ob.5 preparation
秀は、シルクリアたちがいつの間にか選択してくれていた白いシャツと黒のスラックスに身を通した。
シルクリア曰く、「結構汚れてた」らしい。
だがシャツとスラックスはまるで買ったばかりのようにまっさらで、彼女の丁寧さが感じられる。
「と、いうわけで。秀さんのお部屋を見繕いましょうか」
「しかしシルク様。見繕うとはおっしゃいましても、この家の部屋は然程多くはありません。現在使われていないのはあそこだけになりますが」
三人分のカップを片付けながらレヴィアが口を挟む。メイドの説明にはっとするシルクリア。
「そういえばそうでしたね……ですがあそこは使われていないだけであって汚いわけではないですから大丈夫でしょう。それに、私はあの部屋好きですし」
「シルク様がそうおっしゃるのであれば、わたくしは構いませんが……とりあえずは、秀様にはあのような所に納まっていただくしかなさそうですね」
「……そんなに触れられない場所なんですか?」
彼女らの言葉の端々から聞き取れる「使われていない」や「あのような所」という言葉を聞いて、不安そうな声音で尋ねる秀。
「大丈夫ですよ。今から見に行きましょう」
そう言って、三人は立ち上がった。
***
「ここです」
三人が到着したのは、二階の廊下の突き当たりの前だった……が。
「え……これは?」
「梯子です。ここから上に行くと部屋があります」
「所謂”屋根裏部屋”と呼ばれる所です。わたくしも一度しか訪れたことはありません」
そう。ただの廊下の突き当たりではない。
なんと梯子のついた突き当たりだったのだ。
梯子とは__要は”垂直な階段”である(例外あり)。通常、水平な部分に手をかけ足をかけ昇降するためのものである。結構危ない。
そんな旨の説明を秀に施すシルクリア。
「なにはともあれ、昇ってみましょうか。下から私たちも付随するので怖くありませんよ」
「わ、わかりました……」
(そうは言われても、こんな危なっかしいものを登っていくなんて出来るだろうか……いや、なんとなく出来そうな気がしてきた)
おそるおそるといった様子で、右手と左足をかける秀。
昇り初めは怖がっていたが、すぐにその恐怖がなくなったのか昇るスピードが早くなっていた。
そうして彼らは梯子を昇りきって__
「ここが屋根裏部屋……ですか?」
秀が視界に入れたのは、そこそこな広さを誇る、天井が三角の部屋__通称”屋根裏部屋”。
低い天井ゆえにややせせこましい印象を与えるが、出入口より奥にある丸窓、天井にある天窓が空間を拡張している。
天井を除けばそれほど悪くもなさそうな、秘境ならぬ秘部屋だった。
「この家を買い取ったときから存在はしていましたが、レヴィアと二人で生活する分にはこの部屋は使わなくともなんとかなっているので、長らく放置されてたんです」
「……これはなかなか心惹かれますね」
秘部屋に心を動かされたらしい。秀は物珍しげな顔であちこち歩き回る。
「ふふっ、気に入ってもらえたようで何よりです」
「ありがとうございます。けど……」
秀が改めて部屋を見回すが、彼の視界には、家具などは映らない。しかしそれはシルクリアやレヴィアでも同じことだった。
「そうなんですよ……このままではここは生活空間にはなり得ません。掃除も要るみたいですし」
ため息をつかんばかりのシルクリア。
「そういうことでしたら、俺がやります。せっかく部屋まで与えていただいたのですから!」
「……」
「……」
それを見た秀の、意気込み溢れるような声音に、彼女らは顔を見合わせる。
「どうしました?」
「お気持ちは嬉しいですけど……」
シルクリアは、どこか困ったような、呆れたような苦笑を浮かべる。
「……掃除のやり方、わかります?」
「……」
「……」
「…………そう言われてみれば」
はぁ、とため息の音。発したのはもう一人。
「まあ、掃除の仕方などは後々覚えてもらわないといけませんのでわたくしが教えますよ、シルク様。それよりも」
「先に調度品を揃えないと部屋らしくなりませんね。というわけで今から外に行きましょう!」
「外か……楽しみだな」
その言葉で、三人はまた梯子を降りた。
***
「服や靴は、貴方が目を覚ますまでに綺麗にしておきました。最初は外に追い出……追い出すつもりだったので」
「言い直して同じこと言うなら言い直さないでください……」
彼らは今玄関にいる。この玄関も例によって洗練された雰囲気を醸し出しており、
(昨日ここを見られなかったのは残念だな)
と秀はぼんやり感じていた。存外に綺麗なものが好きらしかった。
「なんにせよ、何から何までありがとうございます……って、シルクリアさんなにやってるんですか?」
見れば、銀を携える傾国の美女が頭に黒いものを乗せてもそもそしている。それはどことなく、髪のような物体だ。
「これですか?鬘ですよ。外に出るときはいつも髪と身分を隠すんですけどね」
「はぁ……」
(ほんと、知らないことだらけだ。いや覚えてないだけかもしれないけど)
鬘、という聞き慣れない__あるいは聞き覚えのない__単語につられて、身の上を憂える。シルクリアが鬘を被る一連の様子を見ながらふと思う秀。
「個人的には、あの綺麗な銀髪が好きなんだけどな……」
つい、ポロリと本音が溢れる。
「それが遺言で構いませんか?秀様」
「へ、遺言……って危なっ!!」
瞬く間に秀の喉元に剣先を突きつけるレヴィア。目がマジだった。
「ちょ、二回目ですけど!」
「セクハラじみた発言はお控えなさってください」
「何も喋ってないのに!?」
「無意識ですか?ならなおのこと放置しておけませんよ?」
「あらあら」
朝から、しっちゃかめっちゃかだった。
***
ヒューロットはそれなりの規模の町である。
町の中を川が横切っていたり、広場ではたまに何らかのイベントが開催されていてまあ結構賑やかな町だと言えるだろう。
「これが、町ですか…………うわぁ……」
拾われたときには見ることのできなかった景色の一つを目の前にして、秀の目は童子のように輝いていた。
「あ、あの座っている人は何をやっているんですか?」
「あれは路上でヴァイオリンの演奏をパフォーマンスしているんですよ。あの人は最近よく見かけますね」
「じゃあ、あそこで複数人で飲み食いしている人たちは?」
「あそこは食事処ですね。結構美味しいことで有名ですよ」
目に映るもの全てが、彼にとって初めてのこと。
「秀様、あまりおはしゃぎにならないように。迷子になっても知りませんよ?」
「大丈夫ですって。二人がいないと何にもできませんし」
レヴィアは相変わらず秀に釘を刺す。
「……」
しかし、その口元は僅かに緩んでいた。
「ここですね」
三人は、町でも随一の家具屋に着いた。おおよそ歩いて15分といったところだ。
「値段のわりに質が良いんですよ、ここ。家のも此処でだいたい揃えました。ささ、中に入りましょう」
そう言ってシルクリアが扉に手をかけると、不意にその扉がバタンと激しい音を立てて開かれた。
「きゃっ!」
「危ない!……っと」
その衝撃でシルクリアが後ろに倒れるのを、秀は慌てて支えた。
「大丈夫ですか?」
「ええ、ありがとうございます」
「ところで、貴方は……?」
開いた扉の向こうには、品のある衣服を身に纏いどこか気高さも感じられる。長身の男性が立っていた。
「これはこれは、失礼した。まさか私ともあろうものが、住民に迷惑をかけてしまうとはね。深く非礼を詫びよう」
深みがあり落ち着いた声。その精悍な顔立ちもあって、一種のカリスマ性があった。
「いえ、私は大丈夫です。それより随分と急がれている様子でしたが」
「ああ、そういえばそうだったな。では私はこれで」
そう告げた男は足早に扉を去っていく。
「……なかなか格好いい人でしたね」
「そうですね。それでは改めて中に入りましょうか」
「……ところでお二人方。いつまでそうしていらっしゃるおつもりで?」
少し、苛立ちが滲む声。見れば、今にも血管が切れそうな顔をしたメイドが立っていた。
「あ、ごめんなさい!」
パッ、と慌てたように手を離す秀。
「こ、こちらこそごめんなさいね」
シルクリアの声も少し上ずっている。
「……はぁ。まあ、今のは完全な事故ですので仕方ありませんね。ほら、お二人ともさっさと行きますよ」
彼女のその言葉で、ようやく三人は店の中へと入っていった。
***
一人の男が町を歩いていた。早歩きではあるが。
その男はどこか惚けた面持ちだった。
「あの女性……美しいな……」
彼の呟きは誰に聞かれることもなく町の喧騒にかき消えた。