六十八話 空統べる耳長の軍勢④
金冠のハイエルフが思念波を飛ばすと、周囲を飛んでいた者、建物から様子を見守っていた者、全てのハイエルフの動きが止まった。
この緊急事態であるにも拘らず慌てて高度を落としていき、既に地にいる者は頭を地へと着けていた。
「オ、オルヴィガ様だ……オルヴィガ様が降臨なさったぞ!」
「申し訳ございませんオルヴィガ様……ノークス如きの珍船を墜とすことさえ叶いませんでした……!」
どうやらあの男……金冠は、ハイエルフの中では随分と偉い立場にあるらしい。
文献ではほぼ間違いなく高慢揃いと明記されているあのハイエルフが、頭を地に着けて許しを乞うていた。
ただものではない。
……対話できるのなら、穏便に事を進める好機なのかもしれない。
バビロン8000に思念波を送らせ、あの人と交渉を試みよう。
俺は木偶竜ケツァルコアトルの速度を更に落とし、滞空状態にした。
「そちらの領地を侵犯してしまったことは、謝罪させていただきます、申し訳ございません。ですが、俺にはどうしてもやらなければならないことが……」
『降りよ、マーレン。貴様は世界の王たる余へと、高みから声を掛けることに疑問はないのか?』
金冠が精霊獣を用いて俺へと思念波を飛ばしてくる。
いっそすがすがしいくらいの上から目線であった。
「……重ねて申し訳ございませんが、それはできません。降りれば自分の身が危ないことくらいはわかっています」
『ハ、退屈な冗談だな。余が誰なのか、本気でわかっていないようだ。これだからマーレンは頭が弱くて困る。貴様は余の前に立った時点で、その珍船の上で必死に結界を張っているのも、地べたに這って頭をつけているのも、まるで変わりはないということだ。余の気まぐれ一つですぐにでも死ぬという点においてはな』
金冠が大仰に額に手を当て、首を振ってみせた。
「……そこまで言うあなたは誰だと言うのですか?」
『余の名はオルヴィガ……人の身にして神の高みへと近付いた、ハイエルフの王であるぞ。無知な短命種でもそれくらいは知っているだろう?』
「オ、オルヴィガ……!?」
聞いたことは、ある。
神話にも名を残している人物だ。
空神シルフェイムの遺志に従ってハイエルフ達を導き続けて来たとされており、本当に本人ならば一万歳を超えている計算になる。
だが、今目前にいるオルヴィガは、一万歳というにはあまりに瑞々しい肌をしていた。
通常、ハイエルフでも千歳が寿命のはずである。
俺もオルヴィガはとっくに死んだものだとばかり思っていた。
『神託通りだな……フフフ……まさかあの精霊に続き、薄汚いマーレンがこの地へと侵入するとは』
「あ、あの精霊に続き……?」
どういうことだ……?
俺がここに来るのが、事前にわかっていたとでもいうかのような口振りだ。
……神託というに、もしやメドが水神リーヴァイに成りすまして国を操っていたように、ジュレム伯爵が空神シルフェイムを騙ってハイエルフを手駒にしているのかもしれない。
あの精霊というのは、もしやジュレム伯爵のことではないのだろうか。
だとすれば……やはりジュレム伯爵は、ここにメアを連れてきたのだ。
俺の考えに誤りはなかった。
『わざわざシルフェイム様が警告を出したのだから、どんな奴かと思えば……ただの珍船に乗る小僧ではないか。もうよい、沈むがいい』
オルヴィガが大きな杖を掲げる。
『পরীরাজাতীর』
宙に五つの大きな魔法陣が浮かんだ。
魔法陣は全てが重なり、より複雑な魔法陣へと変異する。
デヴィンも使っていた魔術だが、魔法陣が大きく、術式の複雑さも全く異なる。
「おお……さすが我らが王!」
「なんとお美しい魔法陣!」
「ありがたい……生きている内に、オルヴィガ様の魔術を目にすることができたとは!」
周囲で見ているハイエルフ達からも歓声が上がっていた。
今までの様子を見ていてもわかっていたことではあるが、ハイエルフの中では、王というのは地上以上に重要な意味を持つらしい。
オルヴィガが一万年の時を生きて来た伝説の人物、ということもあるのだろうが。
『消えるがよい、下等生物。見せてやろう、ハイエルフの王の一撃というものをな』
魔法陣から入り組んだ光の束が射出され、空に浮かぶ木偶竜ケツァルコアトルへと向かってきた。
結界が弾いたが、光の束は終わらない。
魔法陣から射出し続ける魔力エネルギーの塊が、結界の表面を削り続けていた。
『それで防げるとでも思ったか? 下等生物共の魔術文明などたかが知れている。わかるか? 貴様らは千年経てば二十は代が替わり、その度に知識はまたゼロからになる。引き継ぎに失敗した古い技術は廃れていく。だがその間、我々ハイエルフはたった一人で魔術を極め続けることができるのだ。貴様らのやっていることなど、我々にとってはすべて子供の遊びといったところだ……』
オルヴィガは大袈裟に首を振り、呆れかえったような素振りを取った。
言い終えてからオルヴィガはまたこちらを見て、顔に皺を寄せた。
『んん?』
一度瞼を手で擦り、また空を見上げる。
まだ俺の結界は光の束を弾き続けていた。
俺もオルヴィガには感心していた。
よくもこんなコストパフォーマンスと頭の悪い魔術を何秒間も連続で撃ち続けていられるものだ。
相当魔力量に自信がないとまずこんな手段は取らないだろう。
魔力を溝に捨てる様なものなので俺でも忌避するが、神話時代より生きるハイエルフの王にとってはこの程度の魔力は惜しくないのかもしれない。
オルヴィガは今はまだ様子見のつもりらしいが、本格的な戦いになれば、極力ハイエルフ達を殺傷せずにことを済ませるというのも難しくなってくるかもしれない。
結界を突破されてまともに魔術を撃ち込まれるようになれば、こっちも後がなくなってくる。
それにまだ、オルヴィガの底も見えていないのだ。
……まだ結界は削れてはいなかったが、途中で妖精王の矢の威力が段々と落ちてきていた。
「……あの結界、そんなに削れていなくないか?」
「そ、そんなことはあるまい。我らの王、オルヴィガ様の一撃であるぞ」
「しかし、これだけやってもそもそも突破できていないのが何か妙ではないか?」
ハイエルフ達の間にも不穏な空気が漂い始めて来ているようであった。
「……最後にオルヴィガ様が腰を上げたのは二千年前だというが、まさかその間に魔力を失くされたのではないのか?」
「き、貴様、なんということを! 追放だ! オルヴィガ様の叛逆者だ! 地上に追放しろ!」
「しかし、それしかないだろうが! 有り得るか、こんなことが!」
あまり言葉は聞こえないが、何やら下の方で殴り合いの喧嘩まで勃発しているようであった。
段々とオルヴィガの顔色が悪くなってくる。
そして妖精王の矢は最後に急に威力を上げたかと思うと、そこでぷっつりと途切れ、オルヴィガは無表情で大杖を下げた。
他のハイエルフ達も、話し声を打ち切って完全な無言になっていた。
魔術を途中で、止めてくれた……?
【他作品情報】
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表紙、挿絵の一部を活動報告にて公開しております!(2019/4/12)
 




