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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

短編集

夏休みが始まる

作者: らら

夏休みが始まる


「もう直ぐ夏休みだね」


そう言った堀江ほりえあおいは落下防止用に設けられたフェンスの網目を左手で掴んだ。立ち入り禁止の屋上にはあおいと岸智人きしのりと以外誰もいない。



校内でも群を抜いて美形な男、高梨司たかなしつかさ。高梨はあおいの彼氏だった。二人は幼なじみで中学一年の頃から高校ニ年までの約五年間ずっと付き合っていた。


「愛してる、あおい。これからもずっとずっと一緒だ」


同じ高校に入学した時にはもう何度目か分からない永遠の愛を誓ってくれ、指輪までプレゼントされた。いつの間にサイズを調べたのか、あおいの左手薬指にぴったりとはまった指輪。安物だと笑う高梨にあおいはどんな高価なものよりも嬉しいプレゼントだと泣いて喜んだのを覚えている。二人はこの先もずっと付き合うものだと、高梨との愛は永遠なのだとあおいは本気で信じてた。しかし高梨の浮気によってあおいはあっさりと捨てられた。その頃の自分は毎日泣いていた気がする。別れてからも指輪は外せなかった。指輪はもう自分の一部と言って良いくらい馴染んでいたし、指輪を外したら高梨は二度とこちらを振り向いてくれない気がしたからだ。五年も付き合ったのだ。あんなにも永遠の愛を契り合ったのだ。あおいは振られてもなお、高梨を愛してた。高梨の新しい恋人は校内でも知らない者はいない程、美しい男だった。男の名前は成田紅葉なりたもみじ。成田にも恋人がいたらしいが、二人は互いの恋人を捨てて付き合い始めた。そんな二人の付き合いはドラマティックだと校内でもてはやされた。生徒達の目には二人こそ正義で、真実の愛を見つけた運命の相手同士らしい。そんな生徒達から言わせれば、長年高梨と付き合ってたあおいこそおじゃま虫な様で集中攻撃を受ける羽目になった。「高梨さんがあんな平凡顔と付き合ってたのはただの気紛れに決まってるよ」「幼なじみだったらしいしね。おもりの一環だったんじゃね?」「ひでー。そこまで言う? でもさー惨めだよなー。高梨さん成田さんにべったりじゃん」あおいの顔を見れば、これみよがしにあおいの悪口で盛り上がる生徒達。高梨と付き合っていた頃から多少の陰口は叩かれたが、何故ここまで赤の他人から言われなければならないのか。数少ない友人達に慰めて貰いながら何とか逃げ出さずに学校へ通えたもののそろそろ限界だと思った。誰もいない場所に逃げたい。もう授業どころではなかった。あおいは教室へ向かわず無我夢中で走った。目的地はなかったが人目を避け続けてたどり着いた先ーー立ち入り禁止の屋上へと駆け上がっていた。あおいの瞳に飛び込んできたのは突き抜ける様な青空。自分の心と間逆の天気だ。初夏らしい爽やかな風が、走った所為で汗ばんだあおいの額を優しく撫でる。放心状態で青空を見上げたあおいはその場に崩れ落ちた。その拍子にあおいの薬指から指輪が抜け落ちる。高梨と別れてからみるみるやせ細ってしまったあおいは、いつの間にか指のサイズまで小さくなったらしい。あんなにもピッタリだった指輪なのに。あおいは小さい子供の様にわんわんと泣きじゃくった。



どれくらいそうしていただろう。泣き過ぎた所為で頭に痛みを感じながらも顔を上げた。


「豪快な泣きっぷりだったね」

「ぎゃあっ!?」


突然、声が聞こえたかと思ったら端正な顔をした男のアップがあおいの瞳に映り込む。あおいの口から悲鳴が漏れた。


「ちょっ! もー驚かすなよ。声掛けただけじゃん!」

「だって……誰もいないと思ってたから」


言いながらあおいは頬を染める。あのみっともない泣き姿を見られたのだ。羞恥心を感じながらも、あおいは男の顔に見覚えがある事に気付いた。


「岸くん……」


岸智人。彼も高梨に負けないくらい美形な男だ。岸は成田と幼なじみでこの前まで成田と付き合っていた。あおいは岸とまさに今の今まで喋った事はなかったが、一方的に親近感を感じていた。長年付き合っていた幼なじみに振られた岸とあおい。同じ立場で振られた者同士だ。最も岸はあおいの様な惨めさはない。校内でも人気者の岸は成田と別れたと知るや否や告白が絶えないらしい。それはそれで大変そうだ。モテる男はモテる男なりの苦労があるんだなとあおいは思った。


「堀江か。ほら、指輪」

「ありがと」


地面に落ちたままだった指輪を岸が拾い上げる。あおいはピッタリでなくなったそれを再びはめた。


「振られた者同士仲良くしようぜ」

「えっ!? あっ、うん」


あっけらかんと言う岸に驚きつつも悪い気はしない。元々彼には親近感を感じていたし、一度喋ってみたいと思っていたのだ。授業が終わるまでの約50分間、色んな話をした。漫画の話に始まり、名物先生の話やテストの愚痴、不味くはないが美味しくもない学食の話。話上手なうえ聞き上手だった岸のおかげで会話はかなり盛り上がった。


それから何となく屋上へと通う事が日課となった。そう何度も授業をサボれないので、昼休みを一緒に過ごす事で意見が一致した。あおいは料理が得意なので二人分の特製弁当を持参すれば大層喜ばれた。何でも岸は一人暮らしをしているらしく、家庭の味に飢えていたらしい。あおいの作った弁当を食べながら色んな話をした。誰にも邪魔されない二人だけの世界。岸は成田の話をしないのであおいも高梨の話は避けたが、同じ立場同士、話さなくても伝わるものがあった。あおいが屋上へ上がると岸は笑顔で迎えてくれる。騒がれるのは目に見えているので、岸と屋上で会っている事は誰にも内緒だ。岸と屋上で過ごす様になって約二ヶ月。あおいはこの頃には高梨や成田の事で誰に何を言われても軽く受け流す事が出来た。言わせたい者には言わせとけば良い。そう開き直れたのは岸のおかげだ。岸がいるから強くなれた。本人に言えば笑われそうだが、あおいの中で岸の存在は戦友の様に頼もしかった。



「今日は岸のリクエストにお答えしましてー! じゃーん!」

「うわっ! やべっ! ちょーテンション上がる! サンキュー堀江!」


あおいの弁当に目を輝かせる岸を見て、あおいはクスクスと笑った。付き合っていた頃、高梨にもよく弁当を作ったがこんなにもはしゃがれた記憶はない。


「……おいそこ笑うな」

「だって子供みたいだもん。リクエストが三角オニギリにカニさんウィンナー、ミートボールに卵焼きって小学生じゃないんだからさあ」

「しょうがないだろ!? 俺の母親はコンビニで買いなさいって金持たすタイプだったし、自分で作ろうにも卵焼きはスクランブルエッグになるわ、オニギリは三角にならないわで散々だった…………昔からずっと憧れてたんだよな、こんな弁当っぽい弁当」


岸の意外な一面を知ってあおいは目を細めた。何だろう、この気持ち。自分よりも体格の良い岸にこんな感情を抱くのはおかしいかも知れないが、彼を見ていると庇護欲の様なものを掻き立てられる。


「食べよっか」

「ああ! いただきまーす!」


しばらくは弁当を食べる事に集中していた岸だが何か思い出したのかあおいに笑顔を向けた。


「そうだ。来月に夏祭りあるんだけど一緒に行かね? 地元の小さな祭りだからそんなに人も多くないしいいとこなんだ」

「うん」


二つ返事で了承したもののあおいは内心ドキッとした。岸の誘いにデートという単語が浮かんだからである。岸とあおいは友達だ。岸からハッキリと聞いた事はないが、岸はまだ成田を忘れていないだろう。あおいだってまだ高梨の事は完全に吹っ切れたとは断言出来ない。それなのに自分は一体何を考えているのだ。


「よし決まり! あっ浴衣持ってる?」

「持ってるけど」

「どうせなら着てこうぜ! 夏を満喫したい!」


少年の様にくしゃりと破顔した岸にあおいも微笑んだ時。


「あっと!」


指輪が抜け落ちそうになって慌てて左手の薬指を右手で撫でた。岸のおかげで元気を取り戻したあおいだが、茹だるような暑さの所為か食欲は減退気味で体重は戻らない。だから指輪の大きさはあおいの薬指に合わないままだ。


「その指輪さ……」

「うん?」

「高梨に貰ったの?」


岸の口から初めて高梨の名前が出た事にあおいは動揺しつつもこくりと頷いた。途端、岸の顔が幾分険しくなる。


「いつまでつけとくつもり?」

「いつまでって……」

「別れたんだろ?」

「そうだけど、でもさ、でも、この指輪を外したらダメなんだ」


まるで攻める様な岸の鋭い視線があおいに浴びせられる。こんな岸は初めてであおいはしどろもどろになりながらも言葉を紡いだ。高梨から貰った指輪。永遠の愛を誓ってくれた事を証明する唯一のもの。これを外してしまったら、高梨と積み立てた五年間が霧散してしまう気がした。それは自分の過去を否定されるのと同じだ。


「司は誓ってくれたんだ、永遠にずっとずっと俺を愛してるって」

「堀江」

「だから俺は……俺は! まだ」


自分でも何が言いたいかよく分からない。ただこの指輪はまだ外せないのだと、その勇気が持てないのだと訴えたかった。


「堀江、永遠なんてないよ」


返ってきたのは淡々とした岸の声。残酷な真実。あおいはひゅっと息を飲んだ。目を見開いて岸を見上げる。 これを言ったら、この言葉を口にしたらもう二度と高梨と付き合っていた頃の自分には戻れない気がした。純粋で永遠と言う言葉を疑う事なく受け入れていた無邪気過ぎた自分に。でも。それでも。あおいは岸の顔を瞳に焼き付けるように見て。


「知ってたよ」


震える声で何とか絞り出した。岸に指摘されるまでもない。本当は高梨に振られた時に気付いてしまった。かつてあおいが信じていた永遠の愛。そんなものこの世にはないのだ。けれど無邪気なままでいたくてずっと気付かない振りをしていた。あおいの双眸からボロボロと大粒の涙が零れ落ちる。岸はそんなあおいを逞しい腕で自分の胸元へと抱き込めるともう一方の空いた手であおいの頭を撫でた。その手付きは心底優しくてあおいはまた泣き始める。先程まで岸を子供扱いしてたのに今はあおいの方が子供だ。滲んだ瞳で岸を見る。岸の顔にはもう険しさの欠片もなく、変わりに笑顔があった。あおいは安心して岸の胸に顔を埋める。


「きし……」

「堀江」


それから何をするでもなく二人で身を寄せあった。暑い中、お互いを未着させているのに相手が岸だと不快感はない。しばらくそうしていると岸がぽつりぽつりと成田に振られてからの事を語り始めた。突然振られて屋上で一人泣いた事。学校を休むのは悔しくて登校したはいいが、外野が煩わしくて度々屋上でぼんやりと過ごした事。そうしているとあおいが屋上に現れてわんわん泣き始めた事。あおいと一緒に過ごしているうちにどんどんあおいに惹かれ始めた事。


「好きだよ、堀江」

「岸」


あおいは顔を真っ赤に染めながら岸の名前を呟いた。岸も照れた様にはにかむ。


「突然御免な。弱ってる堀江に言うのも卑怯だと思う」

「……ううん。そんな」

「ついでに言うと指輪の事はヤキモチ。俺が口出す事じゃないよな。堀江が決心出来た時に外すべきだと思う」

「ん」

「……俺の気持ち知っても夏祭り一緒に行ってくれる?」

「うん」

「良かった」


また指輪があおいの薬指からズレ落ちそうになる。あおいはもうそれを直そうとは思わなかった。


『愛してる、あおい。これからもずっとずっと一緒だ』


高梨はそう言ってくれた。そして薬指にピッタリと合うサイズの指輪をはめてくれた。でも、だけど。


『堀江、永遠なんてないよ』


指輪はそのまま地面へと落下する。


「あっ落ちたよ」


気付いた岸があおいの指輪を拾い上げ、あおいの手のひらへと乗せた。あおいはそっと岸の腕から離れると落下防止用に立てられたフェンスへと近付く。自分の指にはもう馴染まなくなった指輪。その感触を確かめるように指輪を握り締めたあおいは、 次の瞬間にはそれを投げ捨てた。屋上から放り出された指輪は見事なアーチを描いてその勢いのまま落ちていく。岸の絶叫が辺りに響いた。


「あーっ!!!! いきなり何すんだよ!? 大事な指輪だろ!?」

「大事“だった”だよ」

「堀江」

「岸のおかげで決心が着いた。俺、司との思い出に縋るより、岸と新しい思い出を作っていきたい」


後悔はないと言わんばかりに岸の双眸を射抜く様な目でそう言った。現金かも知れないが、岸から告白されて初めて高梨と決別出来る勇気を得た。あおいの中にはもう高梨への未練はない。


「堀江、左手見せて?」

「うん。いいけど」


あおいの傍へと身を寄せた岸は願いを囗にする。素直にそれを聞き入れたあおいの左手薬指に岸は恭しく口付けを落とした。そんな丁重な扱いを受けるのは初めてで、少しくすぐったくあったが岸に身を任せた。


「俺は永遠なんて誓えない。でも堀江の事は好きだし、笑ったり泣いたり色んな表情を見ていきたい。俺の一番近くにいて欲しい。そんな単純な誓いじゃダメかな?」

「十分だよ」


あおいはそう答えて岸に抱き付いた。




「もう直ぐ夏休みだね」


あおいはフェンスの網目を左手で掴むと楽しそうに呟いた。左手の薬指にはもう指輪は見当たらない。


「楽しみだな」


岸が笑った。空を見上げれば、岸と初めて話した時の様な透き通った青空が広がっている。けれど今はあの頃とは違う。あおいの心は青空に負けないくらい晴れ晴れとしていた。もう直ぐ岸と初めて過ごす夏休みが始まる。

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