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宝石店・ピクシー  作者: 縁 ゐと
インペリアルトパーズのタイピンの青年
2/6

まっさらな約束

 青年は、ゆらゆらと陽炎のように、幽霊のように狭い自室を歩き回っていた。ペンフレンドの女性が死んでしまったのだ。いつも送ってくれた絵葉書と同じサイズの紙には粛々とした言葉だけが連なっている。それは女性が葬られて二度とその姿を見られなくなる前に会いに来ないかという誘いだった。

「…あのひとが」

彼女の親戚を名乗る人間から贈られた文字は、どこか物々しい雰囲気があった。だが、青年は行きたかった。四年前、十六の歳で唯一の肉親であった母を亡くした青年は、母と文通していたペンフレンドの女性に救われたのだ。若干窮屈に感じる喪服を引っ張り出してきて着替え、もたつく手でネクタイを四苦八苦しながら結んで示された会場に駆けだした。成長期にあまり栄養を摂れなかったせいで痩せっぽちな体は普段座り作業が多いせいで重たい。惰弱な体が許す限りの速度。到着したころにはネクタイは緩んで髪はひどく乱れていた。青息吐息の様相の青年は、彼女の親族と思われる少女に鏡を渡されてそれに気づく。少女に礼を言って乱れを直していると、自分の名を疑問形で呼ぶか細い声が聞こえた。

「僕の名前です」

「…あなたがあの人の文通友達なんですね」

「えぇ。姿も歳も知りませんが、大切な友人でした」

「…そう」

少女のしんとした冬の陽だまりのような面差しと声はなんだか懐かしいような気がする。そして、友人が送ってくれた絵葉書に書かれているメッセージの雰囲気に似ているのだと思い至った。青年は、ああ、この子が僕に手紙をくれたのだろうか、と思った。それを読み取ったのか少女が疲弊しきった顔の中にうっすら微笑みをにじませる。

「いきなりお手紙を出してしまってごめんなさい。でも、どうしてもあなたに会ってほしかった」

少女の眼には幼い容貌に似合わぬ理性と善性の光が強く存在していた。たじろいで目をそらしてしまったがその光は網膜にしばらく焼け付く影のように眩しい。

「いいえ、伝えてくださってありがとうございます。おかげで友人を心穏やかに見送ってあげられそうです」

少女の誘導で、友人の棺のそばに寄った。すれ違う弔問客はだいたい自分より二回りの人が主だ。珍しいものを見るような視線が刺さったが気にせず進む。人一人がすっぽり収まる飴色の美しく真新しい木箱の内に、花に囲まれて横たわっている友人は、死化粧が施されてバラ色の頬をしていた。年輪のような皺、夥しい本数の白色が混じったやわらかそうな赤茶の癖毛、そして小柄でやせ型な体型。初めて対面したはずなのにどうしてかひどく懐かしい。

「初めまして。生きているうちに会えたら、直接話してみたかったですね」

言っていると視界が歪んだ。瞼の縁を乗り越えようとするその温度に今自分は泣こうとしていると自覚する。しかし青年は俯かずにまっすぐ友人を見つめ続けた。ほんの数時間後には永遠に見られなくなるなのだ。少女に名前を呼ばれる。少女は青年の様子を心配して声を掛けたのだった。

「いえ、すみません…なんだかちょっと」

指で頬の水滴を軽く払って少女に手を引かれるままについていく。名残惜しく一度振り返って、少し遠ざかった棺の中の友人に心の中で哀惜の念と別れの挨拶を告げた。少女は何も言わずに、振りほどこうと思えばできる力加減で手を引いてくれた。

 少女は式場の近くにあるベンチに青年を座らせて、落ち着くまで何も言わず近くに居た。

「…すみません、ご迷惑をおかけしました」

「いいえ。私がこうしたかったの。あなたが知るおばあ様がどんなものか聞いてみたかったから」

少女をまじまじと見た。先ほど見た友人の顔に面影がかぶる部分がある。お孫さんなんですね、確かに似ていると呟けば少女はやんわり嬉しそうに微笑んだ。

「それで、あなたはどんなおばあさまを知っているの?」

「優しい風合いの絵を描かれる人で、茶目っ気もある人ですよ。冗談めかす時だけメッセージの字体が少しぶれるんです。」

「へぇ、おばあさまったらそんな一面もあったのね。私が知るおばあさまは厳格で公明正大なお人よ。…まぁ、なんだかんだと言って私には甘かったのだけどね!」

大人びた言動の少女が見せた輝かんばかりの楽しそうな笑顔は、年相応の若々しさだった。暗い色の色彩の中で薄く赤に色づいた色白な頬が鮮やかだ。

「ああ、よくよく思い出してみれば手紙にあなたのことが書かれていました。よく考え、筋を通そうとする賢くて自分にはもったいないくらいの素晴らしい孫娘だと絶賛していましたよ」

「そうだったの?!直に褒めの言葉なんてくれなかったわよ?!」

会話は初対面とは思えないほどによく弾んだ。青年も、普段の寡黙さをかなぐり捨てて仕事以外で話したのなんて少年時代以来だ。手紙でのエピソードが、あるいは日常の一部がするすると口から滑り出て止まらない。葬儀の際に悲しみの感情が安楽にぼやかされる自己防衛機能の影響もあったろうが、二人はたいそう気が合ったためお互いの連絡先を交換し手紙を書く約束を取り付けてその場を離れようとした。

「あ、ちょっと待って!」

二人別々の方向に行こうとした矢先の呼び止めに首を傾げながら振り返る。少女がハンドバッグの中をごそごそしているところだった。なんだなんだと歩み寄れば、やっとお目当てのものを探り当てたらしい少女から一枚のカードを渡された。淡い生成色の紙には屋号らしきものと住所、受け取り日時が書かれている。

「あなたの名前が書かれているから、きっとおばあさまがあなたに何かプレゼントを贈ろうとしたのよ」

「そう、なんでしょうかね…?とりあえず行くことには行こうかな…」

「あはは、フクロウみたい。呼び止めちゃってごめんなさいね。それじゃあ、また。」

「ええ、手紙を送りますね」

 まっさらな約束を取り付けて、清浄で悲哀に満ちた葬儀会場を後にした。

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