七十三話 太古の破壊者メビウス③
思考に靄が掛かった。
怒りに手が震える。
メビウスに、メアの身体を乗っ取らせた……?
メアの魂は、もう、押し潰された……?
「杖を構えないでよ、アベルちゃん。勿論、アタシは交渉の余地があると思って話に来たんだよ」
シェイムの言葉に、俺は無意識に杖を構えていたことに気が付いて引っ込めた。
「交渉の余地……?」
「そう、交渉の余地。メアちゃんの魂は完全に消えたわけじゃないよ。今はメビウスの魂に圧迫されて、表に出れなくなっちゃっているってだけだから。だから、アベルちゃんならこの先に研究を進めれば、いつかはメアちゃんを元に戻す手段が見つかるんじゃない?」
「……だから、今は邪魔するなってか?」
「勿論、研究を進める機会はあげるよ。アベルちゃんには、アタシ達の部下として動いて欲しいの。アベルちゃんは、クゥドルから魔力の一部を削り取った実績もあるものね」
メアを人質に、俺を手駒にしようという算段か。
その線はとっくに諦めていたのかと思っていたが……。
「言っておくけれど……これは、アベルちゃんのためを思っての提案なんだよ? ジュレムを説得するのは、本当に骨が折れたんだもん。アタシも、アベルちゃんを無理に引き込んで余計なことをされるリスクを背負い込むのは、どっちかというと不安の方が大きいくらい」
「最後のチャンスをくれてやったのは、同情のつもりだってか?」
「……そだよ」
シェイムが無表情で口にした。
シェイムの腹の内は、わからなかった。
確かに、シェイム達にとってメビウスはクゥドル討伐の武器の一つであって、目的ではない。
クゥドル討伐さえ進められるのならば、最悪メビウスを捨ててしまってもいいとは考えているのかもしれない。
「む……? 話の言い方はわからぬが……シェイム、この男のために我を切り捨てるつもりか?」
メビウスが口を挟むが、シェイムは首を振った。
「まさか、可哀想なこの子のために希望を持たせてあげるだけよ。自棄になって自滅覚悟で引っ掻き回されたら、それこそサイアクだもん。引き剥がしようがないことは、メビウスが一番知ってるんじゃない?」
「ふむ……そうかえ?」
シェイムはあっさりとそう言ってのける。
メビウスは不審げにシェイムを見ていた。
俺は頭を押さえ、自身に極力冷静になるように言い聞かせる。
シェイムは敢えて、俺にメビウスを研究する隙を与えてくれているといっている。
それに……ジュレム伯爵の支援があるのなら、クゥドルの魔力を大きく削る自信もある。
本心かはわからないが、シェイム個人としては俺に肩入れしている姿勢を見せている。
……当然、俺を騙してメアを連れ出した以上、最優先の目的はクゥドル討伐の駒を揃えることなのだろうが。
しかし、ジュレム伯爵はクゥドルを倒すために世界戦争を巻き起こそうとしているような奴だ。
加担すれば……何十万人、いや、何百万人を間接的に殺すことにも繋がるかもしれない。
奴の掲げている、精霊が完全に人間を支配する世界というのも、俺には全く理解できない。
俺はメビウスへと目を向ける。
メビウスは身体の動かし方を確かめるように腕を回していたが、俺と目が合うと、舌を出して妖艶に笑った。
「しかしシェイム、お前がここまで熱心に交渉に出るとは、随分とこの男に手を焼いているようじゃな? ふむ、よく見れば、なかなか色男ではないか。よかろう、我に尽くすことを許してやろうではないか」
……はっきり言って、メビウスからメアを引き剥がす手段はかなり厳しい。
先程メビウスは『これまでのテストとは規模が違う』と、そう口にしていた。
恐らく、月祭に赤石を乗っ取ったのは、これが最初ではないのだ。
ドゥーム族が五百年前に事件を起こして辺境地に隔離されていたという話は有名だが、恐らくテストとやらで地に降りたメビウスが、力試しで余計なことをしたのだ。
五百年は丁度、月祭の周期でもあり、そのこととも符合する。
もっとも、今回の月祭は今までとは比較にならないほど月が接近してきているという話だ。
過去の月祭でのメビウスの降臨は本当にテストでしかなく、完全な状態ではなかったはずだ。
ここで今問題なのは、メビウスは何度も月と地上の行き来ができるということだ。
メビウスは肉体が死んだとしても、再び月の重力で魂を回収することができるのだろう。
新たな赤石が生まれるまで眠りにつくための能力なのだろうが……これでは仮にメアからメビウスを追い出すことに成功したとしても、メビウスが再度憑依を試みて来る可能性が高い。
俺はしばらく、目を瞑って考えていた。
「……とは言っても、既にメアの身体が乗っ取られている以上、どうにかメビウスを完全な形で引き剥がす方法を探るしかないのは、確定事項か」
纏めていた考えが、つい口から出る。
シェイムが安堵したように息を吐いた。
「それは、アタシの提案を呑んでくれるってことだよね?」
「বহন」
俺は杖を掲げた。
俺の周囲に六つの魔法陣が浮かび、同数のオーテムが現れた。
木偶竜ケツァルコアトルに積んでいたオーテムの一部を転移魔術で持ってきたのだ。
「……どういうつもりかな?」
シェイムが冷たい目で俺を睨む。
「別に悪霊を叩き出すだけなら、お前らに手を貸してやる必要はないからな。シェイム、お前を叩き潰して、メビウスを連れて行かせてもらう」
「……正気? それが現実的じゃないのは、わからなかったのかな? だからアタシも交渉に出てきてあげたんだよ? だってアベルちゃん……メアちゃんに、殺すつもりで攻撃できないでしょ?」
メビウスが笑い声を上げ、俺へと一歩前に出た。
「面白いではないか。我も、強気な男は嫌いではないぞ。無謀が過ぎるのは少しばかり滑稽じゃがな」
俺が杖を動かすと、シェイムを中心に転移の魔法陣が浮かぶ。
シェイムの身体が広間の隅へと瞬間移動した。
「……気が済むまでやればいいよ。すぐに無駄だとわかるだろうけど」
シェイムはこの戦いに参加するつもりはないらしい。
「メビウス、アベルちゃんにわからせてあげて。……勿論、そのまま殺しちゃってもいいよ」
 




