ぼっち少女と転校生
【3-C】
「ねえ、聞いた?」
「何を?」
「今日、うちのクラスに転校生来るんだって」
「うっそ。マジ?」
「マジ。委員長が昨日スガセンから聞いたって」
「へー。男の子?」
「やだ、この子餓えてる……」
「餓えてないわよ! ……で、どっち?」
「女の子」
「あっそ」
「……露骨に興味をなくしたわね」
「いや、だってさ? 半分は既に女子なのよ? そこに今更女子を増やす意味って何?」
「意味とか言われても。そんなの別にないでしょ」
「あーあ、つまんないの。どうせ転校生が来るならあたしゃイケメンを所望する!」
「いや、来る前から『どうせ』とか言われてたら転校生も可哀想でしょうに」
「あによー、イイ子ぶってー。じゃあ、あんたはイケメン嫌いなの?」
「いや、嫌いではないけど」
「ほらー」
「あーはいはい、イケメンイケメン。ああ、でも……」
「でも?」
「なんか、すっごい美少女らしいよ? 転校生。職員室の近くで見た人がいるって」
「はあ~、だから何? そんな悲報を付け足されても困るんですけど」
「なによ悲報って」
「主に私達の顔面偏差値的な意味で」
「……なるほど。あなたも大変ね」
「いや、自分は違うみたいに言うなし」
【花木りん】
………………ほう。
どうやら本日、私達のクラスに転校生が来るらしい。
窓際最後列の自席で、一限目の準備をしながら陽キャなクラスメイト達の噂話に耳をそばだてていた私は、そんな心踊る耳寄りな情報をキャッチした。
私が直接話の輪に加わらずこうして盗み聞きのような真似をしている理由は、少しばかり姦しいだけの──むしろ令和・日本の女子高生としては極々普通であろう──クラスメイト達を敢えてわざわざ「陽キャ」などと称する私の属性から察して欲しい。そして察していただけたのならばそのことはあなたの胸の裡にだけそっと留めておいて欲しい。
閑話休題。
クラスメイト曰く転校生は「すっごい美少女」らしい。
是非ともお友達になりたい。
美少女のお友達が欲しい。
小学校デビュー、中学校デビュー、高校デビューと三タテを食らった私は基本的にぼっちだ(他人からは指摘されたくないけど悲しくも事実なので自分で言う分には別に構わない)。
自分なりに頑張ったつもりだけど、むしろ私が頑張れば頑張るほど、どういうわけか周りは私から離れていったように思う。
中学三年の時にできた唯一の友達である(と少なくとも私は思っている)露草さんが言うには、
『花木さんは美人だし背が高いから。だから黙ってるとちょっと怖いかもしれないね』
と、そういうことらしかった。
私としては自分のようなデカイ女は身長以外で無駄に目立ったりしないよう、ひっそりと物静かにしていた方が良いのではないかと思っていたので目から鱗が落ちる思いだった。
露草さん、マジ女神。
まさしく天啓を得て、それからしばらくの間私は過去の遅れを取り戻すべく積極的に周囲との会話を増やしていった。一所懸命しゃべった。するとどうだろう……何故か周囲との溝はより深まった気がした。
あのう……、露草さん?
『……あのね、花木さん。今までほとんど喋らなかった人から急にものすごい勢いで話しかけられたりしたら普通はみんな引くと思うよ。それに花木さんは言葉のキャッチボールがまるでできてないと思う』
お、おう。
再び助けを求めると明らかに呆れを含んだ声でそう返ってきた。
本来の会話を言葉のキャッチボールとするならば、私がやっていたのは言うなれば言葉のドッジボール。
受け手に対する配慮など微塵もなく、無闇矢鱈と豪速球を投げ込んでくる私に周囲は非常に困惑した──ということらしい(『困惑』って絶対に『迷惑』をオブラートに包んだやつだよね……)。
少し考えれば長年ぼっちだった私にまともな会話能力などあるはずもなかった。圧倒的経験値不足。レベルで表すなら一どころかゼロ──いや、きっとマイナス表示だ。
『なんていうかさ……花木さんてつくづく残念な美人だよね』
辛辣! そんなしみじみと言わなくても……。
それに美人て付ければフォローになるわけじゃないと思うの。それって絶対、何にでも「いい意味で」って付けて濁すのと同じやつだよね? いい意味で馬鹿、とかと一緒でしょ? あ、ちょっ、目をそらさないで!
………………。
結局、露草さんの言葉どおり「残念」な私は高校でもデビューに失敗し──今に至る。
できれば唯一のお友達であった露草さんと同じ高校に行きたかったけど、これもまた残念なことに私如きの偏差値では土台叶わぬ夢だった。テストで七十点が平均な私と違って彼女はとても頭がよかったのだ。
ああ、露草さんは今頃どうしているだろう。たまには私のことを思い出して懐かしんだりしてくれているだろうか。中学時代まだスマホを持っていなかった私達は連絡先を交換できていないのだ。そりゃ自宅の電話番号ぐらいは調べればすぐに判るけど家電はちょっとハードルが高い。
ああ、思い出したら寂しくなってきた。
認めたくはないが、小学校入学からこれまでのことを振り返ったとき、露草さんの居てくれたあの中学三年時の一年間は奇跡が生んだボーナス的──とてつもなくイレギュラーな──期間であり、ぼっちに戻った現状こそが私本来の身の丈に合った状態にして常態である、と捉えるべきなのだろう。
ええ、私なんてどうせそんなものですよ。
これはある意味初志貫徹を貫いているとも言えるのではないだろうか?
ぼっちだなんて、まったくもってそんな初志を抱いた覚えはないのだけれど。
そうだ、諦めるのはまだ早い。友達百人はもう無理でも露草さんに次ぐ二人目のお友達くらいは望んでもいいはず。私の冒険──もとい、青春はここからだ。
というわけで転校生だ。転校生なら向こうも最初は必ずやぼっち。狙い目だ──すっごく狙い目だ。ましてや高校三年のGW明けなどという中途半端な時期に転校だなんてきっと不安でいっぱいなはず──これはもう益々狙い目だ。
優しくして差し上げるのだ。この学校のことは私が教えてあげる、みたいな感じで巧妙に距離を縮めるのだ。
大丈夫、今度はちゃんとキャッチボールしてみせる。
そして美少女転校生のお友達ゲットだぜ。
露草さん、見ててね──私、やるから!
【3-C】
教室の前の扉が開き、入室してきた担任の菅原──通称スガセン──が教壇に上がる。
「起立──」
級長を務める神山志桜里──通称委員長──の号令で生徒達が一斉に立ち上がった。
「──礼、おはようございます──」
『おはようございます』
「ああ、おはよう」
スガセンが挨拶を返すと、
「──着席」
再び委員長の号令で生徒達が席に着く。
何ら代わり映えのしない、朝のSHRに於けるいつもの光景だ。しかし、今日は教室内の空気がどこか浮わついている。スガセンはその理由を察して苦笑いを浮かべている。
「あー、もう知ってるようだがお楽しみは点呼の後だ。じゃあいくぞー──」
スガセンがまるでカウントダウンの代わりのように出席番号順に点呼を取っていき、いよいよその時がきた。
「──よし、じゃあお待ちかねだ。もうバレバレだが今日は転校生が来ている!」
スガセンが生徒らの期待を煽るように声を張ると、
「よっ! 待ってました!」
剽軽者の男子が合いの手を入れる。
「ちょっと、恥ずかしいから止めなさいよ」
委員長がそれを咎めると教室内にどっと笑いが起こった。
「ははは、じゃあ呼ぶぞ──」
スガセンも笑いながら入口の扉を引き、
「──さあ、入ってくれ」
廊下で待機していた転校生を招き入れる。
「はい──」
鈴を鳴らしたような声だった。
「──失礼します」
そう言って入って来た少女を見て、誰しもが息を飲んだ。
まずは髪。
白髪などではない──明らかに光沢が違う。
断じて染髪でもない──透明感が違いすぎる。
ならウィッグ? ──いや、それこそまさか。
そんな誰の目にも明らかな本物の銀髪が──絹糸を束ねたようなさらさらのストレートヘアが──少女が歩くたび彼女の背中で揺れて踊ってきらきらと輝いている。
彼女の体躯はやや小柄で非常に華奢である。
特に首や手足それに腰などは折れそうな程に細く見ていて気が気でない。胸部や臀部の主張はやや控えめだが他の部位があまりにも細いため全体として見れば十分に女性らしい凹凸に富んでいた。
極めつけはその顔だろう。
精緻な人形という言葉でも生ぬるい。作り物にだってもう少し粗がある。白磁の如き肌は言うまでもなく滑らかで、卵形の輪郭に全てのパーツが究極のバランスで収まっている。
とりわけサファイアのような輝く青い瞳は見ているだけで魅了されそうになる。
『……妖精……?』
ぽつりと……誰かが、そんなあり得ない可能性──妄言──を口にした。
しかし「そんな馬鹿な」と笑う者はいなかった。
少女には「もしかして」と思わせるだけの非実在性が確かにあった。
まるで──彼女の存在自体がファンタジー。
『…………………………』
誰も彼もが夢見心地で惚けていた。
水を打ったように静まり返った教室は、
「はじめまして──シオン・スノーフレークです。ルーマニアから来ました。よろしく」
妖精の如き少女がそう言ってにこりと微笑んだことでようやく夢から覚め、同時に大歓声に包まれたのだった──。
【花木りん】
転校生が挨拶をするや否や、
『うおおおおおお──!』
『かわいいいいい──!』
教室が怒号のような歓声と黄色い悲鳴に包まれた。前者は男子達の、後者は女子達のものである。なお、私はといえば声にこそ出さなかったものの内心の反応はどちらかと言えば男子寄りだった。
すなわち──
うっひょおおおおお!!
なにあれ!? なー、にー、あー、れー!!
お人形だ!
お人形が生きてる! 動いてる!
ラブリー!
きゃわいいい!
かわいすぎるよー!
銀髪なんて実在するんだ!?
てか、外人さんとか聞いてないんだけど!?
ルーマニアってたしかヨーロッパだよね?
どの辺だっけ……東欧?
あれ……? でも、日本語ぺらっぺらだよね?
もう何、何なの? 全部ファンタジーなの!?
ああ、ヤバい……全私がヤバい。
え……私、あの子とお友達目指すの?
………………無理じゃない?
私は大パニックに陥っていた。
Aから始まりB、C・・・G、Hくらいまで用意していた「転校生とお友達プラン」は全て吹き飛んだ。いやだって一応美少女が来るとは聞いていたけど、あんなすごいのが来るなんて誰が予想できるの? 無理でしょ? 想定外にも程があるでしょ? あんな、触れただけで壊れそうな子にどうやってアプローチすればいいの!? 露草さんたすけてー!
ああっ!
私が一人でグルグルしてる間にもクラスメイト達があの子に何か話しかけてる。やめて! 雑に触れて壊れたらどうするの!? てか、おいこら男子! 汚れるから勝手に「ちゃん」付けで呼ぶな! そこはせめて「様」でしょーが!? シオン様ってお呼びしなさい!!
「おーい、そろそろ一旦終わりにしろよー」
スガセンがパンパンとかしわ手を打つように手を鳴らした。
「続きは授業の後だ。スノーフレークとは休み時間にでも各自親睦を深めるように」
『はーい』
時計を見れば確かに一限目の始業時間が迫っていた。
「よし、じゃあスノーフレークも座ってくれ」
「はい、えーと……」
「ああ、すまん。君の席は一番後ろの列の──」
?
なんでスガセンは私を見てるの……というか指まで差している。
ん? ああいや、少しずれてるかな?
私じゃなくて……と、ちらりと横を窺えば空席が。
あれ? ここ、空席だったっけ?
疑問、違和感、不審……私の脳裏に様々なそれらが一度に過った。
うちのクラスは昨日まで三十六人だったから席は6×6でちょうどキリよく──つまりほぼ正方形に──綺麗に並んでいた……はず。
………………うん。
改めて眺めてもその数形は今も変わらずぴったり同じで三十七人になれば必ず発生するはずの突起──ぼっち席がない。
あれー?
変だなあ?
うちって、まさか三十五人だった?
それとも今日って誰か休み? 隣の人が? 今日だけ使っとけ、みたいな?
……そもそも隣って誰だったっけ?
おっかしいなあ……などと考えていると、
「──あの空いているところだ。花木の隣だな」
え。
「はい」
こ、ここここここ……ここ!?
私は隣の空席を凝視した。
そ、そそそそそそ……そりゃ、他に空席なんてないけど!
やっぱりって感じではあるけど!
あ……ダメ、来ちゃう! 来ないで! あっ、いや、待って違うの、来てくれるのは嬉しいんだけど、むしろ大歓迎なんだけど……けど、まだ心の準備が……っ、じゅんびがががが──
「っ」
ふわりと甘い匂いが私の鼻腔をくすぐった。
「……いい匂い」
──クスッ。
「あ」
あ゛ああああああああああああああ──!?
きっ、──聞かれたっ!
私っ、──完っぺきやらかしたあああああああああ!!
変態! 変態じゃん、私!
よりによって初対面でニオイって!!
………………。
き、きききき……っ、気まずい……!
どうしよう──絶対に変態って思われた。
いや、そうじゃない──とにかく謝らないと……。
私はそのまま机に突っ伏してしまいたい衝動をどうにかこらえ、ぎぎぎと油の切れたような動作で恐る恐る隣の席を見た。
そして──
「ありがとう、よろしくね? 花木さん」
──………………。
──シオン・スノーフレーク。
──東欧から来た妖精。
彼女の瞳を見た瞬間──
「好きです」
──私はとんでもない言葉を口走っていた。