその目は濁っていて、彼女に心酔するような様子は見られない。
どんなに聖女が祈ろうが、恵みがもたらされようが、いつもその実りのわずかな残りカスさえも彼らの元には届かない事を、彼らはきっと知っているのだ。
儀式を全て終えると、エスメラルダは祈りの場から降りて、豪華な馬車に乗り込んだ。
さて、聖女たる者、祈りを捧げ続けるだけの日々を、この力が無くなるその日までおくり続けることになる。
エスメラルダはまだ十八歳。先は長い。
聖女は元来長生きで、力を失う事なく老い、その生涯の全てを祈りに捧げた者もいるという。
表情一つ変えず、彼女は心の中で叫んだ。
冗談ではないわ。そんな人生、ぜっっっったいにイヤ!
エスメラルダは、元は商売で成功したダドリー男爵家の生まれだ。
お金に困ったことは無かったし、教育も十分に受けさせてもらった。
外国へ商売をしに行く父親は、エスメラルダを船に乗せ、海の向こうへ彼女を一緒に連れて行ってもくれた。
外国には聖女はいなかったけれど、それでもこの国よりも豊かで、よほど進歩的な生活をしていた。
やりたいことがいっぱいあった。父が彼女の企画書を初めて採用してくれて、取り組み始めたところだった。
だから、自分に聖女の印が現れた時には絶望した。
ある朝起きて、顔を洗い終わって顔を上げたら、鏡の中の、なぜかおでこが光っている自分と目が合った時の驚きたるや。思わず大声で叫んでしまったので、お母様やばあやだけでなく、お父様までやってきてしまった。
せめて印が表れたのが、おでこでなかったら、何とか隠し通せたかも知れないのにと、家族や使用人たちと一緒に二晩考えたが、良い案は思いつかなかった。
しかし、これ以上この事を隠していたら、この家自体が反逆罪で取り潰されエスメラルダは連れ去られる。
もう、エスメラルダには、王宮へ名乗り出るしか方法は残されていなかった。
今から一年ほど前のことだった。
「おい、聞いたか、最近の聖女様の噂を」
「今更何言ってんだ。随分前からその噂でもちきりだ。何でも、王都中のドレスや宝石を買い漁って。それどころか、祈りの間にすら姿を現さなくなったそうだ」
「何だそれは。それでは、どこぞの大貴族のご令嬢と変わらんじゃないか」
「この国はもうお終いだ……」
「おい、聞いたか。海の向こうから持ち込まれた堆肥の製造方法ってやつ。ダドリー商会が破格の値段で売り出しているそうだ。試した奴らが、収穫量が格段に上がったと!」
「あの、贅沢三昧で何もしない聖女……いや、もう聖女だなんて呼びたくないが、あの女の祈りなんぞより、ずっといいじゃないか」
「ねえ、奥さん聞いた? あの縫製工房、人手不足で大変だって、人を募集してるわよ。旦那が職にあぶれてんなら、あんた、応募してみたら?」
「それは助かるねぇ。採用してもらえたら。でも、何でまた急に?」
「噂だけどさ、なんでも、どっかの大きな商会が、この国の刺繍がされたドレスを外国に大量に持ち込んだら、直接外国の商人が買い付けに来るようになったんだってさ。珍しい刺繍だって」
「本当かい? そう。こんな、昔から皆んなが刺してる刺繍がねぇ。分からないもんだねぇ」
「俺の田舎じゃ、しょっちゅう起こる洪水で、よく畑のもんがダメになってたんだけどよ、最近、外国からよく技術者ってやつがやってくるだろ」
「ああ、ダドリー商会の紹介で、農作業に使う器具やら何やら持ってきてる奴らかい?」
「そうそう。んで、そいつらが川の周りでしばらく何かやってんなぁって思ったら、この前の大雨では、何の被害も出なかったんだとさ」
「はぁぁ。よその国は聖女もいない、どうしようもない所だと思ってたけど、なかなかやるもんだなぁ」
「うちの国にだって、もういないも同然だろ」
「「「「たしかに!」」」」
かくして、祈りもせずに贅沢三昧の生活を送っていたエスメラルダは、聖女の称号を取り上げられた。
そうすれば、新しい本物の聖女が現れるはずだ、と。
それに、国全体の景気が良くなり、税収も上がり、今のところは聖女は居なくても構わないと言うことらしい。
買い漁ったドレスと宝石は彼女の物だというが、ドレスはもう手元にないし、宝石はもともと国庫に納めるつもりだった。非常用の財源として。
そうしてエスメラルダは、ほぼ手ぶらで、何の憂いもなく、三年ぶりの我が家に喜んで帰って行った。
「はぁぁ〜〜。やっぱりダメねぇ。どうしても光が漏れてしまうわ」
「だから言ったでしょう、お母様。私もあちらにいる時にいろいろな化粧品を試したのだけど」
「でも、そのおでこをどうにかしないと、お買い物にも行けないわよ、エスメラルダ」
そう。家に帰ったエスメラルダは、母や使用人たちと楽しく過ごしていた。家の中でだけ。この光るおでこが目立ってしまうので外には出られない。
そんな日々が続いていたある日、しばらく外国を渡り歩いていた父が戻ってきた。
「お父様!」
「やあ、エスメラルダ。また綺麗になったね」
「あら、そちらの方は? 異国のお客様?」
見知らぬ相手に、丁寧に挨拶をしたエスメラルダに、父はニンマリと言う言葉がぴったりの笑みを浮かべた。
そのお客様は、おば様とお婆様の間くらいのお歳に見えた。
「やあ、お嬢さん。これはまた立派な印だ」
「ああ、ごめんなさい。消したいのですけれど、化粧も透過してしまうんです。この光が」
「何なに、それを消すために私は来たんだから、何の問題もないさ」
「えぇっ!?」
「娘の、このおでこ、何とかできますの!?」
「お母様、ぺちぺちしないで、痛いから」
そのお客様は、自分のご先祖様が、「始まりの聖女」にその印を刻み、力を与えたのだと説明してくれた。
「これを消す方法もきちんと伝わっているからね。安心おし」
「ああ、ありがとうございます! お父様も、そんな方を見つけ出してきて下さって。さぞかしご苦労されたでしょうに」
「我が商会に莫大な利益をもたらしてくれた、可愛い可愛いお前のためなら、苦労というほどのことではないさ」
では早速消してもらおう、と思ったエスメラルダだったが、お客様から言われた言葉に、少し迷いが生じてしまった。
「え……。私のこの印を消すと、この国全体にかけられた術も消滅してしまいますの? では、次の聖女はもう生まれないと」
「そういうこったね」
エスメラルダはほんの少し不安になった。もし、この国に未曾有の災厄が訪れた時に、聖女が本当に必要とされた時に、この国はもうその恩恵を受けることが出来ない。
それは、果たして国のためになることだろうか。いや、国はどうでもいい。でも、市井の人々は? 弱い立ち場の人たちが、きっと一番ひどい被害を受けてしまうだろう。
だが、エスメラルダの心配事を、お客様は笑い飛ばした。
「この先聖女が生まれたって、そう大した力は持っていまいよ。あんただってそうだっただろう?」
「はい。この程度の力をなぜありがたがるのか、よく分かりませんでした」
「それはそうさ。もうだいぶ古い術だからね。力も弱まっているのさ。だから、遅かれ早かれ、この国を覆う術は消え去る運命なんだよ」
それならば安心。
国庫に非常用財源も置いてきたし。
エスメラルダは両親や使用人たちに見守られる中、お客様の正面に座り、向かい合った。
お客様が私の額に手をかざすと、呪文を唱え始める。それは、聖女が唱えるために神殿に代々伝わる、祈りの言葉によく似た響きを持っていた。
おでこがいつにも増して大きな輝きを放つと、やがてその光は収縮し、完全に消えた。
「まあ〜〜エスメラルダ! もうあなたのおでこ、光ってないわよ!」
「嬉しいわ、お母様! ありがとうございます。お客様。これで、普通の生活が送れそうです」
「あたしもこの役割がこなせて良かったよ。先祖代々受け継がれてきたもんだったんだ。心残りなくいけるよ」
晴れ晴れとしたお顔のお客様に、エスメラルダも微笑みを浮かべた。
使用人たちも喜んでくれたが、年老いた庭師が、ポツリと、「もうここは祝福された国ではなくなりましたか」とだけ言った。
仕方がないとは分かっていても、言わずにはいられなかったのだろう。
エスメラルダは、庭師のじいの肩を慰めるように抱きしめた。
「あんた、何を言っているんだい?」
と、急に呆れたようなお客様の声が……。
「祝福? 何言ってんだい。これは呪いだよ。大昔、豊かな島国を恨んだ大国の王が、あたしのご先祖に大枚をはらって、この国に呪いをかけたんだ」
え……?
呪い……だったの?
「人々が皆んな神秘的な力頼みになって、自堕落に生きていくようになる呪いさ」
エスメラルダは心底驚いた。
「では、その呪いを解くきっかけを作った私は、ある意味、本物の聖女でしたのね」
了
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