178.お前の名前は【SIDE:ゴーレム】
「あぎゃあああああああああああああああああ!?!?」
ワカメ男が痛みに顔を歪め、殺される寸前のニワトリのように叫びまくる。
さっきは経験値のためにスキルを使っていた。だが今回は違う。
――こいつだけは許せない。殺してやる。スキルなど使わずに、じっくりといたぶって、何度でも、何度でもだ。
「もうやめて!」
ワカメ男の顔面に拳を打ち付けているとき、叫んだのは少女だった。
「そんなことしてる場合じゃないでしょ! 今はヴィットをなんとかしないと!」
少女の言葉でようやく我を取り戻した。俺は、荒く呼吸をする男を壁に投げ捨て、ヴィットの元に駆け寄った。
「おい、起きろ! 起きろ!」
「……うるせえなあ、耳に響くだろうが」
体を揺すると、ヴィットは気だるげに言葉を返してきた。
だが、出血量を見れば彼が虫の息なのはすぐにわかる。おそらく、思考もぼんやりとしているはずだ。
「喋るな。今俺が外に運んでやるからな」
「……いや、もういいんだ」
「いいわけないだろうが! いいからさっさと……」
「もう間に合わないのは自分でもわかってるんだ」
ヴィットは本気だった。本気で諦めている。彼の言葉が俺の上に重くのしかかるようにして、体から力を奪っていった。
「馬鹿なことを言うな! 俺が……俺がなんとか……」
「いいんだよ。……それに、お前がそんなに必死になる理由なんてないだろ?」
確かになかった。でも、今はある。
こいつは俺にとっての『大事』なんだ。生まれて初めて見つけた、特別な存在だ。
……そうだ、大事なら。
「ヴィット。俺に……名前を付けろ」
うっすらと目を開けながら、意外そうな顔をしたのはヴィットだった。
「名前? ……それは前にも言ったろ、名前っていうのは――」
「いいから、つけろ」
俺が根気強くヴィットの目を見つけると、彼も俺の気持ちが分かったのか、天井を見上げて呟いた。
「……グレン」
「グレン?」
「そうだ。もうじき子どもが生まれるんだがな、男ならグレン、女ならシェリーにしようと思ってたんだ」
ヴィットが父親になる予定だったことなんて、俺は知らなかった。
いや、それだけじゃない。俺はこいつのことを何も知らなかった。知らなくても大丈夫だと思っていたんだ。
「……わかった。俺はグレンだ。俺がお前の意志を引き継いでやる」
「そうか、だったらよかったよ。これで安心できるってもんだ……」
「……おい! ヴィット! ヴィット!」
俺はヴィットの手を握りしめ、必死に声をかける。だが、手のひらを通じて熱が奪われていくのを感じる。
……クソッ! 本当にこれでいいのか!? このままじゃヴィットが――、
「――あたしが」
その時、ヴィットのすぐ近くまでやってきたのは、少女だった。彼女は覚悟に満ちた目でヴィットを見つめると、ふうと息を吐いた。
「お前、何をするつもりだ?」
「あたしのスキルなら、助けられるかもしれない!」
「スキルだと……? なんだそれは!?」
「あたしのスキルは<フェニックス>! できるかわからないけど、少しでも可能性があるなら……!」
少女はそう言って、ヴィットの額に両手の手のひらを当てる。
すると、彼女の手が白い光を帯び始め、みるみるうちに傷が巻き戻るようにしてふさがっていく。
特別な子どもというのは、やはりスキルのことだったのか!
「……ふう、これでなんとか傷はふさがったわ」
血は床に溜まってはいるが、ヴィットの頭はさっきまで怪我していたとは思えないほど綺麗になっていた。
少女の方に目をやると、彼女は額から汗をダラダラと流しており、息もかなり上がっている。どうやら、スキルの発動には相当な体力を使うようだ。
「それは回復魔法とは違うのか?」
「別物みたい。回復魔法はこんなふうに一瞬で傷を治せないし、それに……」
その時、少女はぼそりと喋ったのを最後に、倒れてしまった。
慌てて確認すると、息はあるようだ。単に疲れて気を失ってしまっただけか。
「う、嘘だ!! ボクは確かに殺したはずなのに……なんでだよお!!」
二人が眠っている空間で、静寂を破ったのはワカメ男だ。ワカメのテカテカ度合いが増しているので、緊張しているのだろうか。
「時間を取って悪かったな。地獄に送ってやる」
「ヒッ! ヒィィィィ!! で、でもキミに勝ち目なんてないぞ!?!?」
「は? お前みたいな雑魚が俺に勝てるわけないだろうが」
純粋な問いを投げかけると、ワカメ男は『ヒヒヒッ』と不気味に笑みをこぼした。
「バーカ! ボクがやるわけないだろ? ザネント様に処刑してもらうのさ!」
「ザネント様?」
「マシュー様のお兄様だよ! キミみたいな雑魚なんて、一瞬でボコボコなんだからなああああ!!」
ワカメ男は首を掻っ切るしぐさをすると、ゲラゲラと笑いながら走って逃げて行ってしまった。
追いかけようと思ったが、後ろの二人を放置すればさっきの二の舞になってしまう。俺は歯を食いしばり、逃げるワカメ男の背を睨み据えた。
「ザネント、か……」
マシューに兄がいたなんて知らなかった。その話が本当だとすれば、ワカメ男はザネントを俺にけしかけてくるだろう。
……厄介なことになったな。また襲われるかもしれないと思うと、面倒だ。何か対策をしなければ。
と、その前に、まずはこの二人をなんとかしよう。