五十話 伯爵⑧
俺は空の果ての月を見上げながら考える。
ジュレム伯爵は当初、俺に対して和解の素振りを見せてシェイムがメアを連れて逃走する時間を稼ぐために、いくつかの情報を明かしてきた。
もっとも、ジュレム伯爵にとっては裏切りが前提だったようなのでとても信用できる内容ではないのだが……逆に言えば、口にしていた核心部分はすべて虚偽である可能性が高い。
それに、嘘というのは信憑性を持たせるために、真実を織り交ぜるのが定石だ。
そう考えると、シムの口にした月祭と符合する点もあるのだ。
偶然か、罠の線もありえるが、今は他に頼れるものがない。
……まず、この儀式ではメアに実害が及ばないと言っていたこと。
これは間違いなくただのでまかせだ。
本当ならば、ここまで精霊体を削りながら俺を振り切る理由が薄すぎる。
連中にとっても決して安くない代償だったはずなのだ。
次に、ジュレム伯爵は、ドゥーム族の始祖メビウスが地の底に封じられていると、そう言っていた。
疑う俺に対し、これに関しては本当だが詳細は明かせないと、そう念押ししていた。
今考えれば、わざとらしい。
ジュレム伯爵は人間を敢えて煽る癖があるとは、ジェームも言及していた。
わざわざペテロや俺に勝利宣言を向けたこともあり、それは確かだろう。
地の底は地の底でも、この星の地の底ではなかった、というのはあり得ることなのだろうか。
ジュレム伯爵の性格ならば、後々で真相を知った俺を悔しがらせるためだけにこの様な無用な真実を織り交ぜるというのは、あり得ない話ではないように思う。
大空に浮かぶ、すっかりと大きくなった月。
まさか……あの中に、メビウスが封じられているのだろうか。
ジュレム伯爵はメアの成長を待つ必要があったと口にしていた。
仮にこれが嘘だったとしたら、本当は今まで一体何を待っていたのか。
月祭によって月が接近するのを待っていたと考えれば、全てに納得がいく。
俺の中で、これまで断片的だった情報が一気に繋がって見えてきた。
クゥドルが少し前から口にしていたことがある。
ジュレム伯爵の主戦力がどこかに隠されているはずだが、どこにも見つからない。
それは感知ができないため遠くにあるはずだが、ジュレム伯爵も肝心なタイミングで用意できなければ意味がないため、必ず決まった時期に戻ってくることが保証されているものであるはずだ、と。
月祭というのは、月が最も大地へ近づく日の事である。
月は五百年に一度だけ人間の住まうこの大地に急接近し、それからまた一定の距離をとるとされている。
また、月祭の度に月の軌道がこちらの星へと接近してきているのではないか、という学者の話も耳にしたことがある。
これが本当ならば、月は何千年の年月を掛けてゆっくりとこちらの星へと向かってきていることになる。
クゥドルの言っていた、ジュレムの主戦力の隠し場所の条件とぴったりと一致する。
ジュレムがクゥドルを倒すための武器として見ているメビウスは、月の内部に封じられている。
子孫に当たるメアを使い、月祭に乗じて転移魔術で接近したメビウスをこの地に呼び寄せるつもりであれば……連中が最終的に向かう先は予測できる。
最も月に近い地、ハイエルフの楽園、天空の国だ。
土壇場で、活路を拾った。
口の軽い大精霊シム様に感謝するしかない。
裏付けとなり得る情報はあるが、確実な保証はない。
しかし、他に手掛かりのない今、これに賭けるのが間違った選択とは思えない。
方角だけでもジュレム伯爵やジェームの魔法陣から裏付けを取り、天空の国に殴り込む。
……ただ、そのためには問題がある。
天空の国は遥か空の彼方にあり、通常の手段では向かうことさえ困難なのだ。
ハイエルフは精霊獣の力を借りて行き来するというが、残念ながら俺が召喚紋を持っている悪魔では、そんな長距離飛行ができるとは思えない。
ゾロモニアはまず不可能だろうし、勝手に逃げてメアの誘拐までやすやすとさせてしまった時点で、クゥドルは呼び出した瞬間にこっちが殺されかねない。
また、ディンラート王国から天空の国は単純に距離が遠すぎる。
俺が魔力を削って移動に全振りしても、何日掛かるかわかったものではない。
……月祭は、もう明後日だ。
その日にメアをメビウスを呼び出す儀式の生贄にしようとしているのであれば、どう足掻いても間に合わない。
ジュレム伯爵やジェーム、そして恐らくはシェイムも、自身の正体が悪魔であるため、長距離転移の際の魔力消耗がローコストで賄えてしまうため、ここから天空の国への移動も苦ではないだろう。
悪魔の召喚にあまり魔力を必要としないように、精霊体の長距離転移に魔力はあまり掛からないのだ。
今思えば、ジュレム伯爵が容易に長距離転移魔術を使おうとしていたことから、奴の正体を察せてしかるべきだった。
シェイムが確実にメアを誘拐できるタイミングをずっと探っていたのも、その時間を稼ぐためにわざわざジュレム伯爵が出張ってきたのも、精霊でないメアを魔術で長距離転移させることが困難だったからだ。
……恐らくシェイムは、俺がジュレム伯爵と戦っている間に、メアを短距離転移で痕跡を誤魔化しながら連れ去ったのだろう。
ジュレム伯爵も自在に空を飛び回ることができるようだったので、連中にとってはメア一人背負って天空の国まで飛び立つことも難しくはないはずだ。
と……なると、手段は一つしかない。
大急ぎでファージ領まで引き返し、木偶竜ケツァルコアトルを動かすしかない。
あれなら数時間あれば天空の国まで飛んでいける。
国の上空をこの手の方法で移動するのは最悪戦争を引き起こす行為だとペテロから散々釘をさされていたが、他にもう手段がない。
時間がなさすぎる。
今から俺が大急ぎでファージ領に戻り、木偶竜ケツァルコアトルを動かしたとしても、月祭に間に合うかどうかはよくて五分五分だ。




