魔法師の愚痴と中央貴族たちの誤算
「なんだ。ここもか。つまらないな」
オリベは、凪のように落ち着いている塔の様子に、大変な肩透かしを食らった。
[アクイラ国]海側の辺境地[ウルガス領]にある[魔法師の塔]建設予定地の、総責任者兼警備騎士団長とその部下達、並びに文官や神官の中でも貴族位を持つ者達が住まう館、訳して[魔塔の館]の住人達は皆[奉納]の儀式の最中、落雷事故により死亡してしまった。
と、報告を受けている。
この鉄柵で覆われた[魔塔の館]の門扉にかかっている〈護り〉の魔法を、指の一振りで解除したオリベは、悠々と主人のいない館の中に入っていった。
「夜間に門番のひとりも置いて無いのは、必要無いと判断されている、のか?」
突然主人を亡くしたことによる不安や混乱、支配層を一気に消失したことによる魔力の高い奴隷達の反乱、この館に唯一入ることのできる、平民で下男の仕事をしていた[労働奴隷達]達もいたはずだ。
絶対に略奪や盗みなど、さぞかし荒れているだろう。
と、中央貴族達の誰もがそう考えていた。
「どんな阿鼻叫喚がと期待してきたのに、館は“当日”のままとはね」
門扉近くのコテージの玄関扉を開け、魔法で出入りのチェックをしている魔道具を確かめると、[奉納]の日より人の出入りがないのは確認が取れた。
鉄柵の中には庭園こそないが、大小のコテージが5軒ほど立ち並んでいて、オリベはその一軒一軒を周り、今はもぬけの殻となっている家屋の玄関先にある魔道具から吐き出された書類を、報告書の束にまとめる。
最後の1番大きなコテージ、おそらく隊長貴族がいたであろう家屋も、華美な調度品やダンスホールこそないが、塔と同じ石材を外壁に、玄関ホールから右に執務室、寝室、専用バスルームがあり、左に食堂、キッチン、勝手口、使用人室と、到底たった1人の人間が、食って寝るためだけに使うとは思えない贅沢な作りだった。
オリベは、この寝室にあったベットに、靴を履いたまま遠慮なくゴロリと横になる。
最悪、手に負えない場合は全員殺すつもりで来た。
その許可も得たのに、[奉納]の時に落雷に当たった者以外、どうやら何事も無く今日まで過ごしていたらしい。
それなりの教育を受けている騎士見習いと兵士達が穏やかなのはまだわかるが、奴隷達まで従順である事が異様だ。
「食う物に困らなかったせいか?」
週一で、定期隊商が食料や生活雑貨を運んでいる報告は受けている。
死んだ貴族達の分まであっただろうから、餓死の不安は一切なかっただろう。
オリベは、報告書の束をペラペラとめくりながら、ベットの上で寝返りをうった。
それでも、つい最近まで共に生活していた人間の死体を目の前にして過ごす異常事態に、騎士見習い2人、平民兵13人、奴隷が23人と、本来の主従関係にない身分の違う人間が40人近くいて、なんの問題も無いとはありえない。
それどころか、逃げ出した奴隷も1人もいない上に、塔をワンフロア完成させているなど、数百年誰もなし得なかった事だ。
魔法レベルも〈中〉、精神的にも青く、肉体的にもまだ薄い、たった2人の見習いが、魔力も優れ、肉体的にも力のある奴隷達を、〈隷属契約〉も結ばぬうちに、双方無事のままどうやって大人しく従わせたのだろう。
「ハイルーク家の子が、あんなに優秀とは誰も思っていなかったんだろうなぁ」
オリベはそこでふと気になった。
騎士見習い2人は、伯爵家と子爵家の子供だったはずだが、どちらもこの貴族たちが住む敷地には出入りしていなかったようだ。まさか、事故が起こる以前から、日常的に他の平民兵と共に、外の兵士小屋で生活させられていたのか?
報告書の束に[マーク・ハイルーク]についての記述はほぼ無い。[ミルコ・リンデン]と同じく、ただ騎士見習いの1人として記名されているだけだった。
不可解が増えるばかりで、考えているのが面倒くさくなってきたオリベは、大きなあくびを一つすると、全ての思考を手放した。
明日は、ここにある名簿と死体を照らし合わせてチェックした後、書類に起こし[死体袋]の魔道具に入れて王都に戻るだけだ。
「障害物のない上空の移動は楽だけど、もう寒いんだよなぁ」
オリベは、ひとこと愚痴を吐くと諦めたように脱力させた。
手に持っていた報告書束はそのままバラバラと手から離れ、あっという間に寝落ちしてしまった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「マーク!」
オリベの姿が見えなくなると、ミルコは奴隷たちに支えられるマークに縋りついた。
「魔力枯渇です。一度に8人もっ」
「無理しちゃってぇ」
それまで支えていたヴァニタスがマークを担いでイーラの背に乗せた。
ミルコはマークの青白い顔に触って、ヴァニタスに聞く。
「大丈夫? 何かできる事ある?」
「魔力回復ポーションはありますか?」
「あ、詰所には一本も無くて、多分、貴族達の部屋にならあるかもしれないけど・・・」
回復師がいない駐屯地では、本来回復ポーションの類が負傷した騎士兵士達の頼みの綱のはずだが、ここには下っ端が自由に使えるポーションが常備される事はなかった。
おそらく、貴族の住まいである[魔塔の館]の金庫には入っている。と、思う。ポーションの値段は銀貨1枚。安宿一泊分。魔力回復はさらにその5倍の値段だ。
それらを栄養剤感覚で飲む貴族もいるらしいが、マークとミルコは幼い頃、病気になった時しか飲んだことがない。
ミルコは、自分の足元を見て下唇を噛んだ。
「マーク様とミルコ様は貴族様ではないのですか?」
「ゴメン。俺達ただの貴族の子ってだけで、えっと、どっちも三男で家とは疎遠だし、まだ見習いで、騎士になれるまで全然貴族じゃないんだ」
頼りにならなくてごめんね。と、ミルコはしょんぼりと、マークを背負うイーラを見た。
イーラは少しだけ微笑んで、ミルコを元気づけるように答える。
「そんなことありません。立派な騎士様でした」
「こんなに痛みの無い焼印を押されたのは初めてです」
「うっそだぁ。痛くないわけないだろっ大丈夫? もう痛くない?」
ミルコは、焼印を押される奴隷達が、皆マークを気遣って歯を食いしばって表情を変えなかった頑張りに「コイツのためにありがとね」と笑った。
「ミルコ様の水魔法はどんなポーションより癒しの効果がありましたとも」
「まさか聖騎士様では?」
「まったく素晴らしい騎士様です。お二人とも俺達の事を守ってくださった」
ラクスとトリスの軽口に、ミルコは、ヘナヘナと膝をつき、顔を両手で覆ってしまった。大変に可愛らしい。
「や、やめてよぅ」
皆がニヨニヨとミルコを讃える中、ビアとアヴァリが声をかける。
「さぁ、夜は冷える。マーク様を運んでしまおう」
「しっかり寝て、魔力が回復すれば良くなる」
「ゴメン。ありがとう」
しっかりお礼を言いつつも、ミルコがいつまでも立ち上がらないので、皆の視線が向けられた。
「・・・どうしました?」
「な、なんか、力が抜けちゃった。た、立てないみたい。怖かった。すごく怖かった」
「・・・フフ、フフフ」
「ハハハッ」
背後に回ったグラとアケディが、笑いながらミルコの背に手を当て、肩を貸すように跪いた。
ミルコはなんの迷いもなく、2人の肩に手を回す。
「「「アハハハハッ!」」」
その場にいた皆で声もひそめず笑い合う。
ミルコは、支えられながらもさらに謝った。
「ゴメンね。靴。服も。せっかくアオイ殿からもらったのに。取り上げられちゃったら嫌だなと思って。あいつあのオリベ? とかいう奴、すっごく意地悪そうじゃんっ」
「・・・ありがとうございます。ミルコ様まで・・・」
「ありがとうございます」
奴隷達が深く頭を下げて改めて礼を言う。
トリスが、ボロボロと涙を流しながら感謝する本当の意味は、ミルコはわからなかったけど、ただ少年らしく「えへへ」と照れて笑うので、そこにいる大人達は自分の立場も忘れ、再び目を細めて目の前の騎士2人を心から讃えあった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
朝になってもマークの顔は青白いままで、目を覚まさなかった。
「マーク、かっこ良かったよ。早く元気になれっ。旨い昼食を食い損ねるぞ」
そっと言葉をかけて部屋を出たミルコと兵士達は、昨晩の事をしっかりと共有し合い、いつものように朝食の干し肉とパンを奴隷達に配ると、[借金奴隷]達に、中央から派遣された[魔法師]が調査に来ていることと、服装を以前の見窄らしい物に戻しておくよう告げた。
理由を察した[借金奴隷]達は、素直にその指示に従った。
兵士達と頷き合って、いつものように過ごす事にする。
[犯罪奴隷]達は、なるべく接触を避ける為、[塔の建設現場]から少し離れた[石切場]に向かった。
平民兵達も、通常業務の周囲の見回りと警備を指示すると、ミルコはひとり[魔塔の館]の前に立ち、オリベが出てくるのを待った。
「全く、今更・・・邪魔なんだよ。さっさと帰ってくれないかなぁ」
門扉の前、大声で独りごちる。
未だベットで眠るマークの顔と、昨夜の恐怖を思い出し、ミルコは気合いを入れ直した。




