その人、2つの顔を持っていますよ?
「あーあっ! くそっ!」
俺は一気に仰いだエールを飲み干し、空になったコップをドンと机の上に置く。そして
「アオイさん、もう一杯!!」
次のエールを注文する。そんな俺を前に座る金髪の男性、俺が騎士として働いている騎士団の団長であるエルール団長は苦笑いをしていた。
「おいおい、ラルト。流石にペースが早いんじゃないのか? すぐに酔ってしまうよ?」
「団長は悔しくないんですか!? あいつに良いように振り回されて!」
俺は酔った勢いでエルール団長に怒鳴ってしまう。普通ならあり得ない事だが、ある日の後の酒が入った時はいつもこうなってしまうので、エルール団長は苦笑いをしている。
俺がこんなに酒を飲んで怒っている理由。それは、王都を騒がせている大泥棒ノーネームのせいだ。
以前から王都に現れた泥棒で、盗みをする前に必ず騎士団に予告状を置いて行き、その予告状の通り指定された商人や貴族の家に侵入しては、金品などを盗んでいく泥棒だ。
その盗んだ金品を孤児院や教会、裕福では無い家に配って行くため、民衆の間では義賊として話題になっている。ノーネームの舞台なども行われたりしている。
民衆に喜ばれる反面、治安を守る俺たち騎士からはただの犯罪者でしか無い。しかも、予告状など送りつけられて、万全を期して警備を行なっているのに盗まれるという。そのせいで、民衆や貴族からは間抜けなど言われて……
「はい、ラルトさん。そんな眉間に皺を寄せていたら男らしい顔が台無しですよ?」
ノーネームの事を思い出していると、俺の前にコンとコップが置かれる。さっき頼んだエールだ。顔を上げると、俺の顔を見てくすくすと笑みを浮かべるアオイさんの姿があった。
俺やエルール団長だけでなく、騎士団が行きつけにしている酒場の看板娘で、俺が心の中で好きに思っている人だ。
首元まで伸ばされたサラサラの黒髪に、黒曜石のように綺麗な黒い目。ニコニコと笑みを浮かべる愛らしい表情。あぁ……いつ見てもアオイさんは綺麗だなぁ。
「今の話って『名無し義賊』のお話ですよね? 悪い貴族や商人からお金をとって貧しい人へと配る有名な。どうしてそんなにラルトさんは怒っているのですか?」
可愛らしく首を傾けて尋ねてくるアオイさん。ぐぐぅっ、そんな可愛らしい表情を見せてくれるアオイさんには答えてあげたいけど、あの事は……
「それはね、我々がノーネームを捕まえに行くと、必ずラルトの目の前にノーネームが現れて、ラルトを弄ってから逃げるんだよ。そのせいでラルトは……」
「あぁぁっ! 言わないでくださいよ、団長ぉっ!! 俺だって悔しいんですから!」
「はははっ、悔しいと言いながらも、いつも鼻の下伸ばしている癖に」
ぐぬぅっ、団長め。ここぞとばかりに弄って来やがって! ノーネームに弄られた事を思い出していると
「ノーネームに弄られて鼻の下を伸ばすってどういう事ですか?」
「ああ、ノーネームって既に知られているから言うけど女盗賊なんだよ。その女盗賊がね、いつも必ずと言って良いほどラルトの前に現れて……ねぇ?」
団長はノーネームの容姿などを説明しながらニヤニヤとした笑みを浮かべてこっちを見てくる。ノーネームはフードを被っているため顔は見えないけど、顔より下は、ヘソを出してぴっちりとした上衣を着て、下はホットパンツに太ももまで伸びた黒いオーバーニーソックスという男からは喜ばれるような艶めかしい格好をしている。
その格好のノーネームに俺が弄られている事を楽しそうにアオイさんに説明しながら、ニヤニヤ笑みを浮かべて見てくる団長にジトっと睨んでいると
「へぇ〜、ラルトさん、そういう人が好きなんですねぇ〜」
と、アオイさんに言われてしまった。俺は慌てて弁解しようとしたのだけど、タイミング悪く酒場の店主ががアオイさんを呼び出したため、弁解する暇もなく話は終わってしまった。
アオイさんに変な誤解をされたまま終わってしまった事に落ち込み、その原因を話した団長を睨んでいると、流石に悪いと思ったのか、謝ってくる団長。団長は俺がアオイさんに好意があるのを知っているからな。
この怒りを吐き出すためにアオイさんが持ってきてくれたエールを飲もうとした時に、酒場の扉が勢い良く開かれた。
みんなが扉の方を見るとそこには、俺の後輩になるデュークが息を切らしながらも入って来たのだ。酒場の中をきょろきょろと見渡して、団長も俺を見つけると、慌てて近づいてくる。
「団長、副団長、見つけましたよ」
「何かあったのかい?」
デュークは無言のまま懐に入れていたであろう手紙を取り出して団長へと渡す。この香水の匂い……あいつからか。先ほどまでニコニコとしていた団長も真剣な顔に変わり立ち上がり、俺も続いて立ち上がる。
アオイさんとは別の店員の女性にお金を払い店を出る。全く、せっかく気分良く……かはわからないけど酔っていたのに、来やがってノーネームめ。
◇◇◇
「貴様ら騎士団なぞ要らぬ。儂の私兵だけでな!」
偉そうにふんぞり返るのは、王国のほとんどの町に店を出している商会の商会長だ。その後ろには金で雇ったのだろう冒険者が3人立っている。屋敷の外にも合計で100人はいるであろう冒険者たちが立っていた。
「デイビス商会長殿。ノーネームを甘く見てはいけません。奴は人数を揃えようとも侵入してくる輩です。逆に人数が多いせいで被害が拡大する事も……」
「ふん、何度も逃げられている者の言葉は違うな。実感がこもっておるわ。まあ、心配せんでも良い。奴は我々が捕まえて楽しませてもらう。話に聞けばノーネームは女というではないか。くく、今から楽しみだ」
そう言って下卑た笑みを浮かべる商会長。後ろの冒険者たちも似たような表情を浮かべている。下衆どもが。
「……わかりました。我々は何かあった時のために屋敷の外で待機しておりますので」
団長はそれだけ言って部屋を出る。俺も後に続いて部屋を出るが……あのままあそこにいたらあのクソどもを殴り飛ばすところだった。
「こらこら、そんなに怒気を放たない。気持ちはわからない事はないけど事実なのだから」
「……わかっていますよ」
まあ、あんな奴らにあいつが捕まるわけないか。あいつを捕まえるのは俺だからな。
面倒な挨拶の後は騎士団を2人1組に分けて、クソ商会長の屋敷の周りを見回る。
「しかし、あの冒険者たちの態度も腹が立ちますよね。いつもは下手に出ている癖に、商会長が強気だから自分たちまで強気でいる。団長が我慢してるってだけなのに」
「まあ、仕方ねえよ。団長は身分を隠しているから1騎士団としての力しかない。曲がりなりにもここの商会は国にかなりの金を入れているようだし、国としても強く出られないだよ」
「まあ、その金が正しいものかも怪しいっすけどね」
「……あまり大きな声で言うなよ? 面倒な事になるからよ」
そのような話をしばらく続けていると、その時がやって来た。屋敷の中から何かが破裂するような音と共にもくもくと立ち込める煙。これはあいつの侵入の際の常套手段だ。
「デューク、来たぞ!」
「はい!」
俺とデュークは急いで屋敷へと入る。屋敷の中は突然の侵入に大慌てだった。ちっ、ノーネームの侵入方法などは全部団長が教えていたはずなのだが……連絡を怠ったな。
まあ、そのおかげですんなりと屋敷に入る事が出来たが。屋敷の中では走り回る音がする。
俺たちも音の方へと向かうと、そこらかしこに倒れる冒険者たち。あいつにやられたんだろうな。これも団長が伝えていたはずなのだが……ノーネームがかなりの実力者だって事は。
何度も逃げられてしまってはいるが、俺たち騎士団は王国の中でも上位の実力者が集まる団だ。特に団長は王国最強の軍団長に少し及ばないほどの実力者だ。そんな団長からも逃げ切るほどの実力をノーネームは持っているという事を伝えていたはずなんだけどなぁ。これも伝えていないのだろう。
冒険者たちは全員手加減されて気を失っている。それほど冒険者たちとノーネームの間では実力差があるのだろう。
「副団長、あっちですね」
「ああ」
俺とデュークはいつでも剣を抜けるようにしながら、音のする方へと走る。音のする方へと向かうと既に団長たちが辿り着いており、ノーネームと戦闘を行っていた。
「光雷閃!」
「影壁、もう、危ないわね」
団長の放った斬撃をノーネームの足下から伸びて来た影に阻まれる。ノーネームの後ろには人型の影が金庫から金を運んでおり、運んできた物を影の中へと入れていた。これ以上持って行かせるか!
「はぁぁっ!」
「あっ、ラルト君だ! 会いたかった!」
俺の剣を影で作った短剣で防ぐノーネーム。ローブを被ってわからないはずなのに嬉しそうな雰囲気をしているのがわかる。ちっ、舐められているのがわかるので腹が立つ。
「俺は会いたくなかったけどな!」
俺はノーネームから距離を取って、魔力で体を強化してから再び迫る。
「やんっ! そんなに熱く攻められたら、お姉さん火照っちゃうわ!」
「うるせえよ! とっとと捕まりやがれ!」
「あら、ラルト君ってもしかして縛ったりするのが趣味なの? 私もそれは初めてだけどラルト君になら……縛られても良いかな?」
だぁぁぁっっっ!!! 戦闘中にうるさいんだよ! しかも、なんか甘ったるい雰囲気を俺に放ってくるし!
「あら、私と踊っている最中に雑念なんて、いけない子ね」
「しまっ……」
ノーネームの雰囲気に気を取られてしまって隙を突かれてしまった。剣を下から打ち上げられてガラ空きになったところをノーネームに詰められた。やられ……
「ちゅーーー!」
「むぐっ!?」
……一瞬何が起きたのかわからなかった。気が付けば目の前にノーネームの顔があった。初めてローブの下を見たが、万が一の時のためか目元だけを隠す仮面を付けており顔はわからなかった。
ただ、それ以上に意識してしまったのが、俺の唇に触れる柔らかいもの。何が触れているのかに気が付いた俺は慌ててノーネームを押し退ける。こ、こいつ!
「お、お前、俺の初めてを!」
「あら、あらあら! ラルト君の初めて貰っちゃった!」
アオイさんとするはずだった俺の初めてを奪いやがって !こ、こいつだけはぶった切る!
そう思って剣を構えたが、俺のそんな考えとは裏腹に、ノーネームは距離を取っていく。
「ふふっ、今日は色々と奪う事が出来たから満足だわ。また、会いましょう、ラルト君!」
チュッ、と俺に向かって投げキッスをするノーネーム。俺はノーネームの元へと向かうが、奴は足下に広がる影の中へと入って行ってしまった。俺たちはまたしてもノーネームに逃げられてしまったのだった……。
◇◇◇
「あーあっ! くそっ!」
俺は飲み干して中身が無くなったカップを机の上にドンっと置く。くそ。思い出しただけで腹が立つ! あいつ、俺を舐めるだけじゃなくて、は、初めてまで!
「そう怒らないでくださいよ、副団長。たかがキスぐらいで。それどころか羨ましいですよ」
「デューク、ぶっ飛ばすぞお前。俺はなぁ、あ、アオイさんと……」
「はい、何でしょうか?」
ふざけた事を抜かすデュークにキレようとした時に、後ろから声がかけられる。慌てて振り向くと首を可愛らしくコテンと傾けたアオイさんが立っていた。俺がついアオイさんの名前を呼んでしまったため、来てくれたようだ。
「聞いてくださいよ、アオイさん。副団長って実は……むぐっ!?」
「お前、これ以上言ったら明日からの訓練、5倍にするぞ?」
こいつ、俺がアオイさんの事を好きな事を知っている癖に、何を言おうとしているんだよ!? デュークの口をふさぐ手に思わず力が入ってメシメシと音を鳴らしているが気にしない。デュークが涙目で俺の手を叩くが無視だ。いらん事を言おうとした罰だ。
「ふふ、怒っている顔も可愛いわね、ラルト君」
そんな時、思わず背筋がゾワっとしたのだ。これはノーネームの気配だった。慌てて振り返ると、そこにはニコニコとしたアオイさんがいるだけ。どうしてノーネームの気配が?
「どうしたのですか、ラルトさん?」
「い、いや、何でもないです」
俺は訳もわからず首を傾げていると、尋ねてくるアオイさん。顔の近さにびっくりしてしまったけど、慌てて……ん? これは……アオイさんが香水でもつけているのかな? どこかで嗅いだ事のある匂いだ。
「おーい、アオイちゃーん、こっちにエール2つー」
「はーい、それじゃあラルトさん、ごゆっくりしてくださいね?」
「あ、は、はい、ありがとうございます」
……まあいいか。間近でアオイさんの顔も見れた事だし。それよりも今から俺の手の中で悶えているこいつの口の軽さをどうにかしなければ。口の軽さは団長といい勝負だよ、全く。
俺は後ろで舌舐めずりをしている彼女に気がつく事なく、デュークを折檻するのだった。