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Lesson 1  My name is Ken.


 俺、『中嶋健』には、物心ついた頃からの悩みがあった。

 いや、少し大袈裟かもしれない。

 悩みというよりは、そう──違和感。


 その違和感は、まず、朝にやってくる。


 我が家は、築32年。

 郵便局に勤めていたお爺ちゃんが、「子供部屋が欲しい」と父に言われたことをきっかけに建てた家らしい。

 父が熱望した子供部屋は、現在長男である伝承者、つまり俺に一子相伝されている。

 まだまだ建物はしっかりしているが、どうしても経年とともに現れる劣化とは無縁ではいられないようで、各所に痛みが出ていた。

 中でも『ギシギシ』という階段の上り下りとともに鳴る音は、これまで家が経てきた時間の重みを感じさせる。


 今朝もまた、僅かに聞こえた音が、次第にクレッシェンドだ。

 母親が、俺を呼びに来るために階段を上っているのだ。

 『ギ⋯⋯ギ⋯⋯ギシ、ギシ』と、母親のあゆみとともに、俺の耳に届く音は大きくなり、その音がピタっと鳴りやむと同時に、その違和感はやってくる。


「Kenちゃん! ご飯できてるわよ! 急ぎなさい!」


 これ。

 普通に俺の名を呼んでいるのだが⋯⋯なんか引っかかるのだ。

 なんとなく、カタカナで表記すると「ケィェン」と呼ばれている気がする。

 なんなら、語尾に僅かに「ヌ」を感じる。

 

 「ケィェン(ヌ)」って感じだ。

 

 俺も、両親も、日本生まれの日本育ち。

 訛りが発音を浸食する余地のないほど、標準語の地域で育った。

 特に俺は、普段標準語の癖に、変に関西弁を使うようなやつは嫌いだ。

 昨日も標準語の友人が俺との会話中に「なんでやねん!」とか言いやがったから「そういうのやめよ?」って注意したくらいだ。

 友人が、「なんかごめん」って必要以上に謝ってきたので、「ええんやで」って返しておいた。

 そのくらい標準語にこだわりがある。


 本来「けんちゃん」と呼ぶ場合、「裁判」的なイントネーションのはずだ。

 はい、言ってみよう、「裁判」「けんちゃん」「裁判」「けんちゃん」「裁判」「けんちゃん」。

 

 うん、完全に一致だ。


 これが「裁判所」になると、「裁判」の部分の発音変わるから、注意な。


 ともかく、母親が俺を呼ぶときの呼び方は「ケィェン(ヌ)ちゃん」だ。


 日本語で近い感じで言うと「消えんチャン」、ブーム去ったのにテレビから消えないしぶとい中国人男性コメディアン、チャンさん的なニュアンスだ。

 頑張れチャンさん、異国の地で頑張るあなたを俺は応援するぞ。

 ダッテ、オレ、アナタノコント、スキダカラー!




 というか、この発音は母親だけではない。

 俺が他人から下の名前で呼ばれるときは、基本「ケィェン(ヌ)」なのだ。

 

 例えば母親に「建設現場」と言わせれば、普通に「けんせつげんば」だ。

 倦怠期、と言わせようとしたら「あんた、母親に何言わせようとしてるの?」だ。

 東京特許許可局と言わせようとしたら、「とうきょうきょきょきょきゃきょく」だ。


 そう、俺の名前の発音の「けん」以外は、普通なのだ。


 なのに、俺を呼ぶときだけ、「ケィェン(ヌ)」なのだ。


 生まれて16年、正確には言葉を理解しはじめてからだから14年くらいか? 俺は常にこの違和感を感じて生きてきた。



 そう、この日、その違和感の正体がわかるまで⋯⋯。

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