194.ミラさんの過去
「騒がしいねえ。もう少し静かに呼べないものかい?」
口調も見た目も、いつものミラさんだ。
「この人は一体……」
ノアは、初めて見るミラさんに戸惑っている様子だ。
まるで道端で自分より大きい猫を見つけた子猫のように、俺を物陰にして隠れようとしている。
「この人の名前は、リュドミラ。俺とライゼはミラさんって呼んでて、なんでもできるすごい人……って感じかな?」
「なんでもは出来ないけど、まあ概ねそんな感じさね。で、アンタは誰なんだい?」
「私はノアです! アルクスさんがいつもお世話になってます!」
「うん、礼儀正しい子は好きさね。……それに、なんだかおかしな状態って感じさね」
本質を見抜かれて、ノアは驚きを隠せない。
「そんなことまでわかるんですか!?」
「まあ、具体的に何が起こってるかはわからないけどね。複雑な状況であることには間違いないって感じさね」
『それで』と続け、ミラさんは俺の方を見た。
「何の用なんだい?」
「実は……ここは俺の心の中の世界なんです。ゼインの魔眼の試練で出られなくなってしまって……」
俺が彼女をここに呼んだのは、ミラさんなら何かを知っていると思ったからだ。
ミラさんは、唯一ゼインの魔眼の試練を乗り越えた人だ。彼女なら、ここから出る方法もわかるかもしれない。
事情を聞くと、ミラさんは『なるほど……』と言った後、腕を組んだ。
「どうですか? 何かわかりそうですか?」
「何もわからないさね!」
ミラさんはきっぱりと言い切った。
「そんな! 投げ出さないでくださいよ!」
「そんなこと言われても、わからないんだから仕方ないさね! それに、ここが現実世界じゃないっていうのも半信半疑だしねえ!」
そうか、俺にとっては別世界でも、こっちのミラさんにとっては本物の世界なのか。
じゃあ、俺はここから出られないってことか!?
「ミラさんはどうやって外の世界に戻ったんですか!?」
「そんなの、出てきた幻影を一発殴って、時空を切り裂いて出たに決まってるさね!」
「めちゃくちゃだな!!」
相変わらずの規格外っぷりに、俺は驚くほかない。
打つ手なしに見えたが、ミラさんは続けた。
「でもまあ、この世界から出してやることはできるさね」
「え、できるんですか!?」
「要するに、夢の世界から現実世界に行くゲートを作ってやればいいんだろう? アタシがやった方法を応用すれば、他人も送り出せるさね!」
ミラさんは手を手刀にして空を斬ると、いつものようにゲートを作り始めた。
「少し時間がかかるから、ちょっと待ってるさね!」
「わかりました、ありがとうございます!」
「ミラさんってすごいんですね! アルクスさんの師匠みたいな感じですか?」
師匠、という言葉がノアの口から出たその時だった。
「……師匠なんかじゃないよ」
ミラさんは何かを噛みしめるようにして、否定した。
前もこんなことがあった。ミラさんに弟子入りを頼んだ時、彼女は師匠にはならないと固く断ってきた。
「……ミラさん。理由を教えてくれませんか?」
「はあ? 何言ってんだいアンタは」
「だって、現実世界のミラさんは教えてくれないんですよ。どうせこの世界から出たら消えるんですし、せっかくだから教えてくださいよ」
会話の流れというのもあるが、俺は真面目に聞いていた。
彼女がどうして弟子をつくりたがらないのか、その根底を知りたい。
その熱意が伝わったのか、ミラさんは参ったとばかりにため息をこぼした。
「……わかったよ。教えてやるさね」
ミラさんは咳ばらいをした後、悲しそうな表情になった。
「……アタシにもいたんだよ。昔は弟子がね」
「じゃあ、昔は弟子を取ってたんですね」
「そうさね。でも、やめた」
「……それはなんでですか?」
「死んだからだよ。三人とも、アタシを置いてね」
死んだ、という言葉に俺は殴られたような衝撃を受けた。
隣を見ると、ノアも驚いたような様子だったので、きっと彼女もそうなのだろう。
「死んだって……え?」
「考えてみなよ。アタシは200歳を超えてんだ。普通に生きてたって弟子の方が先に死んじまう。おまけに、三人が死んだのは寿命なんかじゃない。モンスターにやられたり、仲間の恨みを買ったり、そんなことさ」
ミラさんの言葉に、珍しく覇気がない。
いつもは自分の中に築き上げられた理論を元に喋っている感じがするが、今は昔のことを思い出しながら言葉を紡いでいるようだ。
「最後の弟子は、殺人鬼の都合で殺されたのさ。その人物の名前は――シラユキ」
最後に名前を言ったとき、ミラさんの拳が固く握られた。
そこには、怒りや無念が詰まっていることが見て取れた。
「……アタシはね、強くなんてないのさ。虚勢を張っているだけで、失うのが怖くて震えているだけの弱虫なのさ」
ミラさんの体が震えている。やり切れないのか、ミラさんは俯くばかりだ。
「生きるってことは失うことだ。人は、生きていく中でたくさんのものを失っていく。アタシはそれが怖くて、あの森に一人でいることを決めたのさ」
ミラさんが森の中にいる理由。そして、弟子を取らない理由。その両方がわかった。
ミラさんは、失うことを恐れているのだ。大事な人を。
言葉をかけることができなかった。彼女を励ますだけの言葉を俺が持っていない、というのが正しいだろう。
何より、いつも強気にふるまっている彼女に弱い部分があることに驚いてしまった。
「……ミラさん。生きることは失うことばかりではありませんよ」
その時だった。隣で話を聞いていたノアが口を開いた。