009.そして彼女は少し前進する
俺が『村雨』を鞘から抜くと、刃のつけ根から霧が発生して瞬く間に訓練場を通見込んだ。
ただ、正確には俺よりも前方……つまり俺とシルフィ以外の者たちの周囲に、濃霧が発生したような状況になっている。
「な、何だこれは……」
「おい、なんだか少し寒くないか?」
試合を見ているギャラリーからそんな声が聞こえてくる。彼らはすぐ傍に霧が発生したため、そんな感想を口にできるのだ。
だが、この霧に完全に包まれてしまった者たちは──
「ううう~、な、なんだ、これは……」
「さ、さむい……くぅ……」
「い、息が……痛い……」
この『村雨』が持つ特殊な力により、極寒の霧を発生させた。今相手パーティーの男達は、普通の環境から一瞬で極寒の世界へと移動させられたような状況だ。つまり快適な環境下にいた状況から、いきなり北極とかに放り出された状態だ。
当然心身ともに萎縮するし、なにより状況がさっぱり理解できないだろう。そのため全員が漏れなく地面に崩れ落ち、動ける者はほとんどいない程だ。
ともかく、これで決着なら話は早いなと思ったのだが。
「くっ…………《ファイア》!」
見れば相手の女──シャーミットは、火魔法を詠唱して周囲の寒気を中和していた。あいつもこの寒さに晒されたはずだが、執念で火の初級魔法を詠唱したのだろう。腐ってもCランクだという事か。
どうにか体勢を立て直したらしく、すぐさま最初に放とうとした魔法の詠唱に戻ったようだ。おそらくはそれでもシルフィより、先に詠唱を完了する自信があるのだろう。
そしてその予想は、すぐに現実のものとなる。
「《ウインドストリーム》!」
詠唱を終わらせて魔法を発動してきた。詠唱は風属性の強力な魔法。極寒の濃霧越しに見えるシャーミットは、堂々とした態度でこちらを指差している。ここからは良く見えないが、きっと自信満々な表情をうかべているのだろう。
だが、すぐに戸惑いの声が闘技場に響くことになった。
「えっ…………な、何よこれはあああぁッ!?」
「ぐああああ! こ、これはあああ!?」
「リーダー! 何をなさるんですかぁああ!」
「や、止めてくれぇえええ!!」
見れば強力な風魔法の渦が、俺達にではなく自分の取り巻き達……つまり『テンペストクイーン』勢のど真ん中で発動している。
当然寒さでまともに動けないため、その威力を全身に受けてズタボロ状態だ。だが、一番驚いているのはシャーミット本人。何故魔法が自分の想定した場所ではなく、それよりはるか手前で発動してしまったのか……そう思っているはずだ。
その理由は単純だ。あの濃霧は密度が高く、シャーミットが打ち出した魔法が本来の目的地へ届く前にその効果が発動してしまったのだ。つまりあの濃霧の中から魔法を発動するなら、いつもよりも強力な魔力を込めて放たなければいけなかった。だが、当然シャーミットがそんな事を知るはずもない。
結果、中途半端な距離で魔法が発動してしまったというわけだ。
──さて、そろそろこっちも準備OKかな?
「シルフィ、こっちから放つ魔法は大丈夫だから安心して」
俺の言葉にこくりと頷くシルフィ。それと同時に魔法の詠唱が完了したようだ。
「────《サンダーストーム》!!」
力強いシルフィの声で強力な魔力が発動する。彼女の周囲には濃霧はなく、打ち出した魔力はまっすぐ上空へ伸び、そこから一気に下方へ伸び……一斉に拡散した。
「ぐおおおおッ!」
「がはっ、あががががッ!」
「焼ける! 痛い、痛い!」
今度は雷の攻撃をもろに浴びてしまう男達。試合相手とはいえ、これはかなりきついはずだ。
そして、今回はもう一つ絶叫が加わった。
「ぎぁああああああ~~~ッ!!」
それはもちろんシャーミットだ。彼女達に周囲には濃密な霧が充満している。この霧だが、当然純水などではない。そのため存分に電気を通す役割をはたし、シルフィの雷を全方位から満遍なく浴びせる効果を発動しているのだ。
シルフィの魔法が発動してから、勝敗は一瞬で決した。状況を判断すべき審判が、すぐに俺達の勝利を宣言したからだ。さすがはギルド職員……というか、多分判断を下したのはギルドマスターのカイザックだえろうけど。
俺は『村正』を鞘に戻して手を離す。すぐに送還され、その効果で発生していた濃霧もかき消すように消えた。
その一部始終を見ていたギャラリーからも、驚きや戸惑いの声が聞こえてくる。
「何だったんださっきの霧は? アイツが剣を抜いたら発生したように見えたぞ?」
「というか、いつの間に剣なんて持っていたんだ?」
「そういえばそうだな。今はもう持ってないし」
「それにしても、なんでシャーミットは仲間に魔法をぶつけたんだ?」
「たぶんそれをやったのがアイツなんだろ」
「それにさっきの雷魔法……なんか凄かった」
「何だよ凄いって……でも、凄かったな」
勝てるだろうとは思っていたけど、他の冒険者たちの反応も悪くないかな。とりあえずほっとしているとシルフィがこちらにやって来る。
「アスカ」
「ん、お疲れ様シルフィ」
「お疲れ……ってほどじゃないけどね」
自嘲気味なセリフならが、表情はどこかスッキリしている様に見える。
「とりあえず……ありがとう。全部解決ってわけじゃないけど、何かを変えるきっかけにはなったと思う」
「そっか。それなら良かった」
いきなり全てが好転するとは思わないが、少しでも得られたものがあったのなら僥倖というべきだろう。それじゃあ次は……と思っていると。
「アスカさん、シルフィさん! もう、本当に驚きましたよっ」
ちょっとばかり怒っているような表情でエミリィさんがやって来た。
「でも無事でよかったです。お疲れ様でした」
「はい、ありがとうございます」
「ありがとうございます……」
「『テンペストクイーン』の皆さんも、すぐに手当てをしておりますので……今回は、これで終わりです」
見ればシャーミットも取り巻き立ちも、既に救護班の手当てを受けており、自分の足でちゃんと立っているようだ。だがこちらを見ると、表情に悔しさをにじませる。
だが、さすがに何を言ってくるような事はしなさそうだ。そこで少し疑問に思ったことをエミリィさんに聞いてみる。
「あの、流れで試合をする……みたいな感じになったんですが、こういう事って結構あるんですか?」
「こういうとは、ギルド内で口論になって試合で決着をつける……と?」
「はい」
やっておいて何だが、こういう事は普通なのかなと気になった。だがエミリィさん曰く、無理に押しとどめると余計な問題が横行するから、きちんと設備も対応もできるギルドで試合をさせたほうが問題が無いとの事。
無論それにも常識内でのことで、頻繁に諍いを起こすよな者には厳罰があるとの事。一定期間の冒険者資格の停止などで、その間に問題を起こせば剥奪もあるとか。
そうなるとたとえ余所のギルドへ行っても、情報は共有しているので二度と冒険者の資格は取れなくなってしまうらしい。一見厳しそうだが、そういった規則のおかげでこれまで運営できていたという。でもまあ冒険者なんてものは、往々にして荒くれ者って感じだからこれでいいのかもしれないな。
「そういえばアスカ、何か私に話そうとしてなかった?」
「ああ、そうだったな」
そういえばまだ【剣召喚】について話せていなかったと思い出す。今日はもういろいろあったから忘れていたな。。
「そうだな……明日でもいいか?」
「ええいいわ。エミリィさん、明日また二階の部屋をお願いできますか?」
「はい、承りました。まだ大丈夫だと思いますから、予約をしておきます」
エミリィさんは笑顔で会釈をすると、いそいそと建物の中へ。
それを見た俺達も、少しばかりスッキリした気持ちを抱えて戻るのだった。
◆初出の剣◆
B:『村雨』
江戸後期の読本『南総里見八犬伝』に登場する架空の刀。
よく村正と混同されるが、全く別物であり村正は実在する刀。
抜けば刃のつけ根から霧を発生させて寒気を呼び起こすといわれており、効果は使い手の殺気が高まるほど強くなる。
村雨を妖刀として描いた映画の影響で、以降は『妖刀村雨』と呼ばれることもあるが、『南総里見八犬伝』に出てくる村雨は呪われてはいない。