165.蓋をしていた感情【SIDE:ライゼ】
ミラさんの家に泊まることになって数時間。森の――ましてや謎の空間の中だからわかりづらいけど、時刻はすっかり夜。
私はミラさんにお風呂を勧められ、露天風呂に浸かると、貸してもらった部屋へと戻る。
もうしばらくしたら眠り、私とアルクスはまたオルティアへと戻ることになる。
そうしてまたいつも通りの日常に帰る。そうだ、元通りになるだけ。
――なのに、私の心には、自分にも正体がわからないような不思議な感覚が靄のように立ち込めていた。
しばらく使われていないと思われるふかふかのシングルベッドに座り込んで、しばらく考え事をしていた。
この気持ちはなんなんだろう。思えば、少し前からその片鱗はあったように感じる。
「なんなのよ、これ……」
私は胸に手を当て、喉に魚の骨が詰まったような感覚の正体を探った。
「邪魔するさね」
その時、部屋の扉がノックもなしに開けられ、ミラさんが入ってきた。
「ミ、ミラさん!?」
「そんなに警戒しなくたっていいさね。なに、ちょっとした雑談をしに来ただけさ」
ミラさんの手には木製のマグカップが二つ握られていて、中はココアで満たされている。
半ば強引にマグカップを押し付けられたかと思うと、ミラさんは私の隣に座ってカップに口を付けた。
……温かい。これ、私がお土産で持ってきたココアパウダーを使ったんだ。
白い煙がゆっくりと顔に上り、甘い香りが漂ってくる。私は彼女に促されるまま一口ココアを飲んだ。
「段取りは苦手さね。単刀直入に聞く。……アンタ、なんで後衛しかやらないんだい?」
ミラさんは真剣な表情で私にそう言った。
だが、意味はわからなかった。私はすぐに答える。
「……いえ、魔法使いは後衛をやるものですよね? それに、アルクスのサポートだってできるし……」
「そんな話をしてるんじゃない。私はなぜやらないのかって聞いてるんだ」
ますます意味が分からなくなった。魔法使いは後衛をやるものが当たり前で――、
――いや、もう私は気づいてる。気づいてない振りをしてるだけだ。
「……怖いんです。あいつとの距離が離れるのが」
口に出したのと同時に、驚いた。そんな言葉が出てくるとは自分でも思わなかったからだった。
まるで、熟した果物が木から落ちるように――私の口から漏れたその言葉は、間違いなく自分のものだった。
私はその勢いに身を任せ、言葉をゆっくりと紡いだ。
「……私とアルクスが最初に一緒に会ったときは、私がレベル11で、アルクスはレベル4でした。私の方がレベルは上だった。でも、今は見ての通りです」
私のレベルは23。アルクスは――61。
とても比較にならない。それほどまでに、私たちの間には差が生まれていた。
「この前も、ダンジョンに一緒に潜った時、あいつとローラはどんどん強い敵を倒してた。なのに私はあいつの背中を見て、サポートすることしかできなくて」
言葉は、一言零れ落ちるたびに濁流の詰まりが取れるようにしてさらにとめどなく続いた。
これまで溜まっていた感情が一気に流れ落ちるような不思議な感覚。私はひたすらに喋り続けた。
「あいつは私のことを相方って言ってくれるけど。どう考えたって、私のレベルなんかじゃあいつとは釣り合ってなくて。私は弱くって、ついていくのが精いっぱいで」
ミラさんは口を挟むことなく、私の話に耳を傾けていた。それが、私の言葉をさらに加速させた。
「本当なら、あいつだってもっと強くなりたいはずなのに、私があいつの足を引っ張ってるんです。もし、あいつの相方がローラだったら、あいつはもっと先に行けるのに。私は弱くって――」
「甘ったれたこと言ってんじゃないよ!」
その刹那、ミラさんが一喝した。
突然のことに私は驚き、彼女の顔を見る。ミラさんは真っすぐな目で私を見つめていた。
「アルクスがどうしてアンタに背中を預けてると思ってるんだい? それは、あいつがアンタのことを信頼してるからさね! 冒険者が命がけの現場で信頼するってことの意味が、アンタはわかってない!」
「で、でも……私なんかよりも、もっと適任が……」
「いいかい、アンタ以上の適任なんて、アルクスにとってはいないのさ。あいつがアンタを選んだんだ。だったら、アンタがそんなでどうするさね!?」
ミラさんの強い言葉を聞いて、私の目からは涙が流れていた。
なんだろう。この感覚。すごく恥ずかしいけど、素直になれているような感じがする、この感じは――、
「ライゼ、選びな。今すぐアルクスの元を去るか、強くなってあいつの横に立つか。アンタに出来ることはそれだけさね!」
私は涙を拭いた。そして、今まで何かが詰まっていた胸の奥から、言葉を紡ぎ出した。
「……強くなりたいです! 私は、ずっとあいつの傍にいたい!」
その瞬間。ミラさんは涙でぐしゃぐしゃの私をぎゅっと抱きしめた。
あったかい。なんだか心が安らぐような――そんな優しさを感じる。
「それでいいさね。ライゼ、アンタは頭がいい。だからこそ、余計なことを考えちまう。でも――素直でいることも大切だよ」
「私……強くなれるでしょうか? あいつの隣にふさわしいような、本物の相方になれますか?」
「馬鹿言ってんじゃないよ。あいつの相方はアンタだけだ。これまでも、これからもね」
ミラさんは私を抱きしめる力を強めると、優しく頭をなでてくれた。
「アンタは強い子だ。そして、誰よりも強くなれる」
私はミラさんの胸の中で嗚咽した。
私の泣き声が、部屋の中でこだまする。いつもだったら恥ずかしくて、涙なんて流したくなかったけど――今だけは別だった。
私は、強くなる。強くなって、自信をもってアルクスの隣に立てるような、そんな魔法使いになるんだ。