借金奴隷ダンの1日 午前
いつもと同じ朝がまた始まった。と、ダンは軋む身体を起こし、他の奴隷達と寝床から這い出した。
ダンのここでの仕事は薪割りだ。
朝起きて、薪を割り、支給された干し肉と少しのパンを食べると、また薪を割り、森に次の薪にする倒木を探しにいく。
兵士達の食事の用意を終えた数人が加わって、森からロープをかけた倒木をひきずって塔のふもとに戻ると、薪にする為、木を切り出し、朝に残したパンを食べ、また薪を割り、暗くなったら寝床に戻り、ただ体を丸めて壁に寄りかかり、空腹のままひたすら朝になるのを待つ。
いつまで続くのか分からないが、ダンはこの生活を既に7年繰り返していた。
先だっての[奉納]で、多くの貴族が雷に撃たれて死んだと聞いたが、[犯罪奴隷]と[労働奴隷]が牢に入れられたぐらいで、ダン達の生活は何も変わらなかったし、それに疑問を持つこともなかった。
昨日は、週に一度の隊商が来たので、昼に林檎が支給された。
ダンはそれを取って置いて、寝る前にゆっくり食べた。
甘いリンゴはそれだけでご馳走だった。この生活での唯一の楽しみだった。
奴隷同士で話をすることもないし、やることもないので誰とも話さず1日を終える。
物心ついた時には『親に売られた』と聞いていたので、寝る前に思い出す幸せなことなど何もない。ただただ考えないようにした。何も考えないようにして目をしっかとつぶり、まんじりともせず夜が明けるのを待つ。
ただそれだけの日々。ただそれだけ。それなのに。
その日、騎士見習いに「そこで待て」と言われ[台所小屋]で、壁を見ていると、獣人の子供と大人2人を連れて、やたらキレイな女が入ってきた。
ダンが、こんなキレイな女は初めて見た。と、驚いていると、他の奴隷達も驚きで目を見開いていた。
髪は真夜中の空の様に真っ黒で、星の瞬きの様にツヤツヤと輝き、肌は月の様に白いが、肉付きは良く健康そうだ。
何よりえも言われぬ良い匂いがした。そばにいるだけでクラクラする。
夜の女神か、そうゆう魔法を使っているのかと、正気をたもうとうと踏ん張ると、奴隷の1人が「貴族か?」と小さく呟いた。
なるほど、これが貴族令嬢か。と、ダンは身構えた。
『貴族の女に粗相があれば一瞬で首を切られる』
以前誰かに聞いたことがある。
それは[借金][労働]関係なく[犯罪奴隷]と同じような扱いを受ける。と誰かが言っていた。
他の奴隷達も「なにかあっては」と、一様に口を閉ざした。
それなのに、この女は平気な顔をして話しかけてくる。
関わり合いになりたくない。とダンは瞬時に思ったが、同時に「こんな生活に何の未練が?」と、おかしな感情が湧いた。
すると女と目が合った。
『薪とってくるから、君、場所教えてくれる? 私はアオイ。ハイ! 君の名前は?』
ダンは、咄嗟に自分の名前を答えた。
しまった。と俺は思った。貴族の女に対する言葉遣いなど知らない。
殺されるかもしれないっ。と、獣人達を見て身を固くしたが、女は『ダン君ね。じゃ、あとお願いね』と、気にも止めずに小屋を出た。
獣人達も、チラリとコチラを見ただけで、火おこしの作業に戻ったので、ダンは仕方なく女について行った。
あの獣人達はこの女の護衛では無いらしい。
自分の事を『アオイ』と名乗った女が『貴族ではない。気兼ねなく話せ』と言っていたのを思い出し、少しだけ肩の力を抜く。
『薪割りしたい』などとおかしな事を言っていたが、言われるままに俺はフワフワとした気持ちで答え、薪を手に持つと『アオイ』は薪を奪い取っていつの間にか手にしていた服を俺に着せ『何歳?』と聞かれるまま自分の年齢を答えた。
そして『なぜ奴隷なのだ』と聞いてきた。
そんなの俺も知らない。
俺は「親に売られた」と聞いたことのあるそのままを答えた。
するとなぜか『アオイ』は、泣きそうな顔をして、事もあろうか俺に向かって頭を下げて、謝罪の言葉を告げた。
なぜそんな顔をした? 訳もわからず胸が痛んだ。
泣きそうな女の顔を見たせいだろうか? こんな感情になった事が無い。
キレイな服を着せられたからだろうか? 俺は急に恥ずかしくなった。
ここでは[奴隷]の扱いなど獣人以下だ。
そういえば、あの獣人達は見た事もないキレイな身なりをしていた。それを今、自分も着せられている。
独り言のように何かを話す『アオイ』の言葉をただ無言で聞いた。
すると『アオイ』は、何か思いついたかのように[小屋]に戻るので、ついていくと俺と同じ前掛けを獣人達に手ずから着せてやる。
そして何か言いながら、たくさんの服を奴隷全員に渡して『ここで待て』と、皆に言い残して、また1人で外に出て行った。
奴隷達はどうして良いか分からず、皆ただ黙って手渡された服を見て撫でていた。
俺は手にしていた薪を釜戸の脇に置き並べた。
「同じ!」
子供の獣人に笑顔を向けられた。
俺は、どうして良いか分からずに、黙ったまま顔を伏せた。
なにも答えられない俺をよそに、大人の獣人が笑んで子供の獣人の頭を撫でた。
小屋の中は美味そうな匂いが充満している。これは、何の匂いなんだろう。誰かの腹が「グゥ」と鳴った。
戻った『アオイ』に連れられて、他の奴隷共々再び外に出ると、さっきまではなかった[シャワーブース]なる物の前で顎が外れんばかりに驚いた。
そこからはあっという間に身ぐるみ剥がされて身体を洗わされた。
「同じ、匂いがする・・・」
石鹸で泡立てた柔らかい布で身体を洗い、暖かい湯で身体を流す。
何だ。これは。どうなってるんだ? 俺達は夢中で身体を洗った。身が清められていくウチに、何か、訳のわからない感情が湧き上がってくる。
分からない。どうして。そう思って外に出ると、近づいてきた『アオイ』に頭を拭かれた。
俺は、訳がわからないまま眉間が熱くなり、どこも痛くないのに涙が出た。
俺はまた恥ずかしくなって、布で顔が隠れたまま、すこし泣いた。
『アオイ』は俺と同じように、他の奴隷達の頭も乾かし始めた。
みんな、俯いて、黙って、されるがままになっている。俺はただ、それをじっと見ていた。
『〈治癒〉〈回復〉〈浄化〉!』
パンッ!
辺りに『アオイ』が手を合わせた音が響きわたると、途端に心が落ち着きを取り戻し、清浄な空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
気持ち良い。
こんな気持ちになったのは、生まれて初めてだ。
すると、奴隷の1人が言った言葉を『アオイ』が即座に否定した。
「せ、聖女・・・さま!?」
「違うよ!? ただの料理人だってば!」
「もうお鍋あったまったよ」
「そうね! もう良いね! じゃあお鍋、持っていこう」
その場の空気を断ち切るように、子供の獣人が『アオイ』に声をかけ、鍋の蓋を開けると、ブワリと煮込みの香りが強くなった。
「今日のスープは兎肉のポトフだよ。あ、えっと、一角兎? だっけ?」
「そう。俺がダンジョンで獲ってきたの!」
子供の獣人が、また俺の方を見て言う。
ダンジョンで狩り。
子供に見えるが、1人でダンジョンに入れるなんて、やっぱり獣人は強いのだな。と、身震いする。
『アオイ』が鍋を持って部屋を出て、大人の獣人がもう一つ鍋を持ち後をついて部屋を出ると、1人残った子供の獣人が奴隷達を見て静かに言った。
「・・・アオイはアオイだよ。それ以外の名前で呼んではダメ」
「「「ヒィッ!?」」」
子供の獣人は牙を剥き出しに、開いた瞳孔で奴隷達をギラリと睨みつける。
次の瞬間には、スンと表情を戻して部屋を出て行った。
ダンは、脱力して床にへたり込む。
見ると、他の奴隷達も腰を抜かしていた。
「い、今のは〈威圧〉って魔法だ」
「殺気ってやつだ。みんな死んだと思った・・・」
「いや何で自分だけ生きてると思ったんだよ」
「ちょっとチビったかも・・・」
「・・・・・」
「「「「「アハハハハッ」」」」」
俺達は、床にへたり込んだまま笑い声を上げた。
「死にたくないなんて、はは、何で、ははは」
「俺も、俺も思った!」
「なんで死にたくないなんて思ったんだろうな!? な?」
「はは、はぁ〜生きてた、死ななかったっ」
口々に安堵の言葉を吐き出し笑う他の奴隷達を見て、みんな自分と同じ事を考えていたのだなと、不思議な気持ちが溢れ出し、気づくと俺はまた涙がでてしまっていた。
「みんなが、死ななくて、良かったっ」
思わず口から出た言葉に、自分でも驚いていると、年嵩の奴隷が俺の頭に手を乗せ、ひと撫でする。
「さぁ、早く手伝いに行かないと。オマエもちびっちまうぞ」
手はすぐに離れたけど、それは何か、遠い記憶の奥にある何かを思い出しかける、なにか・・・。
掴みきれずに、諦め立ち上がると、年嵩の奴隷も、自分の手をじっと見ていたが、視線に気づくと「行こう」と立ち上がり、一緒に部屋を出た。
小屋の外では、兵士達がトレイを自分で持って行儀良く並んでいた。
「私は料理人ですから、皆様の感想が次の料理の参考になります。食べ終わったら、空いた食器を持ってまたこちらのテーブルに来て感想を教えてください。次の食事がより良くなりますよ」
『アオイ』の声がけに、みな「なるほど」「わかった」「了解した」と応え、快く順番を待っている。
獣人の子供が金属製の器具でパンを挟んでトレイにのせると、スライドして移動した兵士のトレイに、大人の獣人が焼魚をのせた。
そして隣の『アオイ』がボウルに煮込みをよそいトレイに置くと、兵士達は思い思いの場所に移動して食べ始めた。
これなら食後の食器を集める手間もないかもしれない。
手伝えることがない。と、その様子を見つめていると『アオイ』が言った。
「さあ、ダン君達もトレイ持って並んで。一緒に食べよう」
「え!?」
「これを!?」
「同じ物を食べるのですか?」
「一緒に?」
「・・・・・」
俺だけ黙っていたが、他の奴隷は口々に驚き、声を上げていた。
今日はみんなよく喋るなと、思って見ていると、獣人の子供が俺を見て言った。
「村の獣人は貴族とは一緒にご飯食べれない決まり。ダンは貴族?」
「ち、違う」
「じゃあ大丈夫」
そう言って、パンと焼魚の乗ったトレイを渡された。
大人の獣人が他の奴隷達にも同じ物を渡している。
俺達は、兵士達に倣って『アオイ』から煮込みの入ったボウルを受け取った。
「さ、食べよ。いただきます!」
「いただきまーす」
いつの間にか[台所小屋]の扉横に設置されていた丸太を半分に割り並べたような作りのテーブルと椅子に座っている。
「のんびりしてると兵士の人達が来ちゃうよ?」
「急いで食べなくても良いじゃん。ゆっくりよく噛んで食べましょうね。どうナナ、辛くない?」
「辛くないよ! 美味しいよ! 俺が獲った兎美味しい!」
「ヤッタゼー」
『アオイ』と子供の獣人が話をしながら食べ始めた。
俺達も急いでスプーンを口に運ぶ。と。
「ほわっ・・・」
「暖かい」
「スパイスが豊富に使われている・・・」
「うまいっうまいっ」
「おいしい・・・」
「ねー美味しいねー」
「ねー」
「フフッ美味しいです」
テーブルにいる全員が口々に「美味しい、美味しい」と同じ感想を言い合って、同じ飯を食っている。
こんなことは初めてだ。俺はまた、ホワホワとした気持ちになった。
するとニコニコと笑ったままの顔で『アオイ』は言った。




