四十七話 伯爵⑤
「ジェームさん……そっち側、だったんですか」
ジェームが俺へと顔を向ける。
無表情だった。俺に対し、特に特別な感情を抱いていないようだった。
元々、あちら側が本性だったのだろう。
「……ここまで厄介になるのであれば、もっと早くに手を打つべきでしたね」
淡々とジェームが零す。
俺の頭には、ジェームと出会ったときのことが過ぎっていた。
集落を出てからの俺の本格的な旅は、あのジェームに拾ってもらったところから始まったのだ。
恩はある。抵抗もある。
だが、それは、今身を引くだけの理由にはならない。
「さぁ、第二ラウンドと行こうではないかアベル! 我ら三体を相手取って、無事に済むとは思わぬことだ!」
ジュレム伯爵が笑う。
その声と共に、球体型の精霊ジェムが動き出す。
大きな口を開けて俺へと飛び込んできた。
ジュレム伯爵も両手に炎を纏い、船上を滑る様に俺へと向かって来る。
……三対一、か。
ジュレム伯爵が三体と考えると、さすがに少しキツイ。
いや、ジェムへはそこまで警戒する必要はない。
まずは確実に敵戦力を削るために、あのチョロチョロと飛び回る精霊ジェムから削るべきか。
「শিখা এই হাত!」
炎を球状の結界で包み込んで圧縮し、無尽蔵に魔力を継ぎ足していく。
杖先に捉えるのは、ジュレム伯爵だ。
これならば、あのちょろちょろした風で包んで潰したり、受け流したりなんかは絶対にされないはずだ。
人数差ができた時点で、俺が無理してジュレム伯爵を生け捕りにする理由も、そんな余裕もなくなった。
威力をセーブする必要はない。
追尾能力も高めに設定しておこう。
同時に掛かられては面倒だ。
ジュレム伯爵を攻撃し、ジェムへのカバーを未然に防ぐ。
ジュレム伯爵はアベル球を見るなり警戒を高め、詰めていた距離を取り直す。
「頑張って逃げ回れよ!」
放った白く光る球体が、ジュレム伯爵へと接近していく。
ジュレム伯爵は地面を蹴って宙を跳び、マストの周囲を飛び回りながら上がっていく。
その後を、アベル球が執拗に追い回していく。
その隙に、ジェムが俺へと接近していた。
俺の周囲のヒディム・マギメタルが持ち上がり、ジェムへと絡みついてその動きを拘束する。
ジュレム伯爵は、高い位置へと逃げている。
ジェームも、どういうつもりか最初に現れた位置から動いていない。
「শিখা」
俺は拘束しているジェムへと杖先を向ける。
ジェムの身体が燃え上がり、目と口の穴から炎が噴出する。
船の上へと落ちそうになったので、着地点の床をヒディム・マギメタルでコーティングして引火しないように配慮した。
ジェムの身体が焼け焦げて縮んでいく。
「ジ、ジレメイム、どうにかせよ!」
追尾アベル球に追われたままのジュレム伯爵が、宙に浮いているジェームへと近付いていく。
ジェームは宙に魔法陣を浮かべる。
魔法陣が黒い円へと変わり、そこにアベル球が呑み込まれて消えていった。
円はすぐ小さくなり、何事もなかったかのように消え失せた。
「なんだ……あの魔術」
初めて見た。
異空間と繋げて、そこへアベル球を受けさせたらしい。
けったいな魔術を使ってくれる。
恐らく、大気中の精霊と、自前の精霊体を併用して魔術を制御している。
あの魔法陣だけ解析しても再現はできないだろう。
……あんな受け方をされるのであれば、あまり高火力の魔術をぶつけにいくのは無意味かもしれない。
少なくとも、ジェーム相手では追尾機能をつけても効果が薄い。
「……興味深そうに見てますが、人間に再現はできませんよ」
ジェームが白けた様に言う。
「ジ、ジレメイム、貴様、なぜジェムを助けなかった? 我が貴重な精霊体であるぞ。仮に同時に掛かっておれば……」
ジュレム伯爵の言葉に、ジェームは首を振った。
「あのボールが潰されないと、貴方は納得しないかと思ったのですよ。はっきり申しますと、足手纏いなので、私が引き付けている間に帰っていてほしいんですよ」
「な、なんだと?」
「貴方の精霊体がないと、最悪儀式を行えなくなる可能性があります。アレは、我々の精霊体に引かれているんですからね。戦いながら何度も貴方を守るなど、あまり現実的ではありませんので。期待しないでくださいね」
「…………」
ジュレム伯爵が黙り、俺達とは反対方向へと身体を向けて飛んでいった。
転移の魔術の妨害を警戒し、離れてから逃げるつもりらしい。
俺は咄嗟にジュレム伯爵へと杖を向けたが、すぐに諦めてジェームへと照準を合わせた。
逃げるジュレム伯爵を追いつつ、ジェームを押さえられるかは怪しい。
それにジェームの口ぶりからして、ジュレム伯爵とは同等以上のようだった。
あまり余裕のある相手ではない。
「適当に煙に巻いて逃げ回っておけばよかったのに、なぜあのお人は余計な敵を作りたがるのか」
ジェームは額を押さえ、小さく首を振った。
「……当然、伯爵がいなくなったからといって、こっちについてくれるようなことはないんですよね」
「そう言って信じてくれるのならば、もっと楽な手が取れるのですがね」
ジェームが両手を前に出す。
ジェームの腕の先に魔法陣が展開され、その先に黒い球が浮かび上がる。
中で、細い光の線の様なものが蠢いている。
「まさか、それ……」
「見たことがありましたか、さすがですね」
間違いない、アルタミアの塔で見たカオスだ。
カオスは空間の歪みそのものであり、物質というよりは最早現象と定義するべきだろう。
アルタミアはアレを、触れるもの全てを物質最小単位まで分解して出鱈目に異空間に追放してしまうといっていた。
俺もあの後カオスについて計算上の見解を出したが、概ね間違いはなさそうであった。
人間が意図して造り出すことは現代の魔術では不可能だと思っていたが……適性のある悪魔ならば、自前の精霊体を用いて不足を補い、攻撃方法へ転化できたとしてもおかしくはない。




