179.潜伏先にて【SIDE:グレン】
それから三日が過ぎた。俺は今、ヘイルエイクの人気のない宿屋に潜伏している。
金は、研究所にあった金目のものを盗んで売って手に入れた。だが、しょせんははした金だ。そろそろ底をつきそうになっている。
研究所から出た後、俺はヴィットを人目のつくところに置いてここにやってきた。
もう、あいつと俺は一緒にいてはいけない。既に一度、危険な目の合わせたのだから。
そして、ヴィットと入れ替わる形で一緒についてきたのが――、
「ねえ、グレン! あたしお腹空いたんだけど!」
不満そうな膨れっ面で、俺に指図をする少女。こいつは、研究所から連れてきた<フェニックス>の女だ。
目を覚ましたらすぐに捨てていこうと思っていたが、こいつにはヴィットを助けてもらったことや、聞きたいことが山ほどあった。
だからこうして同じ部屋に泊めてやっているわけだが――、
「聞いてる!? あたしお腹空いた! お! な! か!」
いかんせん、『わがまま』が過ぎる。気に入らないことがあれば、すぐに反抗してくるのだ。
へそを曲げると無視してくるおかげで、ここまで重要なことはなんら聞けなかった。
しかし……そろそろ限界だ。俺は今になってようやく、こいつと対話する姿勢になった。
「お腹が空いたなら、もっと頼み方があるんじゃないのか?」
「はぁ!? あんたはあたしの世話係なんだから、ちゃんとへりくだりなさいよ!」
「世話係になった覚えはない。お前がその態度なら、どこへでも行って野垂れ死ぬんだな」
「ううう……馬鹿! クズ!」
少女は野生生物のように吠えると、部屋にあったものを俺に何個も投げつけてきた。
「飯が食いたいなら、俺の質問に答えろ。お前の名前はなんだ?」
「……サラ」
「サラか。歳はいくつだ」
「……15」
「……お前、それで俺の一個下かよ?」
「うっさいうっさい! さっきからグレンばっかり聞いてずるい! あたしも質問する!」
サラは『えっと……』と考えるそぶりをすると、聞くことを思いつき、パッと表情を明るくした。
「グレンはどこから来たの?」
「知らない。最初の記憶はこの街の路上だが、ここで生まれたかどうかはわからない」
「じゃあ、パパとママは?」
「知らない。気づいたときから一人だったからな」
単刀直入に答えていると、サラがみるみるうちに暗い表情になっていくのがわかった。
「逆にお前は両親のことを覚えているのか?」
「……うん。覚えてるよ。あたしは元々、平民だったから」
元々ということは、没落でもしたか。
金が無くなった両親に奴隷として売られでもした後、マシューに見つけられたのだろう。
「グレンは今質問したから、今度はあたしの番。グレンはこれからどうするの?」
「決まってるだろ。ザネントを殺しに行く」
ワカメ男は、マシューにはザネントという兄がいて、自分は今からその人物に俺のことを報告する、と言っていた。
つまり、既に俺がマシューを殺し、この街にいることが伝わっている可能性は高い。
ならば、こちらから奴を狙いに行くのが一番だ。
「殺す……?」
俺の言葉を反芻したサラは、今度はひきつった顔で俺を見た。
「なんで……なんでそんなことする必要があるのよ!?」
「決まってるだろ。ヴィットが傷ついたのは、俺があのワカメ男を仕留め切らなかったからだ。だから、次からは殺せる奴は殺す。そうじゃない奴は、死ぬほどの苦痛を与えて再起不能にする」
「そんなの……絶対おかしい! 人の命なんだよ!?」
サラがこれまでにないほどの拒絶をしたことで、俺は一瞬驚いた。
しかし、その驚きはさらに怒りへと変換された。
「……ふざけるな」
おかしい、だと? 俺の詰めの甘さのせいで、ヴィットはいなくなったんだ。
もう、俺はこれ以上、『大事』を失いたくない。だから、敵対してくる奴は確実に殺すのだ。
「おかしい! おかしいおかしい!」
サラは怒った様子でじたばたと動き回ると、そのままの勢いで部屋から出て行ってしまった。
「おい! 勝手に部屋から出るな!」
一人になると、さっきまで騒がしかった部屋が静かになる。
まったく、とんだ厄介な奴と一緒に行動することになってしまったな。静寂が身に染みるのがそのいい証拠だ。
「おかしい……か」
一人になった途端、サラの言葉が俺の頭を逡巡した。
人を殺してはいけない。殺したくない。それは俺の本能の部分がそうだと言っている。サラの言っていることはおそらく正しい。
……でも、敵を殺さないことで、『大事』を失うのは嫌だ。
やりたくはない。しかし、やらなくてはいけないのだ。
「グレン遅い! 早くご飯食べに行くよ!!」
見ると、扉を半分ほど開けて、出て行ったはずのサラが顔を覗かせていた。
出て行ったかと思ったら、飯を食いたかっただけか。俺は半ば呆れながら、彼女の後についていった。