黄色く褪せたリグレット
青年は、手紙の束から一番古いだろう日付を探し、古い順に並べ直す。生真面目なのに少しおっちょこちょいな母の面影を感じて、懐かしくて少しさみしかった。苦笑した口角は微かに震えていた
『あなたの夫となる人と、幸せに生きなさい。あなたのお父様とおばあさまにはちゃんと誤魔化しておくわ。』
祖母は、母の結婚に関しては賛成していたのだろう。「仕方ないわよね」と微苦笑する母の顔と、少女から送られてきていた古い写真の女性の印象が被る。見たこともないはずの、ありし日の微苦笑。それが浮かんできた。
『あなたの手紙を焼き捨てなければいけないのは心苦しいわね。バレてはいけないのは分かっているのだけれど。妊娠おめでとう。あなたとあなたの夫の子なのだからきっと可愛いわね。良ければまた似顔絵でも描いて送って頂戴な』
『いいことを思いついたの。あなたの手紙に返事をつけて送り返すから鍵付きの丈夫な箱に手紙を保管して頂戴。私の友人にはその手のことを得意にしている人が居るのよ』
『出産おめでとう。しっかり栄養を摂って育児に備えなさいね。
箱は届いたかしら?気に入ってくれると嬉しいのだけれど』
『お悔やみ申し上げます。一度はあなたの夫とも会って話してみたかったわ。強く生きるのよ。あなたの息子の面倒を見るのがつらいなら私の秘密の友人を頼るといいわ。私が直に会いに行って世話をしたいけれど、夫にもあなたに固執していたアレにもバレてしまうだろうから行けないわ。大事な時にそばにいてあげられなくてごめんなさい』
『学校に入れたのね。凛々しくてかわいらしいわ。入学おめでとう。人間は学びを始めた時から重荷をその肩に載せて生きていくけれど、あなたの息子は元気に育ってくれそうね』
青年は、咽喉に温かくて快い柔らかい大きいものが詰まったような気がした。ほろ苦い後味が咽腔にわだかまって、鼻の奥が熱くなってくる。読んでいられなくて手紙の束を机に置き、古びた椅子に腰を落ち着けて背凭れに背を預けた。寒い季節に湯に触った指先のように心がちりちりと痛む。なくしたと思った臍の緒は、匣の中にずっとずうっと、黄色く褪せるまで仕舞い込まれていただけだった。切れているとばかり思っていた縁は、ずっと繋がっていた。
「…く」
声を上げて泣くことすらできなくなってしまった大人の、精一杯の産声。 青年自身の泣き声。さみしさと慕わしさとが複雑に絡み合って、もう息しか出てこなかった。もっと早くにこの箱を開ける手がかりが手に入っていたのなら、ペンフレンドを「おばあ様」と呼べたのだろうか。青年は熱く揺蕩う視界を瞬きで透明にして、頬と顎を伝う涙を袖で何度も乱雑に拭った。
青年には選択肢があった。一人で抱えるにはあまりに苦くて辛くて甘い痛みの秘密を抱えてありきたりな返事を書くか、従妹でもある少女の環境に波紋を及ぼす可能性を考えずに真実の手紙を書くか。手紙にあった『あなたに固執していたアレ』が従妹の親のどちらかである可能性もあった。だが、青年はもう成人であるし、母はもうとっくの疾うに冷たい土の下に朽ちているだろう。従妹が両親や縁者に見せる可能性があるとは言い切れない。そう考えて、青年はまっさらな便せんに真実を書くことに決めた。