195.失った者は下を向く
「どういう意味だい?」
「だって、ミラさんはアルクスさんにたくさんのことを教えて、この世界に残しているじゃないですか」
ノアは優しく微笑みかける。
見ているだけで心が温かくなるような彼女の笑顔に、ミラさんは戸惑いながら首を傾げた。
「ミラさんはとってもいい人なんですよね。だから、亡くなってしまったお弟子さんのことも大事に思っているんです」
「止めておくれ。アタシはそんな大層な人間じゃない」
「いいえ。ミラさんはとってもいい人ですよ。話していればわかります」
そう言うと、ノアはミラさんに抱き着いた。
小さなノアの体が、ミラさんを包む。いきなりのことに驚きつつも、ミラさんは抵抗せずそのままノアの背中に手を回した。
「……やっぱり。ミラさんはとってもあったかくて、ずっとこうしていたくなります」
「……何にもないよ、アタシには。この体温も、いつかはなくなっちまうのさ」
「でも、私がミラさんの熱を感じたことは、思い出になってずっと残ります」
ノアはミラさんから離れると、彼女の手を握った。
「ミラさん。私は、生きることは失うだけじゃないと思います。生きることは、誰かに何かを残してあげることなんです。先を歩くミラさんは、後に続く私やアルクスさんの心に残って、人の命は巡っていくんです」
「……それでも、死んじまったら意味なんかないんじゃないのかい」
「いいえ。だって、お弟子さんはミラさんにとって無意味な存在なんかじゃないはずです」
ミラさんは、ハッと目を見開く。
彼女は気付いたのだ。ノアが言っていることの意味に。生きることは、失うばかりではないと。
ミラさんはきっと、たくさんのものを失ってきたんだろう。だけど、それと同じくらいたくさんのものを他人に与え、残してきた。
ノアの言葉は正しかった。そして、その言葉は凍り付いていたミラさんの時間を一瞬にして溶かしてしまった。
「……すごいね、アンタは。まるで何百年も生きてるみたいなこと言うじゃないか」
「いえ、おそらく20年くらいしか生きてない思います」
「ハハハハ! 面白いね、ますます気に入ったさね!」
ミラさんはいつものように腕を組んで豪快に笑った後、ノアをじっと見つめた。
「ノア、アルクス。アンタたちに会えてよかったよ。この世界のアタシは影みたいなものだけど、アンタたちに気持ちを話せてよかったと思うよ」
その時、ミラさんが生成していたゲートが不思議な音を立て、輪っかを形成した。
出来上がったのだ。これを潜れば、元の世界に戻れる。
「もっと早く、アンタたちの言葉を聞きたかったね。そうすれば百年以上苦しまなくて済んだのに。悔しいねえ」
「大丈夫ですよ。俺が外の世界のミラさんに伝えておきますから」
「いや、悔しいから外の世界のアタシにメッセージとしてさっきまでの出来事を伝えるさね!」
「「そんなことできるんですか!?」」
「まあアタシだからね。……ちょっと時間はかかるけど、不可能はないさね!」
この世界のミラさんは想像でしかないのに、本物のミラさんに作用することができるのか!? 相変わらず規格外だな!?
ミラさんはさも当然だと言うようにサムズアップをすると、また話し始めた。
「で、一つ注意なんだが……このゲートを通ることが出来るのはアルクスだけだ」
「なんでですか? ノアも通れるんじゃ……」
「アタシに出来るのは、このゼインの魔眼の世界と現実世界を繋ぐことだけだ。ただ、ノアに関してはどこから来たのかわからなくて無理みたいさね」
俺も一度だけ、ワープスライムでノアを外の世界に出そうとしたことがある。
だけど、できなかった。原因はよくわからない。きっと何かが邪魔をしているという結論になったわけだけど……。
「大丈夫ですよ、アルクスさん。私が出る方法は、これから一緒に探しましょう」
「そうさね。アルクスが外に出た時点でこの世界は消滅するけど、ノアはまた元の場所に戻るだけさね。そしたら時間をかけてゆっくり探せばいい」
俺は二人の後押しを受け、ゲートをくぐることを決意した。
ゲートの直前にして振り返ってみると、二人が俺を見送ってくれていた。
「アルクスさん! 頑張ってきてくださいね!」
「外のアタシによろしくさね~」
俺は二人に手を振り、ゲートを通った。
*
「んん……?」
意識が覚醒していく感覚。肉体の重みを感じる。
目を開けると、そこは見知った天井だった。
「……戻ってきたのか」
どうやら、ミラさんのゲートは正常に作動していたらしい。俺はゆっくりと体を起こし、伸びをした。
ミラさんは一時間したら見に来るって言ってたから、まだそれほど時間はかかっていないのか……?
試練に合格して、時間が余った、というのが妥当な見方だろう。
それにしても、意外とあっさりクリアできたな。実はまだ第一の試練だったとか……ないよな。
『アルクス! 聞こえてるかい!』
「ん……?」
その時、俺の頭に誰かの声が響いてきた。
それはミラさんの声だった。レベルが上がるときとまったく同じ仕組みで聞こえてくる声に、俺は困惑を隠せない。
「ミラさん!? どこから話しかけてるんですか!?」
『落ち着くさね! これはアンタが起きたときに聞こえるように仕掛けておいた、録音さね!』
要するに、伝言みたいなものか……? 一体何の用だろう。
『単刀直入に言う。王都が襲われてるから、今から来るさね!』
「は!?」
あまりにも簡素で、インパクトのある言葉に、俺はさらに驚く。