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3、転


 三


 綺来の一件が落ち着き、俺達は昼食を摂っていた。

「何だよそれ。やっぱりアタシが行ってれば即解決だったのに」

 事の成り行きを俺と健司から聞いた沙希は、ムスッとした顔でそんな事を呟いた。

「いやいや、やっぱりお前を連れて行かなくて正解だったと思うぞ、うん」

 あの母親の事だ。タダでさえ無い沙希の沸点に直撃する発言をするに違いない。ちなみにあの日以来、綺来は澪の家に緊急避難的な意味で泊まっている。と言うのも、結局あの音声レコーダーは提出したのだ。ただし、警察では無く児童福祉施設に。その結果、綺来の母親の更生が見られるまで、藤堂宅で預かると言う事になったのだ。

「澪のお母さん、美雪さん優しいだろ?」

「う、うん……何だ、か、申し訳、なくなる、くらっいに」

 今日の昼食は、澪お得意のハムサンドだ。無論、綺来も同じモノ。

「何だ、か……ボク、嬉しい、でっす」

「うんうん、綺来ちゃんはやっぱり、笑顔が一番似合うわよ」

 俺も健司の言葉に同意だ。やはり綺来には笑っていて欲しい。

「そうだ。球技大会の話なんだけど……俺達、何に出る?」

 話は変わり、文化祭の前日祭である球技大会について話し合っていた。

「そうねぇ……去年と同じで、バスケで良いんじゃないかしら」

「そうそう、バスケやろうぜバスケ」

 沙希がノリノリで健司の肩を抱く。お前ら、そんなに仲良かったっけ?

「で、でも……バスケって、なんか怖いイメージがあるから……」

 澪よ、それは去年、沙希が暴走しただけで普段は至ってスポーツマンシップに則ったスポーツだぞ。

「大体さぁ、アタシと澪が居る時点で負ける訳無いんだよ」

 確かに、バスケ部のエースと三メートルの巨体を誇る人物が居れば、アドバンテージはデカいだろう。だが、結局は当人らの胸先三寸だ。

「仁人もオカマも、何気に運動神経良いからな。やっぱ出るならバスケでしょ」

 沙希の勢いで、もううちのクラスはバスケに出場する流れになっていた。そこで気になったのが、運動全般が苦手な綺来の事だった。

「綺来は、バスケでも良いか?」

 俺がそう尋ねると、綺来は俯きながらもハッキリとした声で答えた。

「ボ、ボク……皆さん、の足、を引っ張らなっいように、頑張りま、っす」

 綺来もやる気満々の様子だ。人数も丁度五人。この様子なら、少し練習していけば良い所までいけるんじゃないだろうか。

「それじゃ、バンドの練習と並行して、バスケの練習もするか」

「おう。体育館使いたかったらアタシに言いな。部長に頼んで短時間でも使える様にお願いするから」

 こう言う時、部員が居ると心強い。早速、俺達は毎日の昼休みにバスケの練習、放課後にバンドの練習、と言う事になった。しかし、気に掛かる事が一つある。

 俺はその疑問を払拭すべく、放課後になってから澪を屋上に呼び出し、話を聞く事にした。

「なぁ、澪」

「なぁに、仁人君」

――ヒュォォオオ

 少し肌寒い風が流れる。澪の髪が靡き、それを右手で押さえる仕草がやけに様になっていた。

「お前……本当にボーカル、やるのか?」

 さっきは皆の手前、聞けなかった事だ。聞いたらきっと、澪の事だから「良いよ」と言うに決まっている。澪は、自分が嫌な事でも他人と合わせたがる所があるから、沙希にボーカルをやって欲しいと言われた時も結論を出さないで居た。むしろ、あの場でOKを出さなかった事が驚きなのだ。それほど、澪にとっては悩ましい事なのだ。

「……正直、どうしようか迷ってるの」

 それもそうだろう。今までずっと、その身長故に目立ってきた澪だ。バンドのボーカルなんて、一番目立つポジションだ。澪が悩むのも仕方がない。

「でも、ね……仁人君」

「ん、どした?」

「私、多分どこかでこう言う場面が訪れるんじゃないかなって思ってたんだ」

 それは、どういう意味だ澪。

「私ね……今までずっと、目立たない様に過ごしてきたつもり……でも、皆私を見る。だったら、いつか思いっ切り目立ってやろうって……そう、覚悟もしていたんだ」

「澪、そんな事考えてたのか」

「うん……そうか、私……皆と、楽しく過ごしたいんだ……それなら」

 意を決した様に顔を上げ、茜色に染まった空を見ながら澪は結論を出した。

「仁人君……私、ボーカルやるよ!」

「そっか。それが澪の答えなら、俺は俺で下手こかないようにしないとな」

 澪が自分で決めたのだ。なら、俺としてはそんな澪の決意に応えてやりたい。

「ちなみにね、沙希ちゃんから歌詞は私が考えて良いって言われてるの」

「そうなのか?あいつ……無理難題ばかり押し付けるな、本当に……はぁ」

 澪は別に、今まで音楽に触れて来た訳では無いと言うのに。

「あ、仁人君。校庭でフットサルの練習してるよ」

 柵に寄り掛かっていた澪が校庭に視線を下ろし、指をさしてそう言った。

「本当だ……て言うか澪、お前だと柵越えて落ちる可能性があるんだから、あまり寄り掛からない方が良いぞ」

「そ、そうだね」

 そうだね、て……危険意識が低いんだからこいつは。

「ね、ねぇ……仁人君」

 何かを言いたそうな表情を浮かべる澪。その瞳は、迷いと決心が入り混じったモノだった。

「ん、どした?」

「私の歌……どう、かな?」

 不安なのだろう。そりゃそうだ。俺だって、いきなり舞台に立って歌え、なんて言われて首を縦に振る自信は無い。

「俺は、好きだよ。澪の歌声」

「そっか……そっかそっか、うんッ!」

 そこでパァと澪の表情が笑顔に変わる。何はともあれ、これで懸念材料は一つ消えた訳だ。後は……。



――その後

「よぉ」

「遅いぞ、仁人、澪」

「ワタシ達は、もう始められるわよ」

「ボク、も、準備、オッケー……です」

 あの後、俺と澪は第二音楽室に向かい三人と合流した。これから全体練習をするのだが……その前に確認しておきたい事があったのだ。

「なぁ皆」

 俺がそうそう切り出すと、誰もが俺を黙って見て次の言葉を待った。

「俺は、この文化祭で『俺達』だってこれくらい出来るんだ、て所を見せたいんだ。だから……本気でやりたい」

 身長故に、誰からも恐れられる澪。その短気故に前科を持つ沙希。自傷癖と解離性同一性障害を持ち苦しむ綺来。性同一性障害を持ち悩む健司。それぞれ、事情は異なるとは言え『普通の社会』から排斥されて来た人達だ。だから、俺はそんな連中でも何かが出来るんだと、俺達だって出来るんだ、て所を見せつけてやりたくて仕方が無かったのだ。

 俺の気持ちが伝わったのか、全員が笑みを浮かべる。

「当然だぜ、仁人」

「も、もちろん、でっす」

「当たり前ね」

 そして、俺は隣に立つ澪を見上げた。そこにも、笑顔があった。

「頑張ろッ!」





――二年前

 俺は、これから通う学園の学生指導室に居た。これから担任になるであろう先生と、面と向かって話し合っていた。先生の名は斉藤先生。先生は、複雑な表情を浮かべ、俺を見据えて言った。

「仁人君……君が特別学級に入学したいと言うのは、何故だ?」

 いきなり、核心を突いてくる。

「俺が、そうしたいんです」

 俺も、核心を言う。

「正直に言うと……特別学級に入ったら、これからの将来マイナスに働く……それでも、君は特別学級に入りたいのか?」

 先生の言う事は尤もだろう。言いたい事も分かる。だけど、これは譲れないんだ。

「先生……お願いします」

 俺は頭を下げ、尚も食い下がる。そんな俺に、斉藤先生は頭を掻きながら唸り、しばらくしてから口を開いた。

「どうして君は、そこまでして特別学級に入りたがる?」

「……俺には、どうしても傍に居てやらないといけない人が、居るからです」

 そう言うと、斉藤先生は机の上に置いてあったバインダーを手に取り、ペラペラと捲り始めた。そして、視線をバインダーに落としこう言った。

「藤堂澪……先天性の病気で現在、身長三メートルジャスト……彼女か、君が傍に居てやりたい、と言うのは」

「はい」

 俺は短く答える。

「何故、そこまでして澪君の傍に居たがる?まさか彼氏だから、なんて甘い事を言うんじゃないだろうな?」

 此処に来て、斉藤先生の声質が低くなり威圧感が増した。

「そんなんじゃ、無いですよ」

 そんな理由じゃない。

「澪は……俺の恩人であり、そのくせ、自分の事となるとてんで無頓着になると言うか……澪は、見た目こそ大きいですが、心は誰よりも小さいんです」

 お前は、昔からそうだったよな。いつでも俺の『保護者』のつもりで居る。だけど、俺は知っている。澪が、どれだけ繊細な人間なのかを。

「澪は、俺の恩人であり、俺が……超えなきゃいけない人間なんです」

 俺の言葉がちゃんと届いたのか……斉藤先生は再び頭を掻き、しばらくの間唸って、それから口を開いた。

「もう一度言う。君にとって、その決断は将来を潰す可能性だってある。君の入試の結果は……極めて優秀だ。俺としては、むしろ進学学級に入って欲しいんだが……それでも、澪君と一緒に特別学級に入りたいか?」

「はい」

 俺は即答する。すると、斉藤先生は三度頷き、バインダーを閉じた。

「分かった。君がそうしたいならそうしなさい。ただし、俺が君を助けられるのはこの学園に居る時だけだ。そこから先の将来については……手助けしてやれない、いいね?」

「ありがとうございます」

 俺は再び頭を下げ、礼を述べる。

「まだ若いのに、そう言う決断を出来るのは凄い事だ……誇りに思いなさい」

 


――さらに時間は遡る

「やーいやーい、チビ助」

「返せよ!俺のだぞ!」

「取れるもんなら取ってみな」

 まだ小学生だった頃、俺の身長は一二〇センチ程度しか無かった。それが原因で、よくいじめにあっていた。今回もまた、俺の玩具を取られ、五人ほどに囲まれてからかわれている時だった。

「お前みたいなチビに取れる訳……が……え?」

 だが、そのいじめっ子達を懲らしめる奴が居た。

「仁人君の玩具だよ。誰ッ?勝手に取ったの!」

 澪だ。澪はこの時、既に身長一八〇センチ。およそ小学生とは思えぬ巨体。それ故、俺とは別のベクトルでいじめられていた。

「うわ、出た、怪物だッ!」

「に、逃げろッ!」

 俺の玩具を取り上げられ、いじめっ子達が走り去る。そして、澪は優しい笑みを見せて俺に取り上げた玩具を返してくれた。

「はい、仁人君」

「……俺一人でも、何とかなったよッ!」

 この時、俺は素直になれなかった。男が女に助けてもらうなんて、恥ずかしいと思ったからだ。今になって思えば、あれは感謝の裏返しだったのだろう。

 俺は少し乱暴に玩具を受け取り、澪に背中を見せる。

「仁人君……」

「俺一人でも……何とか、してみせるさ」

 俺と澪はお隣同士の関係で、幼馴染だ。幼稚園の頃から一緒……いや、生まれた病院も同じだから、生まれてからの幼馴染か。

 俺は、いつも澪に助けられていた。

 中学に入学する頃には、俺の身長は一三〇センチ。対して、澪の身長は二メートル三〇センチにまで伸びていた。子どもと言うのは残酷で、少しでも自分達と違う奴が居ると、そいつを攻撃の対象にする。

「おい、見ろよあいつ……」

「デカすぎだろ……」

 入学式から早々に、澪は一目置かれる存在となった。そして、誰も寄り付かなくなっていた。俺を除いて。

「仁人君、お昼食べよ」

「あぁ、そうだな……」

 昼食の給食も、澪は露骨に周りから避けられる様になった。そして、俺とばかり給食を食べる様になった。そんな俺達二人を見て、周りは『凸凹コンビ』なんて言って冷やかしていた。ある日に至っては、

「おい、チビ。金、持って来たんだろうな?」

 こう言う事もあった。俺が小さいから、学校の不良共が俺を標的にしたのだ。理由は簡単。小さいから弱いだろう、と言う事。だけど、俺には『保護者』が居た。

「仁人君に何してるのッ!」

 澪が居た。その身長からくる力は、他の男子生徒をも凌駕しており、誰も澪に手出しをしない、と言うのが俺達の中学でのルールになっていた。

「チッ、女の陰に隠れてる臆病者が」

 そう吐き捨て、いじめっ子は俺の前から去る。すると、澪は決まって俺の前まで来て

しゃがみ、俺と視線を合わせてこう言うのであった。

「大丈夫?仁人君」

 そんな自分が惨めで、俺はついキツイ言葉を澪に言い放ってしまうのであった。

「大丈夫だよ。いつもいつも、お前は俺の『保護者』かよ」

「仁人君……」

「俺だって一人でやれるんだ。いつまでもお前の陰に隠れてる訳じゃねぇ!」

 本当は、そんな言葉言いたくないのに……けど、俺だって年頃の男だ。いつまでも守られている、なんて状況……受け入れられる訳がない。

 そんな酷い言葉を浴びせても、澪は俺を受け入れ続けてくれた。どんな時でも、俺の傍に居てくれた。それを思い知らされたのは、中学を卒業する頃、だった。

「こいつか、お前らが言ってたチビってのは」

「ケケッ、本当に小さいな」

 学校帰り、俺は在校生の不良達と、その先輩のOB達に囲まれていた。

「命が欲しけりゃ金出しな」

「仁人、お前マジでヤバいって。先輩の言う事聞いておけよ。先輩、マジで半殺しにした事あっから」

 どうしてこう言う連中は話し方がバカっぽいんだ。いや、実際バカなんだろうけど。と思ったけど、相手を煽るだけなので口にはしないが。

「金はねぇ」

「あぁ?殺すぞお前ェ」

 俺は鞄を地面に置き、喧嘩を覚悟した。

「ぶっ殺しちまえ!」

 OBの一言で一対多数の、結果が分かりきった喧嘩が始まった。無論、俺は特に何も格闘技をやっていた訳でも無いので、多勢に無勢。二人くらい、頑張って倒したけど残った十数人にボコボコにされ、地面に倒れていた。

「ハッ、チビのくせに調子に乗るからだ、アホ」

 誰がアホだ。一人じゃ何も出来ないくせに……いや、それは俺も同じか。結局、俺も一人じゃ何もできない。今だって、そうだ。だよな、澪……。

「仁人君ッ!」

 俺の歪む視界に、見慣れた高身長の女性が映る。

 あぁ、澪……また、お前に心配事を増やしちまったな。許してくれ、とは言わないぞ。俺にだって、意地があるからな。

「な、何だこの女……でけぇ」

「せ、先輩。こいつ、マジでヤバいっすよ」

「仁人君をそんな風にしたの、君達でしょ……許さない……絶対に許さないッ!」

 そこまで言って、澪は残った十数人に殴り掛かっていた。リーチの差が如実に現れ、澪の大きな手で何人もが顔面から血を噴き出す。

「女一人に何やってんだお前ら!」

 OBの一人がそう叫ぶ。だが、在学生達は知っている。澪を怒らせるとどうなるか。結果は……こうだ。

「うぅ……」

「ゲホッ、ゲホッ……」

 正に死屍累々。不良達の誰一人として立っている者は居なかった。だが、澪も無傷では無かった。OBが持っていたナイフで切り付けられて、腕や足に怪我を負っていた。それでも、澪は足を引きずりながら俺の元へやって来てしゃがみ、俺と視線を合わせてこう言うのであった。

「大丈夫?仁人君」

 あぁ、お前はいつも変わらないな。そんな真っ直ぐなお前が、幸せに暮らせる世界になれば良いのに……。

 俺と澪の距離は、一五〇センチある。





「……ハッ!」

 勢い良く飛び起きる。どうやら、昔の夢を見ていた様だ。あの頃の記憶が鮮明に思い出される。

「何てことだ……」

 俺にとって、中学時代は地獄だった。寝汗がびっしょりだ。だけど、今は違う。

「綺来のフラッシュバックって、こんな感じなのかな」

 だとしたら、相当苦しいだろう。嫌な記憶が鮮明に思い出されると言うのは、本当に神経が磨り減らされる。

しかし、澪に起こされる前に起きれるとは……それほど、俺にとっては嫌な思い出だったんだな。だけど、それがあって今の俺が居る。今の澪との関係がある。そう考えると、何も悪い事だらけって訳でも無さそうだ。多分、小中学の頃にいじめに遭っていなければ綺来や沙希や健司と出会う事も無かっただろうから。

「仁人君……って、起きてる。珍しい~」

「……俺だって、一人で起きれる時くらいある」

「そっか……そうだよね。偉い偉い」

 そう言って澪は俺の頭を撫でる。

「だ~か~ら~、それ止めろって」

「ぁ、ごめん……でも、ついやっちゃうんだよ。仁人君、可愛いから」

 可愛いって……それ、俺が一番言われたくない言葉だぞ。まぁ、気持ち悪いとかカッコ悪いって言われるよりかはマシか……マシか?

「それじゃあ、俺着替えるから」

「あ、うん。朝ご飯、作って待ってるね」

 いつもの日常だ、問題無い。俺は早々に制服に着替え、洗面台で顔をバシャバシャと洗った。

「ふぅ……よし、目が覚めた」

 気持ちを切り替えて行こう。もう、あの時とは違うのだ。

(今になってようやく、お前に礼が言えそうだ……)

 顔を拭き、リビングへ向かう。すると、丁度朝食の準備を終えた澪と、澪の家に泊まっている綺来が待っていた。

「おはよ~。今日は鮭の塩焼きとなめこ汁だよ~」

「お、おはようございまっす、仁人さん」

 澪と綺来はそう言って笑みを見せる。全く、うちの台所じゃお前の身長だと作り辛いだろうに……本当に、こいつには頭が上がらない。

「おはよう。早速食べようぜ。お腹ペコペコだ」

「うん、食べよ」

「はい、ボクも、お腹……減りました」

 いただきます。二人してそう言ってから、テーブルを挟んで黙々と食す。うん美味い。相変わらず、澪の料理は美味い。美雪さんに仕込まれているのかな……あの人の味によく似ている。

 朝食を済ませ、俺達は学園へと向かった。

「うわ、今日も見ちまったよ、あのデカ女……」

「マジでデカいよなぁ」

 相変わらず、澪は注目の的だ、嫌な意味で。でも、それを変える。お前らに早く見せてやりたいくらいだ。今度の文化祭で、俺達が何をするか……今に見ていろ。

――ガラガラ

 引き戸を開け、教室に入る。

「おーっす、仁人、澪、綺来」

「おはよう、三人とも」

 教室には、既に沙希と健司が待っていた。

「綺来ちゃんが一緒って事は……あの件は上手くいったみたいね」

 健司が安心した様な表情を浮かべる。

「あぁ、お陰様でな」

「あのね、昨日は綺来ちゃんと一緒に寝たんだよ~」

 澪はホクホク顔でそう言う。すると、綺来の顔が赤く染まった。

「み、澪さん」

「綺来ちゃん、暖かくて気持ち良かったなぁ……」

 ダメだ、完全に妄想モードに入っている。この状態になると、澪は中々戻って来ない。まぁ、大抵は五分十分で元に戻るんだが。

「何だよ、お前ら同じベッドで寝たのか?今度アタシも混ぜろよ」

 言っておくが沙希、澪のベッドはでかいぞ。何てったって、澪専用だからな。三メートルちょい位、長さがある。クイーンサイズなんて目じゃないぞ。

「女三人で姦しいとは、よく言ったモノね」

 お前も一応(精神的には)女だろ。だけど、確かに喧しくなりそうだ。

――キーンコーンカーンコーン

 予鈴が鳴り、斉藤先生が教室に入ってくる。

「お前ら、席に座れ~」

 相変わらず、この人もやる気が無さそうだ。だけど、俺は知っている。この人はこの人なりに、俺達の心配をしてくれている事を。でなければ、俺が特別学級に入る、と言った時にあんな事は言わないだろう。

「さて、と……早速なんだが、お前ら。文化祭の出し物は決まったか?」

 その言葉に、俺達は全員で視線を合わせた。そして、沙希が机の上に足を乗っけながら答える。

「勿論だぜ」



――昼休み

「そら、仁人!」

 沙希からボールをパスしてもらい、俺はドリブルしながらコートを駆け抜ける。その先で待っている澪の元へ。

「綺来ッ!」

 寸前の所で、綺来にボールをパスする。

「わわ、えっと、み、澪さん!」

 綺来には、なるべく動かないでもらい、澪にパスする為に適度な位置に立つ様、言ってある。一応、これも作戦の内。綺来は運動が苦手と言うのは、ほぼ全学生にバレている。なので、敢えて彼女をパワーフォワードに選んだ。恐らく、俺達が相手をするチームは、沙希と澪を警戒するだろうからだ。

「えっと、はい」

 綺来からボールを受け取り、目の前のゴールポストにボールを入れる澪。澪の身長だとゴールポストは目の前にあり、ジャンプする必要が無い。自然とダンクシュートの形になる。やはり、身長のアドバンテージは大きい。

 それぞれのポジションは、俺がシューティングガード。健司がポイントガード。澪がセンター。沙希がスモールフォワード。そして、綺来がパワーフォワードだ。この采配は、俺と健司が一日悩んで決めたモノだ。恐らく、これが最適解。

「良し、もう一度今の感じを掴もう」

 何度も何度も、同じ段取りを反復練習する俺達。練習を終えた後は、全員で昼食を体育館の入り口で摂っていた。

「段々、形になって来たわね」

 健司の言う通り、練習したての頃よりかは大分マシになった。最初は、俺や綺来が足を引っ張ってしまっていたが、今ではそれぞれの役割を理解し、パッパッと動きに滑らかさが出て来た。

「次は、アタシとオカマがチーム組んで、試合形式で練習だな」

 沙希がチーズバーガーを咀嚼しながらそう提案する。試合形式の練習も必要だろう。俺は「勿論」とだけ答え、澪の手作り弁当に箸を落としていた。

「綺来は、大丈夫か?無理してないか?」

 この中で、一番体力が無いのは綺来だ。俺は少し心配になり尋ねるが、綺来は首を横に振ってから此方を見た。

「大丈夫、でっす。皆さ、んが頑張って、いるの、に……ボクだけ、ワガママ、言えないか、ら……それに……楽しい、でっす」

 そうか……『楽しい』か。なら、良かった。どのような結果になっても、今度の球技大会は有意義なモノになりそうだ。

 そして放課後。今度はバンド練習だ。澪は歌詞の感じを掴みたいらしく、俺達の音色を聴いている。

「はいはい仁人、また遅れてるぞ」

「悪ぃ、まだ手が慣れてなくてな」

 綺来に基礎練習を教えて貰って以来、一日も欠かさず反復練習しているのだが、中々成長が見られない。

「ま、最初の頃よりかはマシになったけどな」

 沙希にそう言われ、俺は確かに手応えを感じていた。

――そうか。確実に、少しずつだけど成長はしているんだ

「それで、澪の方はどうだい?」

 沙希が一旦、ギターを置いてから尋ねると、澪はしっかりとした眼で頷いた。

「うん、大体固まって来た。だから、今度皆にも見て欲しいな」

 どうやら、こっちは心配無さそうだ。後は、俺の問題だな。家に帰ったらスティックの基礎練習からだ。折角、綺来が澪の家に居るんだ。練習を見てもらうのも良いかもな。

 その日の帰り道。俺達は珍しく皆で帰ろう、と言う事になり沙希の部活が終わるのを教室で待っていた。

「それにしても……フフ」

「何笑ってるんだ、健司」

 突然、健司がニヤニヤし始めた。

「いえ、ただ……ワタシ達がこんな事するなんて、誰も想像してないだろうなぁって思って。そしたら、何かおかしくて」

 そうだな……俺達はこれまで、なるべく目立たない様に過ごして来た。それなのに、突然文化祭でバンドをやろうと誰が思うだろう。

「先生、も……驚いて、ましたっよね」

 斉藤先生にはもう告げてあるが、最初に沙希が「バンドすんだよ、先生」と言った時の先生の表情は物凄かった。まるで「お前ら、遂に脳みそ沸騰したか?」とでも言いたげな表情だった。実際、俺達の頭は沸騰しているのかも知れない。興奮と言う名の材料で。

「でも、私、今凄く楽しいよ」

「ボ、ボクも……こんな、に楽しい、の……初めて、かっも」

 澪も綺来も、楽しそうに笑みを浮かべる。そうだな……俺も、正直ここ数日が楽しくてしょうがない。こんな事なら、ずっと文化祭でも良い位だ。でも、そうも行かない。いつか、この楽しみは終わってしまう。そう考えると、まるで陽炎の様だ。

「あ、仁人ちゃん。今、ずっと文化祭が続けば良いのに、とか思ってたでしょ?」

「……お前は何で俺の考えている事が分かるんだ」

「女の勘、かしら?フフッ」

 恐ろしい。古来、女性と言うのは男性の考えている事が手に取る様に分かると言うが、その通りらしい。だがな、健司。俺はお前を『女』として見た事は一度も無いぞ。

「でも、仁人君の言いたい事も分かるなぁ。私も、ずっとこんな時間が続けば良いのにって思うもん」

 澪が俺の考えに賛同してくれた。それに対し、健司も「そうね」とだけ答える。

「ボク、も……『ボク達』も、同じ考え、で、す……」

 綺来も同じ考えだった様だ。なんだ、皆同じじゃないか。何も違わない。違うとしたらそれは、ただ見た目の話だ。心の中は皆、同じなんだ。

「おーっす、待たせたな」

 そんな風に会話が弾んでいる所で、沙希がジャージのまま教室に入って来た。

「もう沙希ちゃんったら。女の子なんだから着替えくらいして来なさいよ」

「あ?うるせーオカマ」

 最も言われたくないであろう相手である健司に指摘され、半ギレになる沙希。だからお前の沸点は低すぎるんだよ。ちなみに、沙希のジャージの右肩には髑髏の刺繍がなされている。それ、健司が縫ったんだからな。

「さ~って、帰ろうぜ。勿論、寄り道してからな」

 沙希の一言で、俺達は帰り支度をし始めた。皆で帰ろう、と言ったのには理由が二つあり、まず一つ目はこの間の綺来の一件以来、一人で居る事を避けようという意図がある。もう一つは、ただ一緒に居ると楽しいから、だ。

 だが、俺はまだ知らなかった。俺の知らない所で、着々と彼女達のある計画が進んでいる事を。





――球技大会前日の放課後

「……ふぅ」

 放課後のバンド練習も様になり、何とか一曲を通しで出来る様になっていた。尚、斉藤先生から今朝のHRで言われたのだが、俺達のバンド出演にOKが出されたそうだ。何より何より。と言う訳で、今日も今日で練習に励んでいた訳だが。

「仁人、ここ数日で大分上手くなったな」

 沙希に褒められ、何故か肩を抱かれる。

「いや、綺来に勧められた練習の成果だよ」

「ボ、ボクは、特に何も……ただ、仁人、さんが頑張った、から、です」

 謙遜する綺来は、ズサササッと第二音楽準備室の端っこに下がってしまった。こればっかりは、死んでも治らない性分なのだろう。

「二日前になって、ようやく形になったな」

 演奏の出来栄えに対し、俺は安堵の溜め息を吐く。

「で、澪の方はどうだ?」

 そう言って沙希は澪を見る。澪は一度頷き、一枚の紙を俺達に見せてくれた。それは、

「これが、歌詞か……」

 俺がそれを受け取り、沙希と綺来、そして健司が覗き込む形で、皆で澪の考えた歌詞を凝視していた。

「ど、どうか、な?」

 不安そうに澪がモジモジする。何とも珍し……くも無いか。ただ、ちょっといじらしいな。

 俺個人としては、この歌詞に物凄く共感を覚えた。だが、他の三人はどうだろう。俺は黙ったまま後ろを振り返り、皆の反応を見た。

「……うん」

「良いんじゃないかしら。ワタシは好きよ」

「す、素敵だと、思い、まっす」

 全員、意見が一致したようだ。

「俺も同感だ」

 そう言って、歌詞が書かれた紙を澪に返してやる。

「ぅ、うん、ありがとッ!」

 澪は笑みを見せながら涙を流し、しゃがんだ状態から何度も頭を下げた。

「友達に頭下げるなよ。良いから、その歌詞で歌ってみようぜ」

 こう言う時、サバサバした沙希が居ると話がスムーズに行く。俺達は別に、澪に頭を下げて欲しい等とは微塵にも思っていない。

「うん、やってみる」

 涙ながらに澪は歌詞を見ながら声出しを始める。それを見た俺達は、何だか微笑ましい笑みを浮かべるのであった。



――数時間後

 練習をしていると、日が暮れて来た。茜色の光が第二音楽準備室に差し込む。

「お、もうこんな時間か」

 沙希がそう言うまで、俺達は気付かなかった。それほど、練習に夢中になっていたらしい。すると、澪と沙希と健司が立ち上がった。

「ちょっと、アタシはトイレに行ってくるよ」

「あ、私も」

「ワタシは、何か飲み物買ってくるわ」

 そんな事を言って、三人はそそくさと部屋を出て行ってしまった。

「あ、ちょ……何だ、あいつら」

 俺が止めに入る前に、三人が視界から消える。自然と、部屋の中には俺と綺来だけになってしまった。

「ま、いっか。綺来、メトロノーム貸し……て……ムグッ」

 振り返り、綺来に話し掛けようとすると、俺の口を彼女の人差し指で遮られた。

「仁~人君♪やっと二人っきりだね」

 この口調……『キライ』か。

「キ、キライ……何のマネだ?」

 俺の動揺も気にせず、キライはその場に座り込む俺を跨ぐ形で這い寄って来た。

「仁人君、お願いがあるの」

「な、何だ?」

「今日の夜七時に、学園の校門前で待ってるから……『ボクを選んだら』来て」

 何を、言っているんだ、キライは。

「どう言う意味だ?」

「良いから。分かった?」

 理由は話したくないらしい。それに対し、俺は「あ、あぁ」と相槌を打つ事しか出来なかった。

「おーっす、ただいま」

「お待たせ」

「はい、水よ。三人で話したんだけど、今日はこの辺にしておこうと思うの。どう?」

 まるで見計らったかの様なタイミングで三人が帰って来た。俺が返事をする前に『キライ』が「うん、そうしよっか」と答えてしまい、今日の練習は終わりとなった。

 第二音楽準備室の施錠をし、守衛に鍵を返したその帰り道、また不可解な事が起きた。

「あ、ワタシちょっとコンビニ寄るわね」

「ボクも行く~♪」

「ぁ、私も」

 今度は澪とキライ、そして健司が居なくなった。必然と、俺と沙希の二人きりになる。

「じゃあ俺もコンビ、ニォッ!」

 三人について行こうとしたが、沙希に制服を掴まれ阻まれる。そして、肩を抱き寄せられ、耳元で沙希が呟いた。

「なぁ、仁人……もし、もしもだ。『アタシを選んだら』……今日の夜七時に、駅前のゲーセンに来てくれ」

 なっ、それだと、綺来と被るじゃないか。

「お、おい、その時間は先約が……」

「ほんじゃま、よろしく~」

 俺の弁も聞かず、沙希はそう告げて一人、さっさと帰ってしまった。当然、俺一人がこの場に残される。

「おいおい、一体何なんだ、これは……」

 俺の自問自答に答えられる人物は、此処には居なかった。

「お待たせ~……って、あれ?沙希ちゃんは?」

 戻って来た澪が首を傾げ、尋ねてくる。

「いや……あいつ、先に帰ったぞ……」

 流石に、会話の内容をバラす事は出来なかった。しかし、アイツは何で『キライと同じ時間を指定した』のだろう。分からない。とにかく、携帯で沙希に事情を……そう思った矢先、健司に携帯を取る手を遮られた。

「仁人ちゃん……こう言う時はね、自分に正直になった方が良いのよ。そして、今アナタがやろうとしている事は、乙女のありったけの勇気を否定する事よ」

 こいつ、何か知っているな。

「お前、知ってるのか?」

「さぁ、女の勘、かしらね」

 とにかく、沙希に連絡はしない方が良いそうだ。訳は分からんが、そう言う事らしい。その後、俺達四人は帰路に就き、健司が途中で別れた。アイツの家は、この十字路を挟んで俺達の家の反対側だからな。

「キライちゃん、今日の晩御飯はハンバーグだって」

「やった♪」

 何も変な所の無い会話。だのに、俺には妙に『打ち合わせした』かの様な会話に聞こえてならない。先程のキライと沙希の件……同じ時間に別の場所に来いと指定してきた。しかも、二人とも『自分を選んだら』と言ってきた。その意味は何だ?俺は何を選ぶんだ?そんな疑問を持っていると、家であるマンションの前まで来ていた。

――チーン

 エレベーターの音が妙に耳に入る。先程から考えている事が変わらない。

「……君、仁人君」

「……え、あ、ど、どうした?」

「エレベーター……来たけど」

「あ、あぁ、乗る乗る」

 どうやら、我も忘れてボーッとしていたらしい。らしくない。澪に心配そうな表情で見られる。そんな顔しないでくれ。俺だって、今何が起きてるのか分からないんだから。それに、健司に言われた事が妙に気に掛かる。

(自分に素直になれ、だっけか)

 あれはどういう意味なんだろう。今から電話でも掛けてその真意を聞いてみるか?

(……いや、健司の事だ。きっと言ってはくれないだろう)

 あいつはそう言う奴だ。女の勘、とやらで人に助言をしてくれる。が、答えまでは教えてくれない。必ず、答えは自分で引き出させようとする、そう言う奴だ。

「それじゃあ仁人君、おやすみなさい」

「仁人君、またね~」

「あぁ、また明日な」

 エレベーターを降り、澪とキライに別れの挨拶をする。そして、自分の部屋に入るなり携帯で時間を確認した。

――午後五時四〇分

 指定された時間まで、後一時間ちょっと。それまでに、俺は何かを決めなければならない。しかし、それが何を……、

――ピロリロリ、ピロリロリ

 そこでメールを受信した。送り主は……、

「澪からだ」

 件名は……特に無いな。俺は何も気にせずメールを開く。そこには、俺が驚く事が映し出されていた。


――仁人君へ

 もし、私を選んでくれたら、今日の夜七時に丘の上の公園に来て下さい。


 澪まであの二人と同じ事を……一体これは何なんだ。何が起こっている?

 俺は訳も分からず、しばらくの間そのメールの内容を凝視する事しか出来なかった。それから一〇分ほど経ってからだ。とりあえず、俺は洗面台へ向かい、冷水でバシャバシャと顔を乱暴に洗った。毛穴がキュッと締まるのが分かる。

「はぁ、はぁ……何だってんだ、一体……」

 とにかく、この状況を何とかしないと……そう思っていると、また携帯が鳴り始めた。

――ピロロロロ

 今度は電話だ。相手は……健司?とにかく、出よう。

「もしもし」

《あ、仁人ちゃん。こんばんわ~》

「何か用か?」

 澪と沙希と綺来の件で、俺は考えを纏めたくて少し苛立ちながら応答していた。が、それを見越してか、健司の次の言葉が刺さった。

《つれないわねェ。折角、仁人ちゃんが困ってるだろうと思って電話してあげたのに》

 こいつ、やっぱり……。

「知ってたんだな?こうなる事を」

《まぁまぁ怒らないで。いつか必ず訪れるのよ、この日は》

 なんか、詩的な言い回しだな。何だか落ち着かない。

「どういう意味だ?」

《三人から言われたんでしょ?同じ時間に、それぞれ別の場所で待ってる、て》

「……あぁ、そうだ」

《それで、どうしようか迷ってる、と。あのね、仁人ちゃん》

 そこから、健司の声質がいつもと打って変わり、真面目なモノになった。

《三人はね、アナタに恋をしているの。理由は……色々あるけれど、それが事実よ。それで、皆で話し合って、仁人ちゃんに決めて貰おうって事になったの。元々は、三人別々にワタシが相談を受けたんだけど……仁人ちゃんが誰かを選んだなら、それが答えだって受け入れられるって、皆で決めたのよ》

 あいつらが……俺に恋をしている?

 そんな事……有り得るのだろうか。俺はずっと、そんな事考えた事も無かった。ただ、毎日を一緒に過ごして、それで時々楽しい事や嫌な事があって……でも、皆と居るとそれだけで心強く思えて。そんな毎日を過ごせたら良いな、とそう思っていただけだった。だけど、あいつらは違ったらしい。

「そんな……俺は、あいつらを……」

《仁人ちゃんの悩みは分かるわ。誰かを選ぶって事は、誰かを選ばない、て事だものね。でもね、それは仕方のない事なの。三人はそれを覚悟の上でアナタに言ったのよ》

 俺は、誰かを選ばなくてはならないのか。誰も選ばない、そう言う選択肢もあるだろうが……だが、俺はどうしてかその選択肢を選べない。いや、選ばない。

「三人の内、誰かを選ぶの、か……」

《えぇ。罪悪感は覚える必要無いわ。誰もアナタを責めない。もし責める人が居るとしたら、それは……アナタ自身ね》

 こいつは、肝心な所で核心を突いた事を言う。確かに、俺はどの選択肢を選んだとしても、俺自身を責めるだろう。それが分かっているから悩んでいるんだ。

《仁人ちゃん、もう時間よ。そろそろ、自分に正直になりなさい。アナタが何故、ワタシ達に出会ったのか……それさえ忘れなければ、アナタは間違えないわ》

 そう言って、健司は一方的に電話を切った。ツーッツーッと言う機械音が耳に届く。携帯を片手に、俺はしばらくその場に立ち尽くしていた。

「……誰かを選ぶって事は、誰かを選ばないって事だ……それでも、選ばなければならないなら……俺は」

 心の内は、決まった。後は行動あるのみだ。

時間を確認する。七時まで後三〇分。今から走れば何とか間に合うか。俺は鞄だけ放り投げ、すぐさま家を飛び出た。





――ねぇ、仁人君。約束するよ。私、仁人君を守る。

――……俺も、約束する。必ず、澪よりも大きくなる。

――……うん、待ってるね。

「そう、待ってるよ、仁人君……」

夜の風は、この季節になると少し冷える。もう少し厚着をしてくれば良かったかな。でも、今から家に戻ったんじゃ、時間に間に合わなくなるし……。

「でも、仁人君はきっと、沙希ちゃんか綺来ちゃんの所に行くんだろうなぁ……」

私には自信が無かった。だってこの身体だ。誰が好きになってくれよう。誰が愛してくれよう。こんな身体の私を誰が……抱きしめてくれよう。

「グスッ……仁人君……」

自然と涙が込み上げて来てしまった。

会いたい。会いに来て欲しい。そう願ってしまう。だって……好きだから。初めて会った日を思い出せないくらいずっと一緒に居て……最初からずっと、傍に居てくれた人だから。

「会いたいよぅ……」

仁人君が誰を選んでも、会う事は出来るだろう。だけど、それは今までとは違う形でだ。その仁人君は、誰かの恋人になっていて、私の居場所なんてなくなってしまう。それが、堪らなく怖い。怖い。そんなの、絶対に嫌だ。だけど、仁人君の事を考えれば考える程に、自分を選んで欲しくない、と言う思いが芽生えてきてしまう。だって、こんな身体の私を選んだら、仁人君がこの先の人生で必ず困ってしまう。タダでさえ、私は普通の生活を送れない。それだけで仁人君のハンディキャップになってしまう。それだけは、避けたい。でも、でも……、

「好きだよぅ、仁人君……グスッ」

あぁ、私、泣いてるんだ。情けないなぁ。やっぱり、こんな私じゃ……仁人君の隣には居られないよ……。

そう思った時、流れ星が一筋、夜空に流れた。

「澪ッ!」

それとほぼ同時に、私が聞き慣れた、聞きたかった声が背後から聞こえてきた。

「仁人……君?」

「はぁはぁ……良かった、間に合った」





――数分前

「ハッハッハッ……」

 俺はただ、ひたすらに走っていた。丘の上の公園を目指し。この長い階段を上った先に澪が待っている筈だ。きっとアイツの事だ。俺が来ないと思って、早々に家に帰ってしまうかも知れない。それだけは避けなければならない。俺はまだ、アイツに伝えていない事があるのだ。

「間に合え、間に合えッ!」

 階段を一気に駆け登る。こんなに肉体を酷使したのは、いつ以来だろうか。だが、最近のバスケの練習のお陰か、足が軽い。しかし、確実に全身のあちこちが悲鳴を上げて喚いている。少しくらい、無茶を聞いてくれ俺の身体。

「此処かッ?」

 この丘の上の公園には、屋根付きのテーブルが設置されている。何故、澪が此処を指定したのか……その理由は、何となく察しが付いた。アイツと昔、約束をしたのがこの場所だったからだ。

「俺だって、大きくなったんだッ!」

 ただ、それを伝えたかった。もう、澪の背中に隠れている俺じゃない。澪に、これまでの恩を返さなければ。そして、一番伝えたい事を伝えなければ。

「見えたッ!」

 街灯の下に、確かに背丈が異常に高い人影が見える。あれは間違いなく澪だ。俺は迷わず駆け寄り、声を掛ける。

「澪ッ!」

 すると、その人影はゆっくりと振り返り、ボソッと呟いた。

「仁人……君?」

「はぁはぁ……良かった、間に合った」

 澪が帰っていなくて本当に良かった。だが、次に澪から発せられた言葉は、俺の想像を超えていた。

「何で、来たの?」

「何でって、澪が呼んだ……んだ、ろ……」

 泣いてる。澪が泣いていた。何で泣いてる?

「仁人君は……グスッ、私と一緒に居ても……困ったり、悩んだりするだけ、だよ?」

 そう言う事か。澪は口にこそ出さないが、自分の身長にコンプレックスを抱いている。それもそうだ。身長が三メートルもあって気にしないなんて豪胆な性格の奴が居るなら一度お目に掛かりたい。

「俺はッ!澪と、一緒に居て困ったことも悩んだことも、一度だって無い」

「仁人君……」

「俺が伝えたい事はただ一つだけだ」

 そこで深呼吸し、高鳴る心臓を抑え声を張り上げた。

「俺は……大きくなったぞ、澪」

 もう、お前に助けられなくたって、俺は一人で立って居られる。だから、お前も一人で立って居て欲しい。それは離れ離れになる、て事にはならないはずだ。

「約束通り、俺は大きくなったぞ」

「……約束、覚えていてくれたんだ」

「当たり前だ……俺は、澪を選ぶ」

 そこまで言うと、澪の瞳から滝の様な涙が流れ出した。

「お、おい、そこまで泣く事は……」

「う、うぅ、だって……だってぇ……グスッ」

「全く……身体は大きいのに、いつまで経っても泣き癖だけは治らないんだな」

「むぅ、それを言わないでよ……ヒック」

 こいつは昔からそうだ。泣き虫の癖に、人一倍優しさに溢れている。澪には何度、助けられた事だろう。もう数え切れないくらいだ。

「澪には、何度も何度も助けてもらってたからな……これからは、俺が澪を助ける番だ」

「仁人君……うん、うんッ!」

 澪は涙しながら笑顔を見せ、俺の元へ駆け寄って来た。が、目の前で止まる。そして、恐る恐るしゃがんで視線を合わせて来た。

「ぁ、その……あのぅ……」

 こんな澪を見られるなんて、珍しい事もあるもんだ。俺は、そんな澪の頭を撫で、そして抱きしめた。

「澪……ありがとう」

「グスッ……うん、仁人君……何だか、カッコいいよ」

 その言葉……俺がずっと、澪に言って貰いたかった言葉だ。いつも「可愛い」とか「大丈夫?」とかばかりだったから。初めて、俺は澪に『一人の男』として認められた。それが堪らなく、嬉しかった。





――午後八時

「よーっす、オカマ」

「健司~、こんばわ~」

 駅前の広場で時間を潰していたワタシの元に、沙希ちゃんと『きらいちゃん』がやって来た。二人が此処に来て、澪ちゃんが来ないと言う事は……。

「そう……仁人ちゃんは選んだのね」

「みたいだな」

「そうみたい」

 沙希ちゃんも『きらいちゃん』も、笑顔を見せている。だけど、ワタシには分かる。それは作り笑い。だから、ワタシは二人を抱き寄せた。

「良いのよ、無理しなくて」

「む、無理なんて……して、ねぇよ……クソッ」

「ぅ……だって、だってぇ……」

「泣いて、良いわよ。アナタ達は今、泣いて良いの」

 ワタシがそう言うと、二人は端を切った様に泣き始めた。周囲を歩く人々が、何事かと視線を此方に向けるが、今は気にしない。今はただ、この二人が負った傷を、ワタシが少しでも癒してあげないと。

「アタシだって、アタシだって仁人の事、こんなに好きなんだッ!恋してるんだッ!」

「ボクだって、ヒック……ボ、ボクだって……こん、なに、好きになった、人……初めてだった、のっに……うわぁぁぁああん」

 まるで赤子の様に泣き喚く二人を、ワタシはただギュッと優しく抱きしめた。それは、母親が我が子を抱いている様であった。

「二人とも、ありがとう。ワタシに、母親になった夢を見せてくれて」

 ワタシは、永遠に母親にはなれないだろう。だから、二人に感謝している。ワタシにとって、このクラスメイト達は掛け替えの無い友人であり、家族だ。誰かの恋が実ると言う事は、誰かの恋が破れると言う事。それを覚悟していても、湧き出る涙はどうしようも無い。その事実が、ワタシには痛い程分かっていた。

「今夜は、ワタシの家に来なさい。三人で、二人を祝いましょ」

 仁人ちゃん……アナタは選んだ。アナタはきっと罪悪感を覚えるでしょうね。でも、それで良いの。アナタはアナタの義理を通した。その事は、この二人だってよく分かっているわ。分かっていても、泣かずにはいられないの。女の子はね、そう言う風に出来ているのよ、仁人ちゃん。





――同時刻、別の場所

 俺は澪と一緒に帰路に就いていた。これだけ見ればいつも通りなのだが、今日は少し違う所がある。それは、

(澪の手……こんなに小さかったっけ?)

 俺達は手を繋いでいる事だ。まだ小学生だった頃、俺達二人はよくこうして学校から家に帰っていた。だけど、自然とそれは無くなっていった。それは、俺達が互いに異性を感じ始めていたからだ。だが、今はその垣根を越えた。今更になって、あの日の続きをしている様で、妙に恥ずかしい。

(澪の手……冷たいな。どれくらいの時間、あそこで待っていたんだろう)

 恐らく、俺が帰った直後にあの公園に向かったに違いない。すると、一時間近くはあそこで待っていた事になる。そりゃ、身体も冷えると言うモノだ。

(しかし何だな……今の俺達、恋人同士と言うより、親子だよな……身長比で言うと)

 そこだけはどうしようもない。だが、確かに俺は澪の『恋人』になった。そこで気が付いた。俺はまだ、肝心な事を言っていない。

「な、なぁ、澪」

「……へ?ど、どうしたの、仁人君」

「俺、さ……澪の事……」



――同時刻同場所

 いつもの帰り道。でも、私達には決定的に違う点が一点あった。それは、

(うわぁ……仁人君の手、こんなに大きかったんだぁ……)

 私と仁人君が手を繋いでいる事だ。たったそれだけの事なのに、物凄く恥ずかしくて、でも同時に嬉しくて顔から火が出そうだ。

(仁人君の手、暖かいよぅ……ずっと、握ってたいなぁ)

 ずっと、握ってて良いんだ、よね?仁人君……。

(でも、今の私達……周りから見たら親子、に見えるかな)

 それも仕方ないよね。だって、身長差が倍あるもん。でもでも、仁人君はすっごく大きい人なんだよ、うん。可愛い面が目立つけど、さっきみたいにカッコいい所だってあるし見た目で判断しちゃいけない、よね。

 私がそんな事を考えていると、不意に仁人君から声を掛けられた。

「な、なぁ、澪」

「……へ?ど、どうしたの、仁人君」

「俺、さ……澪の事……」

 な、何?「やっぱりさっきの無し」とか言われちゃうのかな……だったら、この手、離しちゃった方が良いのかな……それは、嫌だなぁ……。



――同時刻同場所

「俺、さ……澪の事……」

「う、うん……何?」

 ドキドキする。心臓がドッドッと脈打つ音が脳にまで響く。心臓って、こんなに力強く鼓動するんだ。いやいや、今はそんな事より大事な事がある。どうしても、これだけは言っておかなきゃいけないんだ。

「澪の事……好き、だぞ」

「……………………ふぇ?」

 澪の反応は非常に遅かった。多分、何を言われたのか理解していないのだろう。なので念の為、もう一度言う事にした。

「俺は、澪の事が好き、だ……うん」

 うん、これは中々恥ずかしい。中々どころじゃない。物凄く恥ずかしい。こんな場面、他の誰かに見られていたら俺は自殺するぞ。

「ほ、本当に……?」

「本当、だ……恥ずかしいから、これ以上は言わないぞ」

 と言うか、勘弁して下さい。

「…………グスッ」

 何故泣くッ?

「おい、そんな嫌だったか?」

「違う、違うの……嬉しくて、ヒゥ、嬉しいから、泣いてるんだよぉ……」

 繋いだ手はそのままに、澪は道端でボロボロと泣き始めてしまった。どうしよう。こう言う場合、俺はどうしたら良い?

「と、とにかくしゃがめ!」

「う、うん……グスッ」

 俺がそう言うと、澪は素直に従ってしゃがんだ。そこで、俺は眼の高さまで低くなった澪の頭を撫でてやる。

「ほら、本当だから……その、必要だろ?ちゃんと言うのって……」

「うん、うん……仁人君、大好きッ!」

 それから俺は、澪が泣き止むまでずっと頭を撫でるのであった。

 澪が泣き止むまで五分程掛かり、家の前まで何とか辿り着く。

「家、着いちゃったね」

「あぁ、そうだな」

 何故だろう。今はこの手を、どうしても離したくない。だけど、一旦此処で別れる。また明日がある。そうだ、何も今日で地球が滅ぶ訳じゃない。俺達には、明日があるんだ。

「澪……少ししゃがめ」

「え?う、うん……」

「眼、閉じろ」

「うん……はい」

 こう言うのは、やっぱり男からしないとな……。


――チュッ


 澪の唇と俺の唇が、ほんの一秒弱だが触れ合った。澪の唇はとても柔らかく、それでいて甘美であった。出来る事なら、これ以上の事もしたい。だけど、そうすると歯止めが効かなくなりそうだったので、今日はこれくらいにしておきたい。

「仁人君……」

「澪……」

「もう一回!」

「ダメ」

「どうして?」

「その……色々と、我慢出来なくなるからだ……」

 何て事だ。俺は、こんなにも澪の事が愛おしかったのか。今更、それに気付かされた。こんなに、大切な人だと実感するのに大分遠回りをした気分だ。

「そっか……そっかそっか。うん、分かった。それじゃあ、また明日ね……チュッ」

 今度は、澪からキスを返された。何て言うか、悪くないな……。

 俺と澪の距離は、一五〇センチだけある。





――その日の藤堂家

「お母さん、夕飯出来たよ~」

 私は夕食のハンバーグを焼き、皿に盛り付けていた。ちなみに、綺来ちゃんからメールが来て、今日は健司ちゃんの所に泊まると連絡があった。なので、今日はお母さんと二人での食事。

「あら、澪……何か良い事でもあったの~?」

「もう、お母さんったら」

 そんな会話をしつつ、私とお母さんはテーブルの席につく。そして、手を合わせた。

「「いただきます」」

 最初は黙々と箸を進めていたが、ふとお母さんが申し訳無さそうな表情を浮かべて口を開いた。

「ねぇ、澪」

「なぁに、お母さん?」

「ごめんね……澪を、普通の女の子として産んであげられなくて……」

 そっか……お母さん、ずっと私の事で悩んでくれていたんだ。でも大丈夫だよ。私、お母さんの事、大好きだから。

「ねぇ、お母さん」

「なに、澪」

「私を産んでくれて、ありがとう。私、今とっても幸せだよ」

 私はありったけの笑顔と感謝を込めてそう言った。すると、お母さんは途端にポロポロと涙を流し始めた。

「ど、どうしたの?お母さん」

「うぅ……母親として、娘にそう言われて……私は、幸せ者だよ……澪、私の澪……あなたの幸せが私の幸せよ……今を、命いっぱい楽しみなさい」

「……うん、お母さん。大好き」

 お母さん……この身体を産んでくれてありがとう。そして、仁人君と引き合わせてくれてありがとう。




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