九十九話 事の顛末④
「世界戦争の方も特に問題がなさそうなら、俺がジュレム伯爵騒動に巻き込まれることももうなさそうですね」
俺が言うと、ペテロが寂しそうに息を吐いた。
「そうね、そうなるわね……」
ペテロの目元は仮面で隠れているので表情は見えないのだが、少しだけペテロが以前より老けているように見えた。
ジュレム伯爵騒動で精神的な疲労が溜まっていたのかもしれない。
……俺もペテロには色々と迷惑や苦労を掛けてしまってはいたが、俺のせいではないと思いたい。
「お疲れのようですね、ペテロさん」
「というより……何かしらね、燃え尽き症候群って奴かしら」
ペテロがそう言って溜め息を吐く。
「ワタシが元々、クゥドル教会の教皇だったのは知ってるでしょ?」
アルタミアから散々聞かされていた事だ。
あの魔女は口が軽いらしい。
元は確か、ペルテール卿だったか。
「ワタシが表の地位を捨てて不死者になって、手段を選ばず権力や力を求め、ディンラート王家を傀儡化までしたのは……全て、ジュレム伯爵に対抗するためだったのよ。だから、その理由ももう、なくなってしまったのよ。はあ……随分と、摂理に背いて歳を重ねてしまったものよ」
「……ペテロ様?」
ミュンヒが不安げにペテロへと尋ねる。
「ワタシに付き合わせていた部下達も、解放してあげないとね。世界戦争の火種の処理も、ワタシのコネと共に王家に継いで、老いぼれの怪人はとっとと引退させてもらおうかしら。ワタシみたいなのが長々と王家に巣食っているのもいいことじゃないものね」
……どうやら、冗談や思い付きで口にしているわけではないらしい。
アルタミアの話では、ペルテール卿はクソ真面目な善人で、権力に固執したり、不老化の錬金術に手を出したりするような人物ではなかったということだった。
ジュレム伯爵からディンラート王国を護るために、自身の人生を曲げて王家に巣食う怪人として今まで生きてきたのだろう。
「改めてお礼を言わせてもらうわ。ありがとうね、アベルちゃん。この国を、世界を救ってくれて。これでワタシも、安心して次の世代に任せられる」
ペテロが俺に対し、深く頭を下げた。
ミュンヒが慌ただしくペテロの動きを止める。
「ペ、ペテロ様! ペテロ様が頭を下げる様な真似は……!」
「……いいのよ、ミュンヒ。もう、全部終わったことなのだから。ワタシはもう、ペルテールでもペテロでもないの」
そのときのペテロの口許を見て、俺は察した。
ああ……ペテロは……本気で、この世界という舞台から去るつもりなのだ。
「ペテロさん……」
ペテロの引退に対して、俺も色々と思うところがあった。
思えば、一度は俺もペテロに殺されそうになったことがあった。
最初は不気味で手段を選ばない残虐な人という印象だったが、俺を殺そうとしていた時にもメアの無事を保証してくれたり、躊躇う様子を見せたりと一線を越えないところがあり、不思議と嫌いではなかった。
その後は協力関係になったり、俺を見張る姿勢を見せたりと、俺とペテロの関係は簡単には言い表せそうにない。
上司の様でもあり、時に出資者であり、同時に利害によって対立しかねない相手でもあり、そしてどこか友人の様にも感じていた。
「……その、このタイミングで言うのもなんなのですが、引退する前に、ペン爺……ペンラートを牢獄から出してもらえたりとかってしませんか?」
「本当に、よくこのタイミングで言えたわね……アナタのそういうところは、呆れを通り越して感動さえ覚えるわ。まったく飽きない子よ……」
ペテロが頭を押さえる。
「すいません……でも、今頼まないと、後がないのかなって……」
「……シルフェイムを討った功績は無視できないし、考えておいてあげるわ……はあ……」
ペテロが苦しそうに息を吐き出した。
や、やった! 駄目元で頼んだ甲斐があった。
「そういえば……クゥドル様は、今後どうするんですか? 生きてるだけで魔力を消耗し続けるんですよね?」
「我は、貴様の逃がした二匹を追わねばならぬのでな。眠りにつくのはそれからだ」
クゥドルが退屈そうに答える。
……二匹というのは、ジェームとシェイムのことだろう。
やはり、クゥドルとしては彼らを見逃すことはできないらしい。
「それに、もう一つ別件がある。『刻の天秤』という組織の頭を狙っている」
俺がクゥドル大神殿に入った際に、横槍を入れて来た連中か……。
ルーペル、ダーラス、ルインだったか。
「確か……正体不明の悪魔ディオズムが、組織の頭だと噂されているんですっけ?」
ペテロから世界脅威度リストを見せてもらったときに、そんな話をちらっと耳にしたはずだ。
「……いや、ディオズムはどうやら本当のボスの契約悪魔に過ぎぬようだ。奴らの頭は人間だ。ただ、恐ろしく厳重に自身の正体を隠している。警戒心が強いというより、病的に臆病なのだと我には思える。かなりの実力者であることには間違いないがな」
ディオズムもかなり危険な悪魔だという話だったが、それを制御できる人間が後ろに立っていたのか。
「連中の目的はどうやら、自身らが大きな抑止力となり、世界に恒久的な平和を齎す、というものらしい」
「そこだけ聞くと立派なものですね。対立する理由はあるんですか?」
「無論だ。脅威によって世界平和を造るなど、絵空事に過ぎぬ。自身らに世界が従っていれば争いは起きないという、その思い上がりが既に争いの火種なのだと奴らは理解していない」
「な、なるほど……?」
話は難しくてよくわからないが、まぁ俺は関係のないところだ。
クゥドルが好きにやってくれればいい。
「もしかすれば、またアベルの手を借りることもあるかもしれぬ。まだ今回の敵の大きさを計りかねているのでな」
「お、俺ですか? ははは……で、できれば遠慮したいですね……」
俺は適当に笑って誤魔化した。
……また精霊同士の化け物合戦に付き合わされるのはゴメンだ。
「アベルちゃんは、今後はどうするの? このままファージ領にいるつもりなのかしら?」
ペテロが俺へと尋ねる。
俺はどう答えたものかと悩んでいると、メアが俺の手をぎゅっと握って、嬉しそうに微笑みかけて来た。
俺もつい釣られて笑う。
「……どうしたの? アベルちゃん、メアちゃん?」
「実は……しばらくファージ領を空けて、故郷に帰ろうと思っています。また、何年かしたら戻ってくる予定ですけれどね。その、俺の両親に、メアを会わせたいな、なんて……。ラルクさんにも既に話は通しています」
「ふぅん……里帰りね、それもいいかもしれないわね、うん、うん……うん?」
ペテロは頷いていた首の動きを止め、大きく口を開いた。
「え……? アベルちゃん達、もしかして結婚するのかしら?」
ペテロが驚きのあまりか、声を上擦らせてそう言った。
俺はメアと顔を見合わせて笑い合った。




