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独りよがり

 妹が告白されたと聞いたあの日から、あたしは秋穂から意図的に少し距離を置くことに決めた。いつまでもあたし一人の妹という訳にはいかないのだと思ったからだ。

「それじゃお母さん行ってきます!」

「行ってきます」

「はい、行ってらっしゃい」

家を出て駅までの道を隣り合わせに歩くあたしと秋穂。いつの間にか梅雨明け宣言が過去のニュースになり、すっかり夏の真っ盛りだ。

「もう7月だからか暑くなったねぇ、アキちゃん暑いけど平気?」

「うん、大丈夫。いつの間にか梅雨明けしてたよね」

あたしはいつもの癖で妹と手を繋ごうと伸ばした手をそっとポケットへ突っ込む。あたしの手が来るものだと少しこちらに手を近づけていた妹は驚いた顔をしてこちらを見た。

「え?お姉ちゃん?」

「アキちゃん、そろそろあたしたち手を繋いだりするのやめよっか」

「私と手を繋ぐの、嫌?」

「勿論そんなわけないでしょ。でもねいつまでもそういうことしてたらアキちゃん迷惑でしょ?それにほら、これから付き合うかもだし」

二人の間は何一つ変わっていないように見えて、それでも何かが確実に変わっていた。

「うん…」

納得できないという顔をしていた秋穂の顔に気付かないふりをして、前を向いたまま少し歩調を速めた。

「そろそろ電車が来るよ。アキちゃんちょっとだけペース上げれる?」

「大丈夫。ごめんね、いつも私に合わせてもらっちゃって」

「もう何言ってるのか。あたしはアキちゃんのために一緒の学校に通ってるんだから。アキちゃんはそんなこと気にしなくていいの!」

「…でも、」

「ほら行こ行こ」

「うん。行こう」

 二人で早足で学校へ向かう電車に乗る。都心の大きい駅とは逆方向に向かう列車のため、向かい側のホームに比べていくらか人は少ないが、それでも通勤ラッシュに直撃する朝の時間帯は高校生以外にもかなり乗客がいる。

「アキちゃんごめん。席埋まってるから、学校まで立ってられる?ムリそうならあたしが”空いてる席を作る”けど」

そう言って私は意味深に握りこぶしを妹の目の高さへと持っていく。そして目線をドア付近の席で眠っているおじさんに向けた。半分冗談で半分本気のあたしに、秋穂は慌てて握りこぶしを両手でそっと包んで下ろそうとする。

「だ、駄目だよお姉ちゃん!私は大丈夫だから」

柔らかい風のような意識しないと感じないほどの力を感じてあたしはおとなしく手を下ろした。

「了解。じゃ、ちょっと失礼して」

「わ、わわっ」

あたしは妹ごと窓際まで自分の体を押し込んだ。左手を窓に当て、あたしの体と窓に挟まれる形で秋穂が立っていることになった。丁度壁ドンの体勢だ。そこにいてあたしたちに退かされる形になったおじさんがすごい形相でこちらを睨んできたが、知ったことか、アキちゃんのためだ。あたしがツーンとしていると妹があたしの腕から顔を出してその男に謝った。

「ごめんなさい。体調が悪くってふらついてしまったんです。本当にすいません」

「ちっ、しょうがねえな」

秋穂が本当に辛そうにしているため、彼もそれ以上怒るのは止めたようだ。

「も、もうお姉ちゃんは…!」

「アキちゃんをただ立たせるわけにはいかないもん。それと…」

あたしは怒ったように口を結んで見上げてくる妹の耳元に顔を近づける。耳に息がかかったようで秋穂はビクッと体を硬直させた。

「ここにいればアキちゃんがどこに寄り掛かってもいいからね」

あたしは腕の中で小動物のように縮こまっている彼女に少しでも楽な姿勢になってほしいという意味で言ったのだが、何を思ったのか妹はあたしの体に寄り掛かってきた。

「!」

「お姉ちゃん、こうしてもいい?」

車内ということもあって小声で囁く秋穂の声が耳をくすぐる。あたしの胸に妹の顔が当たった。胸元の真ん丸のよく整った黒髪を撫でたいという誘惑を抑え、胸をドキドキさせながらあたしも囁いた。

「いいよ。途中で辛くなったらいつでも言ってね」

「うん」

正直にいう。辛いと言いたいのはあたしの方だ。こんな愛くるしい妹があたしの腕の中で小さくなって、ぴたっとくっついていたら…。あたしは邪な気持ちを両手を握りしめて押さえつけた。優しい秋穂のことだ、あたしがここで彼女に何かしても拒むことはないだろう。そんな彼女に甘えてあたしのワガママを通していたらいつかまた…。あたしはただの、妹が寄りかかっていられる場所であるように、そう強く念じて電車に揺られていた。


 今日は午前中に女子が体育で水泳の授業がある日。あたしたちと隣の妹のクラス、そしてその隣のクラスの3つは合同で、校舎の奥にあるプールに集まった。今日の気温は30度を越えているらしい。ここ数日ではもっとも暑い、雲ひとつないからっとした天気は絶好のプール日和だ。

「いいお天気、プール最高!」

更衣室前で水着に着替えたあたしがはしゃいでいると、クラスメイトの奏はおかしなものを見るかのような目であたしを見た。

「美智佳は相変わらずプールになるとやけにテンション上がるわね」

「だってこんな暑い日は教室で座って勉強なんて勿体ないじゃない。ほら奏ちゃん、早くシャワー浴びてこよう?」

「まあ分からんこともないが…。ってあれ?あんた秋穂のこと待ってるんじゃないの?」

同じ部活の友人は不思議そうな顔をして聞いてきた。

「え?アキちゃんがどうしたの?」

「ほら、いつもみたいに水着になった妹を変質者みたいに出待ちしてるから…」

こうやって、と口を半開きにしてにやけた顔をしている奏はあたしの真似だろうか。なんとも失礼な同級生だ。

「奏ちゃんの中でのあたしってそんな危ない人なの?!」

「いや事実でしょ、水泳の時間にあんたが犯罪者にならないのはひとえに私のお陰で」

「んなわけあるかっ!…はぁ、まあ仮に今までそうだったとして、もうそういうことは無いかな。妹離れするんだ、あたし……」

「え、マジなの?」

「うん、今まではあたしがお姉ちゃんとしてアキちゃんの側にいることが一番いいって思ってた。でも違ったの。あたしがいたらアキちゃんのためにならないって思ったから」

「ふーん…そっか。」

奏は一瞬苦々しいような表情になった。しかしあれ、と思う頃にはいつもの顔に戻っていて、ニヤリと笑うと少し大きな声で、ほとんど周りの人に向けてこう言った。

「ええー!美智佳が妹離れっ!?」

その途端、周りにいたクラスメイトがあたしの方をガバッと振り返った。

「どしたの美智佳。なんかあったの?」

「あの美智佳が…遂に秋穂に愛想つかされたか」

「いやぁ美智佳の妹バカっぷりは目に余ってたからね、仕方がない」

言いたいことを言って騒ぐ友人たちにあたしはにこにこ笑いながら、

「あー、時々思うんだけど君たちは本当に失礼だよね」

「美智佳、妹に嫌われても強く生きるのよ」

「ふ、ふふ。そこまであたしに喧嘩売るってことは、分かってるよね…」

「うっ、やばっ」

「逃げるが勝ちよ、みんな!」

「あ、こら奏!ま、待てやこらぁぁ!!」

あたしはゴーグルを振り回しながら逃げる友人たちを追いかけた。こういうとき伊藤先生のような形相ができればいいんだけどと思う。その時、走るあたしの視界の端に更衣室から秋穂が出てくるのが見えた。振り返った一瞬に目が合ったが今は何となく妹と話す気にもなれず、あたしはそのまま不届き者たちを追いかけた。

 水泳の授業はいつも通りに水慣れの後、何レーンかに分けた25mのプールをクラス混合で泳ぐ。あたしや奏は泳げる人向けの真ん中のレーンを使ってバタフライで競争をしていた。

「ふっふっふー、あたしに勝てると思ったのかな、奏ちゃん」

「ふん、なかなか言ってくれるじゃない。次は私が勝つんだから」

あたしたちは25m泳ぎ終わるといったんプールから出た。コースは一方通行のため、プールサイドを歩いて再びスタート位置に戻る。あたしたちが泳いでいた真ん中のレーンは泳げる人向けで皆競争しながらバンバン泳いでいる。その隣に2本引かれているのは練習用のレーンだ。真ん中と違って何人もプールに入り、思い思いの泳ぎ方の練習をしている。あたしの目に入ったのは二人組となって平泳ぎを教え合う、恐らく隣のクラスの二人。仲良さげに笑いながら、ここはこういう風にするといいんじゃないかなとか、上手くなってるよとか、褒め合ってる姿がなんだか羨ましくて、あたしはそのまま一番端のレーンを見た。そこは水泳が苦手な人用のレーン。泳げない人だけでなく、駄弁ったり遊んだりしている人たちも集まっていた。その中で懸命にバタ足をしている少女が一人。

「仲川さん、もう少し体を真っすぐに。大丈夫、怖がらなくていいですよ、私が手をもっていますから」

「は、は、うん」

「頑張って、もうすぐ15mです!」

 病院の先生に水泳の授業の出席の許可をもらった秋穂も今日は授業に参加して泳いでいた。泳いでいる、と言っても同じクラスの子に引っ張ってもらって何とか浮かんでいるという状態だったが…。心臓の弱い秋穂はあまり運動をしていない、というかさせていない。そのため水泳もあまり得意ではないのだ。そんな彼女は更に少しだけバタ足で泳いだ後、足をつけて少し休んだ。一緒にいる子の興奮した声はプールサイドにいるあたしたちにもよく聞こえた。

「すごいよ秋穂さん。今日だけで15m進めましたよ!」

「うん、キョウカさん手伝ってくれてありがとね!疲れちゃったからちょっと休憩してもいいかな」

「はい、休憩したら次は25m目指しましょう」

「うん」

あたしが無意識に彼女たちを見ていたのに気づいたのか、隣で歩いていた奏が聞いてくる。

「おやおや、愛しのアキちゃんと練習しているのが羨ましいんですか?美智佳さん」

「え、いやそんなんじゃないけど」

「じゃあ嫉妬?」

「いや、そうじゃなくて…」


「知らないうちにアキちゃんってこんなにいろいろできるようになってたんだなって」

あたしはアキちゃんに無理をさせないため、水泳の時間にはいつも最初に少し参加したら、一緒に水から上がって見学していたのだ。そんな彼女が一生懸命泳いでいる姿を見て、今までのあたしはただの足枷でしかなかったのではないかと落ち込む。

「あ、お姉ちゃん!今の見ててくれた?私、少し泳げるようになったんだよ」

プールサイドを歩くあたしに気付いた秋穂は顔を上げてこちらに手を振った。キョウカと呼ばれた隣の女の子にも軽く頭を下げられた。

「うん、すごかったよ。アキちゃんがこんなに泳げたなんて、あたし知らなかった」

「泳いだと言ってもまだバタ足だけですけどね」

「えへへ」

あたしの知らない彼女の友達に笑いかけた後、振り返って吸い込まれそうな真っすぐな目であたしを見た。

「もっと頑張るから次の時間は一緒に泳ごうね」

そう言って彼女は再び練習に戻って行った。気が付くとあたしはぼんやりと立っている。遠くから奏が早く来いと呼んでいた。

「一緒に泳ごう、か…」

あたしの腕の中で守ってやらなきゃいけないと思っていた妹。彼女は自分の足でしっかり立っていて、どこか遠い存在になってしまったかのような気持ちがした。そんな不安を振り払うため、あたしは足早に奏の方に向かおうとした、その時…

「きゃあああ。な、仲川さんっ!!」

先ほど秋穂と一緒に練習していたキョウカさんが突然、悲鳴のような声を上げた。見れば秋穂は苦しそうに体を丸めて、たまに水から顔を出るとごほごほとせき込みながら足をばたつかせている。

「アキちゃん!」

その姿を確認するが早いか、あたしは反射的に初級者向けレーンに飛び込み、妹のもとへと向かっていた。足をバタバタさせていた彼女の腰をしっかり掴むとプールサイドまで引っ張っていき、駆け付けた先生に彼女を持ち上げてもらう。

  顔を真っ青にした彼女を先生に受け渡す瞬間、あたしの心臓はバクバクと強く鳴り響いていた。同時に強い焦燥感のようなものを感じた。幼いころ、あたしが妹を大変な目に遭わせてしまった時と同じだった。結局、あたしは彼女のために何かできていたのだろう…。彼女のできること、やりたいことをやらせないで、一番肝心なアキちゃんを苦しませないという約束は守れなかったのだ。あたしは妹一人守れない駄目な自分が本当に、本当に嫌いだ。




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