幼いころに
双子の妹の仲川秋穂は生まれた時から心臓が弱かった。毎週のように通院し、幼稚園に二日行って三日休むというのが普通で、家でもあたしたち姉妹が顔を合わせる機会はあまりなかった。そのためなのだろうか、あたしは秋穂を双子の妹というよりも近所の年下の女の子のように思っていた。あたしと顔かたちは似ているはずなのに、似ても似つかないお人形のような、傷つけられないような雰囲気があり、外遊びが好きで元気だけが取り柄のあたしとは正反対に家の中で人形で遊んだり本を読んでいる妹は儚くて、私が目を離してしまうとシャボン玉のようにどこか消えてしまうんじゃないかと怯えた。だからあたしは昔から秋穂が家に帰ってきている間は彼女から離れないようにずっとそばにいた。
あの日はよく晴れた暖かい日だった。妹の名前のように田んぼの黄金色の稲穂がさらさらと揺れる秋の日。
「アキちゃん、今日はミチカと公園に行って遊ぼうよ」
あたしは久々の長い病院生活から帰ってきた妹をいつもは誘うはずのない外遊びへと誘った。
「え、ええ。でもお母さん、今日はお家でゆっくりしてなさいって…」
「大丈夫だよ!お外でもあんまり動かなければ一緒だって」
「でもぉ…」
渋る彼女を引っ張って外へと連れだした。お父さんもお母さんも平日の夕方は仕事に出ているため家にはいない。家に一人妹を残していくことにざらざらとした不安感を感じたからだ。
「アキちゃんとお出かけなんて久しぶりだねえ」
「ごめんねみっちゃん。私またお医者さんところに行ってたから」
「いいよいいよ。その代わりちゃんとよくなってよね!」
二人で手をつないで近所の公園につくとまずは遊具、ブランコや滑り台、ターザン、ジャングルジムで遊んだ。外遊びに慣れていないアキちゃんがおっかなびっくり、あたしの真似をして後ろからついてくるのがこそばゆくて、姉としてかっこいいところを見せたいと、得意になって駆け回った。
「ちょ、ちょっとみっちゃん、休憩しよ」
気が付けばあたしの後ろをくっついてきている妹は肩で息をしていた。
「わわ、ごめんね。疲れちゃった?」
「うん、ちょっと…」
遊具の傍にあるベンチに座らせ、私は彼女に肩から掛けた水筒をハイと渡した。
「はい、お水飲んで」
「ありがとね。ねえみっちゃん、今度はお砂場遊びがしたいな」
「そうだね、いいよ~」
少し休憩してアキちゃんの呼吸が落ち着いたのを確認して、彼女の手を引いて砂場へと連れて行った。あたしたちはこの砂場で一番高い山を作ることを目指して砂場遊びに没頭した。とはいってもアキちゃんと楽しく山を作っている間に、彼女の無垢な尊敬の視線に調子を良くした自分が一人ヒートアップしただけなのだけれども。
「みっちゃんはすごいね。こんな大きな山を作っちゃうなんて…」
遂に完成の目を見た砂山、立ち上がったアキちゃんの腰くらいの高さまであるそれに目をまるくして驚いていた。そんな彼女を見上げながらあたしはニカッと笑った。周りの砂をかき集めていたためいつの間にかあたしの周りにはちょっとした小穴ができていたのだ。妹は妹で泥団子をいくつか作っていたようで、砂場の縁に団子が並んでいた。アキちゃんらしい、丁寧できれいな真ん丸だった。その中の一つを持ち上げると、よく頑張ったと額の汗をぬぐっていたあたしの手にそっと乗せた。
「みっちゃんお父さん、お仕事がんばってお疲れさま。はいおにぎりです」
「あ、アキちゃんお母さんありがとう、いただきまーす。もぐもぐ…アキちゃんのお料理はおいしいなぁ」
「お粗末さまです」
即席で二人おままごとを始めた。あたしはなぜだかお父さん役であったが、嫌な気持ちにはならなかった。二人で砂場に座って家族ごっこ、姉妹と言う意味ではなく、をしていると不思議な気持ちが私の心を満たした。あたしが食べ終わって泥団子を置いたのを見て、もう一個泥団子を取ろうとアキちゃんは後ろを向いた。その小さな背中に吸い寄せられ、気が付いたら彼女を、ひしと抱きしめていた。とくんとくんという彼女の鼓動が心地いい。
「え、えとみっちゃん?」
「アキちゃんお母さん」
振り返ったアキちゃんの目にはぼんやりとしたあたし、仲川美智佳の顔が映っていた。
「お父さんとお母さんはね…お互い愛し合ってるんだって言ってたの。だからね」
あたしたちも、とそのまま赤くなった妹の顔に自分の顔を近づけた。なぜそんな気持ちになったのか分からないが、ただ無性に彼女にキスがしたかった。
「やだ、みっちゃん。ここじゃ他の人に見られちゃうよ」
より顔を赤くしてうつむきながらそう言うアキちゃんを見て、あたしはハッとなって立ち上がる。そのまま彼女の手を引いて遊具の下の狭いスペースに走っていく。子供が一人か二人入れるほどの狭いスペースはあたしの秘密基地だった。ここならアキちゃんと二人きりだと思いつき、おもむろにこの無垢な女の子にいたずらしたいという思いがむくむくと湧き上がってきた。だからあたしは顔を赤くしている彼女を不意打ちのようにくすぐった、そしてほっぺたに軽くキスをした。
「うひゃうっ、みっちゃん。く、くすぐったいよ。やめて!」
くすぐったそうに震わせる体と悲鳴のようなアキちゃんの声があたしをゾクゾクとさせ、あたしの中で何かが燃え上がった。この子を傷つけないようにと緊張していた手はやがて大胆になっていった。それにともなって彼女は肩であえぐ。汗の匂いが愛おしい。あたしの背中に回された柔らかい手が愛おしい。
ふわふわとした時間が唐突に現実へと引き戻された。あたしに抱き着いていた彼女は急に力が抜けたかと思うと、ずるっとその場に倒れたのだ。
「アキちゃん?」
「…」
「アキ、ちゃん?」
「…」
呼びかけに無反応な妹。自分の手に負えない異常事態が発生したことを瞬時に察したあたしは、急に不安になって大声をあげて泣き出した。妹がいなくなってしまうかもしれないという漠然とした不安が胸の中になだれ込んできた。
「わぁぁぁぁぁぁん、アキちゃぁぁぁぁぁん」
思い出そうとしてももうなんて言ったのかは覚えていない。ただ、あたしの大泣きは夕暮れ時に子供に帰ってくるよう呼びに来ていた大人をして何が起こったんだとびっくりさせるようなものだった。あたしたちは直ちに秘密基地から引っ張り出され、意識のない妹は、切り裂くような悲鳴を上げて公園内に入ってきた救急車に連れられて行った。それを見ながらあたしは、終始大声で泣きわめいていた。その日はどうやって帰ったのかも覚えていない、翌日いつの間にか寝ていたベッドから起きた時、すごくのどが渇き、目が痛かった。
お父さんとお母さんにはものすごく怒られて、ぶたれて、また泣いた。アキちゃんは昨日は絶対に家から出しちゃダメだったのだ。そしてなによりも、アキちゃんのことを聞いても彼女に何が起きているのか全く答えてくれないので余計怖くなってしまった。しばらくして、幼稚園から帰ってきたあたしはお母さんと一緒にアキちゃんの入院している病院に行った。アキちゃんは、とても弱っているようだったがあたしの方を見ると弱々しく笑った。
「みっちゃん…」
「!!…ごめんね…ごめんね…」
改めて責任を感じ嗚咽を漏らしたあたしの頭を彼女は優しくなでてくれた。それが余計に涙を流させていたことに気付かずに。
その日の夜、あたしがトイレに起きだすと隣の部屋からお父さんとお母さんの深刻そうな声が聞こえてきた。
「やっぱり手術するのがいいんじゃないか?」
「でも、あの子が可哀相で…」
「このままでは命に係わるってお医者様も言っていただろ」
「それはそうだけど…うん、そうなのよね」
二人の言っていることはほとんど意味が分からなかったが、手術をしなければ妹が大変なことは理解できた。壊れやすいと分かっていたはずなのに!だから大事にしようと誓ったはずなのに!どうしようもない焦燥があたしに襲い掛かってきた。そして二度とこんなことが無いように、アキちゃんをもう二度と危険な目に遭わせないように、アキちゃんが帰ってきたら”いいお姉ちゃん”になろうとその時心に誓った。
結局、次にアキちゃんが帰ってきたのは一か月ほど経ってからであった。久しぶりに帰ってきた彼女は元気そうだった。でも幼いあたしも知っていた。双子妹の心臓はもう今までの物ではない、機械が埋め込まれ、彼女を動かしているのだと。