六十二話 火の国からの来訪者⑫(side:ジーム)
ジームは一人、ファージ領の外れを駆けていた。
完全な敗走であった。
撤退するタイミングを見誤り、自身の切り札であった『鏡花水月』まで晒したにも拘らず、魔力を消耗させられただけで何ら得るものがなかったのだ。
部下は殺され、目的のアベルの円塔の調査についても全く進められず、邪魔をしてくれた収集家一人殺せずに逃げ帰ることとなってしまった。
ジームは立ち止まり、背後を睨む。
「だが……この私の恨みを買った代償は大きいと思え、ファージ領。こんなちっぽけな辺境領、地図から消し去ってくれるわい」
強国であるマハラウン王国の王を傀儡としたジームは、人間世界で最も権力を持つ存在といっても過言ではない。
それほどまでにマハラウン王国の影響力は大きい。
国力ではディンラート王国とは一長一短で横並びだが、純粋な戦力面で言えば(アベルを除いて考えれば)マハラウン王国が頭一つ秀でている。
今やジームの思惑一つで、世界の大きな流れを、如何にでも好きな様に変えることができるのだ。
リーヴァラス教国も、ガルシャード王国も、マハラウン王国の動向は無視できない。
意地を通して抗うのは、エルフの天空の国くらいである。
だが、その天空の国も、既に異なる方面からまた掌握済みであった。
「ヒホホ……世界の真の支配者であるこのジームに楯突いた貴様らは、塵一つ残しはしない。遅れて気が付くがいい、自分がいかに強大な相手と戦っていたのかをな。さぁ、始めようぞ……世界戦争を! ヒホホホホホ! 向こう千年は続くであろう、ニンゲン同士の殺し合い! その始まりの地に、ここがなるのだ!」
ジームは一人、ファージ領の今後の惨状を想像して笑う。
それからこきり、こきりと、明らかに曲げ過ぎである不気味な動きで首を鳴らした。
「ジレメイムは反対するだろうが……私は、これ以上引っ張るつもりはないのでな。しかし、ニンゲン如きにあそこまで力を使うことになるとはの。ここまでしたのは、精霊相手を含めても何千年振りであったか? ヒホホ……誇るがよい、収集家。悠久の時を生きるこの私だが、ニンゲン相手にここまで力を使うことは、永遠にないであろう」
そうしてジームが振り返ったとき、遠くの木の上に、何かが立っているのが見えた。
対象物の正体を探るために目を細める。それはどうやら、小さな木彫りの木偶人形であった。
その意味に気が付くより先に、オーテムの口がガクガクと動き、魔法陣を展開させた。
「হন」
転移の魔術であった。
魔法陣の中より白髪の青年が現れ、危なっかし気に木の幹へと手を触れる。
そして魔力の滾る赤い眼が、ジームを見つけた。
「き、きさま、は……」
ジームは目を見開き、僅かに身を退いた。
この特徴的な民族を見紛うはずもなかった。
アベル・ベレークに他ならなかった。
「……ファージ領に、戻ってきていたのか!」
「ジュレム伯爵の一味か」
アベルが鬱陶しそうに口にする。
アベルはジェームに逃げられた後、精霊崩壊で蒸発したジェームの分霊の魔力をオーテムに覚えさせ、ジュレム探知機として運用していたのである。
それは今回のファージ領への帰還の際にも用いていた。
そしてジュレム探知オーテムに反応があったために、オーテムに先行させ、発見した際に転移の魔術で自身の呼びつけを行う様に術式を刻んでおいたのだ。
「……その様子だと、メビウスの入れ物の回収は、予定通りに終わっているようであるな。アベルは、ジュレム伯爵辺りが、焦れて殺したかと思っておったわ」
ジームが手を前に出して構える。
身体中に筋肉繊維が植物の根の様に浮かび上がり、異形の姿となった。
『龍流し』でアベルを迎え撃つ算段であった。
「生け捕りにして私が個人で捕らえておいても面白いのだが……何をしでかすかわからぬ男だと、散々釘を刺されていたのでな。ファージ領に戻られても厄介なので、ここで殺しておくとするか」
アベルは錬金術師としては一人で魔術史を数回覆す程に優秀だが、戦闘面としては自分一人でどうとでもなる範囲だと、ジームはそう見積もっていた。
アベルの魔力の出力は人間としては脅威だが、精霊であるジュレム伯爵には僅かに届かず、クゥドルへは遠く及ばない。
特に、総魔力量が、結局のところ人間では精霊へは遠く及ばない。
ジュレム伯爵達の間でも、アベルの評価はそう決着がついていた。
「হন」
アベルの両脇に魔法陣が浮かび、二つのオーテムが新たに現れた。
「তুরপুন」
アベルのすぐ横に、金属球が浮かび上がった。
魔術によって魔力と精霊、大気中の成分より錬成した特異金属、ヒディム・マギメタルの塊である。
ジームはアベルが詠唱している間に、木から木を飛び移って移動し、一気に距離を詰めた。
腕を伸ばし、アベルの死角より一気に掴みかかる。
反応したヒディム・マギメタル塊がジームへと襲い掛かる。
ジームは掌底を金属の表面に押し当てる。
それだけで金属塊は容易く砕け、背後へと飛ばされる。
相手の力を自身の力に完全に上乗せする、『龍流し』の力である。
アベルは振り返りながら、目前の光景に目を見開いていた。
「ヒホホ……自分の魔術に、さぞ自信があったらしいの」
「হন!」
アベルは転移の魔術を用いて、近くの別の枝へと移動して距離を取った。
「ヒホホホホ! どうした狂魔術師? 距離を取るのがせいいっぱいか? 魔弾でも撃ち込んではどうか? もっとも、そんなものに当たりはしないがの」
オーテムがジームの前を遮った。
ジームは掌底でそれを打ち砕く。
オーテムは呆気なく窪み、輪郭を失って落下していく。
「……তুরপুন」
アベルとジームの間に、大きな金属球が浮かび上がった。
またヒディム・マギメタルであった。
「芸がないの……これで終わりにするぞ」
ジームが金属球へと飛び掛かる。
動き出した金属球は、ジームの伸ばした腕をへし折り、そのまま身体へとぶち当たった。
「……あ?」
そのまま金属球は一直線に飛来し、ジームを間に挟む形で木々をへし折り、そのまま地面へと落下する。
ジームは寸前のところで金属球を蹴って逃れ、間一髪押し潰されずに済んだ。
「馬鹿な、なぜ『龍返し』が通らぬ……こんな、はずは……!」
「ヒディム・マギメタルは、造る度に好きに分子構造を組み替えられるのが強みだ。同じ手品が、二度も通ると思ったのか」
アベルが鼻を鳴らしながら口にした。
「は……?」
ジームは、聞いた言葉が信じられなかった。
本当だとすれば、先程の接触だけでジームの『龍返し』の仕組みを完全に解明し、『龍返し』の通らないヒディム・マギメタルの製法を一瞬で頭の中で組み立て、錬成魔法で脳内の金属を完全に再現したことになる。
錬金術師として化け物だとは知っていたが、ここまでだとは思わなかった。
いや、そんなことができるわけがない。
「あ、有り得ない! 貴様は、前もって私の武術を知っていて、対策を用意していたのだな! そ、そうだ! そうに違いない!」
「単純で面白い仕掛けだが、それ故にいくらでも対策が取れる。戦いの主軸にするのはあり得ないな、せいぜい隠し玉だ」
「な、なんだと……?」
ジームの表情が固まった。
『龍流し』は、ジームがその人の身では有り得ない悠久の命を用いて辿り着いた、武術と魔術の一つの極致であった。
本来は人間が古来より再現不可能な架空の技として定めていたものを、精霊であるという強みを活かして完成させたのだ。
自身の精霊体をその最小単位で管理し、緻密な制御によって百パーセントで衝撃をあらゆる方向へと跳ね返す。
絶対の盾にして、無敵の矛であった。
「それが、せいぜいが隠し玉であると……?」
ジームが声を震わせて怒る。
アベルはジームを無視して、先程と同じ呪文を詠唱し、杖を振るう。
アベルを囲み、先程と同じヒディム・マギメタルの球体が、合計八つ浮かび上がった。
「下手に捕まえようとすると、逃げられることが前回でわかったからな。全力で殺しに行く」




