十八話 とあるドゥーム族の過去の話③
メレゼフとネレアの二人目の子供、石無しの娘はメアと名付けられた。
ただし、母親であるネレアがあまりにメアを嫌っていたことと、メレゼフが多忙のためにあまり家に戻らないことから、彼女は乳児期の間、親戚の家に預けられることとなる。
子供の間に赤石の話は伝えられていなかったが、石無しというのはからかいのタネには充分であった。
大人の敬遠する態度が子供に伝搬したこともあり、預けられた親戚の家でも腫物に触る様に扱われていた。
また、ドゥーム族は身体を鍛えれば鍛えただけ、魔力を消耗して身体が強靭に造り変えられていくのだが、メアの魔力量が極端に低かったために魔力を賄い切れず、疲れやすい体質であったために、あまり外で遊ぶということもしなかった。
自然、宛がわれた自室で本を読むことが多くなっていた。
メアが七歳の頃のときのことである。
玄関先のベルの鳴らされた音を聞き、自室にいたメアは顔を輝かせ、本を置いて表へと出た。
メアの預けられている親戚筋の家にはあまり来訪者が来ることがなく、ベルが鳴らされた時は、メアに会いに来たメレゼフである可能性があった。
「父様……!」
扉を開けると、メレゼフの側近であるデフネが立っていた。
「メア様! お菓子をお持ちしましたぞ! ささ、このデフネと一緒に食べましょう!」
「……あ、デフネおじさん」
メアが露骨にがっかりとした表情を浮かべる。
メレゼフは忙しいため、メアの元を訪れるのは一週間に一度、あるかないかであった。
来たとしても、あまり長い時間いるわけでもなく、何か楽しい話をしてくれるわけでもなかった。
ただ、メアはメレゼフが訪れに来る時間が好きであった。
それに引き換え、デフネはほぼ毎日メアへと様子を見に来ていた。
なんなら日に二回来ることもあった。
デフネは面倒見がよく、責任感も強い性分であった。
メレゼフが親としては冷たく、ネレアに至っては何を考えているのかさえわからないため、自分がどうにかしてやらねばという熱意に燃えていた。
「時間が合いそうならば、オーウェル家の双子姉妹もご一緒に……」
「……リリ姉とマル姉は、メアを置いて遊びに行きました」
「そうでしたか! ならばメア様の食べる分が増えますな!」
「……あんまりメア、食欲ありません」
「ならばこのデフネの食べる分が増えますな! いや、楽しみでございます!」
「…………」
デフネはメアの預け先の家へと来訪するだけでなく、空き地に連れて行ったり、森へ連れて行ったりすることもあった。
メアにとってデフネは半ば親代わりの様なものとなっていた。
「今日は時間がありますから、この後、森の方へ連れて行ってあげましょう」
「…………ありがとうございます」
メアからの反応はあまり芳しくはなかった。
本来、七歳にもなれば、同年の子供と遊び始める時期である。
「ほ、ほら、最近森の方で、愛玩魔獣のニャルンの目撃情報もありましたので! もしかしたら、捕まえられるかもしれませんぞ!」
「……本当、ですか?」
メアが少し反応を見せる。
ニャルンは愛らしい見かけを持つ希少魔獣で、子供大人問わずに人気が高い。
「ま、まぁ、ニャルンは気紛れですし、会えないかもしれませんが……」
デフネが額を指で掻きながら、誤魔化す様に言った。
メアとデフネが森へと出かけ、数刻ばかり散歩を行い、辺りに夕日が差し掛かってきた頃に帰路についた。
「メア様、あまり前を見ずに走っては危ないですよ」
「今日のデフネおじさんっ! 凄かったです! メアよりずっと大きい狼を、すぐに追い返しちゃいました!」
結局ニャルンを見つけることはできなかったが、デフネが魔獣を素手で追い返したのを目の当りにしたメアは大いに燥いでいた。
デフネもその様子を見て微笑んでいた。
内心、メアの関心を擽ろうとニャルンの話を持ち出してしまい、嘘吐き呼ばわりされないかどうか心配していたのだが、ほっとしていた。
「こう見えてそれなりに鍛えておりますからね。しかし、メア様の父親、メレゼフ様はこんなものではありませんよ。その気になれば、あっちの屋根からそっちの屋根まで、簡単に跳んで移動できるでしょうね」
「メアの父様は凄いのですね!」
「ええ、ええ。今日は時間がなくて来られませんでしたが……近い内に、また来てくださるでしょう」
「デフネおじさんも、父様には及ばないのかもしれませんけど、凄かったですよ!」
「ありがとうございます。ただ、メレゼフ様は本物の天才ですからね。比較していただくのも、本当に過分な評価なのですよ。本気を出せばこの地がどうなるかわからないので、全力を出したことがないそうです」
ドゥーム族は鍛錬を積めば積むほどに、本人の魔力を用いて身体がどんどん造り変えられてしまう。
そのため魔力素養、体質、日々の鍛錬の差異によって身体能力が大きく変動するため、身体能力の個人差が常人のそれよりも激しい。
メレゼフはその極端な例であった。
デフネはふと、感情に任せて暴れれば余波で集落一つ潰しかねないのだから、メレゼフの淡白な気性も当然なのかもしれない、と考えた。
「本当に!? メア、今度見てみたいって頼んでみます!」
「そ、それはちょっと……どうですかね……」
デフネが下を向いて考え込んでいる間に、メアが一人で先へと走っていく。
「メア様、あまり走っては危ないですよ」
デフネは言いながら走るメアを眺める。
眺めていて、メアが帰路を間違え、遠回りになる道を走っていることに気が付いた。
「そっちではありませんよ……まぁ、いいんですけども……あ」
デフネがあることに気が付き、表情を顰める。
メアが走っていたのは、メアの実家、メレゼフの屋敷の方へだったのだ。
窓からそっと中の様子を見ている。
(ネレア様に見つかっては大変なことになる……!)
デフネが慌ててメアを追いかけ、肩に手を置く。
「メ、メア様、そろそろオーウェル夫妻も心配する時刻ですよ。さ、戻りましょう。ね?」
デフネが言いながら、ちらりと窓の中を覗く。
メレゼフとネレア、ダレルが三人で食卓を囲んでいるところだった。
「僕には父様から教わった槍術と、母様から教わった魔術がありますからね。へへ……子供同士の遊びの狩りだと、正直少し退屈なんですよ」
得意気にあれこれと話すダレルに対し、ネレアが嬉しそうに相槌を打っていた。
メレゼフは無言であったが、どことなく楽し気に見える。
「うっ……メ、メア様、その……」
メアは無言で振り返ると、重い足取りで帰路を歩いて行った。
デフネはメアの背を眺めていたが、もう一度だけちらりと窓の中を振り返る。
「……なんだ、あの本?」
食卓机の奥の床に、緑色の分厚い本が置かれていた。
表紙にアレイ文字で何か書かれているが、かなり古い形式のものなのか、デフネにはまったく読み解くことができなかった。
デフネが目を擦ると、緑の本は消えていた。
「あれ……? 今、確かに……」
そのとき、ネレアがデフネに気が付いたらしく、顔を上げて冷たい目で彼を睨んだ。
デフネは愛想笑いを浮かべると、ぺこぺこと頭を下げてその場を後にした。