二十七話 ドゥーム族の襲撃⑦
後日、俺はラルク邸の一室でメアと顔を合わせていた。
「……メア、落ち着いて聞いてほしいことがある。俺はファージ領を、ペテロに無断で抜けようと思っている」
「ど、どうしてですか? アベル、月祭も凄く楽しみにしていて、ここにはアベルが頑張って作った木偶龍もあるのに……」
メアが泣きそうな声で言う。
……確かに、今俺が勝手にファージ領を抜けるのは、ペテロにも、アルタミアにも、ラルクにも、クゥドルにも大迷惑だろう。
一生恨まれたとしてもおかしくはない。
「ペテロが信用できない。これまでは余裕があったからよかったけど……これからは、そう甘いことは言っていられなくなるかもしれない。ペテロと俺の利害の一致が崩れる可能性もある」
あの人は行動力があり、権力も高く、容赦ない決断でも迷わず行える意志の強さがある。
仮にペテロがもう少し無能な人だったのなら、俺は安心してもう少しあの人を頼ることができたかもしれない。
だが、あの人は危険だ。俺はあの人ほど割り切れないし、決断力があるわけでもない。
力でねじ伏せるのは簡単かもしれないが、俺にはその選択は取れない。
俺はペテロが嫌いなわけではないのだ。
ただペテロは好き嫌いなど関係なく、自分の目的に沿って容赦なく動くことができる。
「……メアの、せいですよね? デフネおじさん達が攻めて来たから……その関係でアベルは、ファージ領を離れようとしてるんですよね? やっぱりメア、生きてたらダメだったんですね……」
メアが俯き、涙を零す。
元々メアは、タイミングが悪かったせいで必要以上に邪険にされていた、というふうに言っていた。ただ、ドゥーム族が後を追いかけて来たことに気が付いた時点で、薄っすらと複雑な立場に自身の身が置かれていること理解していたのかもしれない。
「ごめんなさい、アベル、メアのせいで……こんな……。でも、メア、これ以上アベルにも、デフネおじさんや父様にも、迷惑を掛けたくありません」
メアが嗚咽を上げながら、そう口にした。
少しの間、沈黙が続いた。
「……確かに、メアが理由だ。クゥドルから聞かされたことだが、メアにはドゥーム族の祖の力があって、多分ジュレム伯爵はそれを対クゥドル用の武器にするために狙っている。メアがここにいたら、多分メアの親父がここに乗り込んでくる。デフネさんから聞いたが、本気でそいつが暴れたら、ファージ領がどうなるかもわからないらしい」
「…………」
「それに現状……どうやら俺は、ジュレム伯爵の掌の上にいるらしい。今の状態を維持するのは、あまりいいことじゃないと思う。メアの居場所を把握されているというのも、かなり厳しい。ジュレム伯爵とクゥドルの目を振り切るのが、俺の打てる最適解だと思っている」
今まで俺は、逃げる側としての意識に欠けていた。
メアが追われている身であることを考えれば、もっと徹底に姿を隠すべきだったのだ。
「……ペテロさんもクゥドルさんも、きっと凄く怒ります。それに、アベルがクゥドルさん側に付かなかったら、きっとジュレムさんがその分暴れることになります」
そうかもしれない。
もしかしたら、それがジュレム伯爵の狙いの一つだったのかもしれない、とさえ邪推してしまいそうだ。
ペテロがあれだけ恐れていたわけだ。
ペテロがそうされていたように、ジュレム伯爵は俺の人生の転換期に影を落としていた。
得体の知れない男だ。
「メアのために、そこまでアベルにさせるわけには行きません……」
「それは違う、俺は俺のためにやる」
俺は首を振る。
困惑するメアへと、ゆっくりと腕を伸ばした。
「メア、俺はお前が好きだ。だから、お願いがある。俺と一緒に逃げてくれ。これからも、ずっと一緒に傍にいてほしいんだ」
メアが呆気に取られた様に目を大きく開く。
その後、彼女の頬に涙が伝った。
「で、でも、それって……きっと、ジュレム伯爵が世界を支配しようとしてる、手助けになるんじゃないですか?」
「ああ、そうかもしれない」
「ペテロさんと、クゥドル教会と、ディンラート王国を敵に回すことにもなるんじゃないんですか?」
「そうなってしまうだろうな。俺も、本意じゃなかったけど」
「神様を相手にすることにもなるんですよね?」
「三割は削れた。また来るなら、次は塵も残さずに吹っ飛ばしてやる」
俺は笑って答えた。
俺はただの一人の人間なのだ。
好きな子一人守るために、我儘くらい言わせてもらう。
メアが弱々しく俺へと腕を伸ばす。
俺はその手を力強く握り返した。
「ありがとうございます、アベル……」
メアが涙に塗れた顔で言った。
「……割り切ったら、ちょっと楽しくなってきたな」
いいだろう、やってやる。
ドゥーム族も、王家も教会も、大神も伯爵も、全員纏めて相手をしてやる。
俺の小さな腕には、元々世界を守るなんてスケールの大きな話は不可能だったのだ。
好きな女の子一人抱きしめるのが限界だ。
それなのに不相応な大役を担おうとするから、どう動けばいいのか、わからなくなる。
本当に大事なものが見えなくなってしまう。
メアが犠牲になるのなら、俺は世界を救う勇者になんてなれなくてもいい。
仮にそれが訪れるのなら、俺は最後の日をメアと一緒に過ごそう。
そうと決まれば、逃げる先を考えなければならない。
今度はディンラート王国の外の方がいいかもしれない。
移動手段も必要となる。
やろうと思えばなんでもできるが、あまり目立つことはできない。
メアの魔力を隠す魔法具も必要だが、これはひとまず後回しにするしかない。
移動中にどうにかやっつけで作ってみせよう。