二十八話 それぞれの動向①(side:ペテロ)
「ア、アベルちゃんとメアちゃん、居なくなっちゃったの!?」
アベル失踪翌日、ラルク邸にてその事をユーリスから聞いたペテロは奇声に近い悲鳴を発した。
「は、はい……その、アベル殿のものと思われる手紙もありまして……。ラルク様からも、こちらはペテロ様に渡しておいた方がいいと言われております」
ユーリスが手紙を差し出す。
ペテロがその場でよろめき、彼の側近であるミュンヒが素早く身体を支えた。
「ペ、ペテロ様、しっかり!」
「あのモヤシ、このややこしい時期にやってくれたわね……! あの子、ひょっとして自分の重要度がわかっていないの!? それともわかっていてこんなことしてるの!? バカなの!?」
ペテロが顔を赤くし、握り拳を作った。
ミュンヒがユーリスから手紙を引っ手繰る様に奪い、紙を広げる。
「よ、読み上げますね、ペテロ様」
「ガキじゃないわよ! 寄越しなさいミュンヒ!」
ペテロがミュンヒから手紙を取り上げ、紙面に目線を落とす。
アベルからの手紙には、言い訳染みた長い謝罪文の後に、自分ではジュレム伯爵の相手は務まりそうにないのでしばらくドゥーム族のメアと共に雲隠れする、といったふうに書かれていた。
「アッ、アナタ、ワタシがどれだけ出資したと……!」
ペテロがわなわなと手を震えさせる。
「あの子はわかってないのかしら!? バカなのかしら!! ジュレム伯爵を放置していたら、何を仕掛けて来るのかわかったものじゃないっていうのに!! ワタシはこんなに頑張ってるのに、どうして誰もわかってくれないのよ! どこへ逃げようとしたって無駄なのよ! ジュレム伯爵の被害はディンラート王国だけじゃあ済むわけがないのよ! ジュレム伯爵が、リーヴァラス国を偽リーヴァイを使って傀儡化しようとしていたのを忘れたのかしら!」
ペテロは頭に手を当て、髪を掻き毟った。
「ペ、ペテロ様……」
ミュンヒが声を掛けると、ペテロは動きを止めて俯いた。
「……思い返せば、ワタシも随分と悪手を打っていたものね。そもそも、アベルちゃんからはあの子の故郷絡みの話で、この地をしばらく離れたいって言っていたわね。あのとき、頭ごなしに否定せずに、もう少し機嫌を窺っておくべきだったわ。適当に誤魔化すなり、ワタシの監視下の領地に送るなりしておけばよかったのに」
ペテロが深く溜め息を吐く。
「……それに、アベルちゃんに何か一つ貸しを作っておきたくて、メアちゃんの件で牽制を掛けたのが失敗だったわね。盛大に失敗したわ。あれのせいで、ワタシへの不信感を煽ることになっていたのかもしれないわ。前に一度アベルちゃんをクゥドル聖堂で殺そうとしたのも尾を引いているわね」
「ど、どうなさいますか、ペテロ様……?」
「……どうにか捜し出して、説得するしかないでしょう。クゥドル神も、アベルちゃん有りと抜きじゃ全然状況が変わってくると、前から言っていたわ。とりあえず、ペンラートの解放辺りを条件に出してアベルちゃんの反応を見るしかないわね。ちょっと下手に出ましょう。アベルちゃん相手に鞭は駄目だと気が付いたわ。あの子が本気で駄々を捏ねたら、誰も止められないもの」
そのとき、ペテロの握り締めていた手紙から、一枚の小さな紙面が落ちた。
どうやら重なってくっ付いていたようであった。二枚目の手紙があったのだ。
「ペッ、ペテロ様、それっ!」
ペテロは慌てて二枚目の手紙を拾う。
『他の人にも起動できる様に、木偶竜ケツァルコアトルの暗号化機動魔術式の解読方法についてここに記しておきます。ただし、国の一部を吹き飛ばしかねない兵器であるため、あまり深く書くことは避けておきます。アルタさんやペテロさんならば、ここに記した法則に基づいて木偶竜ケツァルコアトルに刻まれた暗号化機動魔術式を解読することができるはずです』
ペテロの表情が微かに和らぐ。
木偶竜ケツァルコアトルさえ動かすことができれば、いざという事態に備えることはできる。
ペテロが以前、アベル本人に対して『これとアナタ、どっちの方が強いの?』と問うたときに『勿論生身の俺なんかよりずっと強いですよ』と返ってきたことがあった。
「そ、それさえあれば、一応の戦力にはなりますね! あのアベル様の、自信作なのですから」
ミュンヒは横から首を伸ばして手紙を覗き込み、安堵の息を漏らす。
だが、すぐにペテロの表情が曇った。
「な、何この記号……?」
手紙の先には、細かくぎっちりと記号の詰め込まれた怪文書が記されていた。
ペテロも意識を向けていない間は、てっきりそれがただの手紙の模様かと思っていたくらいである。
しかし、この嫌がらせとしか思えない謎の文章は、手紙の流れからして、木偶竜ケツァルコアトルの暗号化機動魔術式の解読方法であることには間違いなかった。
「ペ、ペテロ様、これ、わかりますか……? アルタミア様か、ペテロ様にはわかるというふうに書かれているようですが……」
「アルタミアー! アルタミアを呼んできてちょうだい、ミュンヒ!」
即決である。
ペテロは記号を眺め、これは自分がどうにかできる類のものではないと、それだけは理解することができた。
逆に言えば、それ以外は何一つ理解することができなかった。
アルタミアにもあまり期待はしていなかったが、何も行動を起こさないわけにはいかなかった。
「は、はい! しかし、アルタミア様でしたら、アベル様の開発した魔導携帯電話を使って呼び出した方が早いかもしれません」
ミュンヒが魔導携帯電話を取り出し、ペテロへと差し出す。
「そ、そうだったね。動揺していたわ」
ペテロはアベルから領内での連絡用として、試作品の魔導携帯電話を受け取っていた。
ペテロはアベルからは出資者優待であるというふうに説明を受けていたが、実のところはアルタミアからの電話とメールの嵐の被害者を増やし、対応を分散するためであった。
「アルタミア、今すぐラルク邸に来てちょうだい! アベルがファージ領から逃走したわ!」
電話を掛けるなり、アルタミアへと告げる。
少しの間沈黙があり、それからアルタミアの普段の調子からは想像できないほどに弱々しい声が返ってくる。
『ペ、ペルテール卿……。アベル、出て行っちゃったの……? う、嘘……』
「……まあアナタ達、変なところで気が合っていたから、寂しいのはわかるわ。でも事実よ。対策を打ちたいから、とにかく今すぐに……」
『これからどんどん台数増やして、機能も拡張して、魔力波塔利用して国内ならどこにでも通信可能にするって言ってたのにいいいいい!』
「…………」
アルタミアの予想外の言葉に、ペテロは思わず絶句する。
『アンタがいないと何も動かせないじゃない! せめて脳みそ置いて行きなさいよおおおお!』
ペテロは電話を切ってから、頭を抱える。
「ディンラート王国……本当に大丈夫なのかしら……」