十六話 とあるドゥーム族の過去の話①
遡ること十六年前、ディンラート王国の秘境、ドゥーム族の集落にて。
ドゥーム族の族長メレゼフの妻が出産の兆しを見せ始めていたそのまさに同日、獣の輪郭を模した青白い光の塊の群れ――精霊獣――の襲撃があった。
精霊獣とは悪魔と同じく精霊の集合体である。
悪魔との境界は曖昧であり、一般的に言語を理解できず、魔法をほとんど扱うことができない悪魔に対して用いられる。
単に下位悪魔、下位精霊と称されることも少なくはない。
精霊獣という名前の由来は、悪魔が自然と奇妙な図形や人型、異形の化け物の姿に定着していくのに比べ、精霊獣は単純な獣の姿を取る傾向にあるからだ。
集落は大騒ぎになっていた。
戦える者は撃退と女子供の護衛に分かれ、集落内を駆け回っていた。
あまりも攻めて来る数が多すぎるために、保護したところで避難先がないのだ。
集落に入り込んだ数は、百を軽く超えていた。
『একজন!』
「うう……一体、何の因果でこんな日に……」
ドゥーム族の中年の男、デフネは、精霊獣の特徴的な唸り声を聞きながら、つい弱音を漏らす。
デフネは槍を突き出して正面の敵を牽制しつつ、他の方向をも警戒する。
ドゥーム族はノークスに比べ、平均身体能力、平均魔力量が遥かに高い。
鍛えれば鍛える程に、体内で魔力を消費して特異金属を生成し、筋肉を強靭な剛性と弾性を伴った物質へと置き換えていく性質を持っている。
体内に、錬金魔術を自動で行う炉の様な器官が存在しているのだ。
その分身体に掛かる負荷は凄まじいが、それだけのリターンは得られる。
また、生まれ持って強大な魔力を有するがため、母親の胎内で身体の形成途上の赤子が暴走しないよう、額から余剰な魔力を放ち、体外へと逃がす習性がある。
その際の放出された魔力の塊は額の青い結晶となり、ドゥーム族の身体の一部として残る。
この様な身体の異常な仕組みは、他の人間種には一切存在していない。
これらの特性は、ドゥーム族の一部にのみ伝えられる伝承、かつて空神が神話時代の戦争を制するためにドゥーム族の始祖にあたるメビウスを造ったということの裏付けにもなっている。
「フンッ!」
デフネは素早く槍を二度突き出し、前方と斜め前の精霊獣を同時に屠った。
二体の精霊獣の身体が破けた様に大きく破損し、宙を舞ってその身を地へと叩きつけて転がった。
魔力を用いての身体強化術は戦闘技術として世界各地の国で体系化されているが、その強力さ、そして危険性故に、全て表向きには秘匿されている。
秘技を共有する集団の中でも、生涯を費やして初歩の修得に至れなかった者や、制御できずに失敗して体の一部を失う者も少なくはない。
だが、ドゥーム族では、親から狩りを教わった覚えのある者は、ほぼ例外なく全員、自然と魔力を用いての身体強化術を身に着けている。
一般に魔力を利用した身体強化術は、身体が本来意図していない部分を抉じ開けて力を発揮する裏技である。
しかし、ドゥーム族に限っていえば、その特殊な筋肉を不自由なく動かすためには、元々魔力による補佐が不可欠であり、身体を鍛えていれば自然と感覚で身についてしまうものなのだ。
筋肉、器官は無論のこと、爪や皮膚、角、髪の毛も魔力伝導が高く、武器を失った際には代わりとして十分すぎる威力を発揮する。
デフネは精霊獣の姿が消えるのを見て、はあと息を漏らした。
自身の槍先を見つめ、何も付着していないことを確認する。
魔獣と違い、精霊獣や悪魔は、死んだ後に何も残さない。
「精霊獣なんて初めて見た。よかった……本当にちゃんと、槍が刺さるんだな」
一瞬の気の緩みがあった。
デフネの背後に光の靄が集まり、獣の輪郭を形成する。
『একজ……!』
「わ、とっ……!」
デフネが慌てて前へ跳んで、振り返る。
彼と入れ違えになるように、黒炎を発する直径四メートル程度の円盤が精霊獣へと飛来し、その姿を刹那の内に蒸発させた。
黒炎の円盤はそのまま地に下部をつけて弾き上げられ、元来た軌道を戻っていく。
デフネは視線で円盤を追う。
長身のドゥーム族の男が、燃え上がる円盤を素手で受け止め、構え直していた。
円盤と見えたのは、高速で回転運動する槍だったのだ。
「メレゼフ様、助けていただきありがとうございます。しかし、出て来ていらしたのですね。その……奥方様についていらっしゃらなくても、大丈夫なのでございますか? ご出産は間近だと聞きましたが……」
「何のためにだ? 必要あるまい、騒動が起きてからネレアの様子は見に行っていないが、あそこならば護衛は間に合うであろう。この一大事に、そんなものに呆けている余裕はない」
ドゥーム族の族長、メレゼフが淡々と答える。
メレゼフは族長としては若く、まだ三十代に差し掛かったところである。
ただ、メレゼフは族長家の血筋の中で最も聡明で、かつ腕が立った。
ドゥーム族の直面しているとある問題に対し、伝承の解釈や古代文献の解読を主導して進め、対策を練っていたことが族長となる決め手となった。
族長になってからは武術にもより磨きが掛かり、ドゥーム族の中においても数百年に一度の天才といわれている。
感情の起伏が薄く、無表情であることが多いため一部からは不気味がられているが、それでもメレゼフが新たな族長となることに反対した者はいなかった。
「こ、この状況で、奥方様や子息のダレル様の安否も確認していないのですか? は、はぁ……」
「私が動かなければ、その分被害が出るだろう」
「そうかもしれませぬが、しかし……」
「くだらぬことを話している暇はない、行くぞ。この規模の精霊獣が偶然発生し、偶然に我々を襲ったとは考えづらい。精霊獣は悪魔に比べて自我が希薄で、生物というよりは現象に近い。それ故に、ある程度誘導したり、操ることもさほど難しくはない。この襲撃には、黒幕がいるのかもしれぬ。もしかすれば、月祭と何か繋がりがあるかもしれぬ」
月祭とは、五百年に一度の、月が地上へと大きく近付く日のことを示す。
ドゥーム族では星占術によって一族の政を占う風習があり、そのため長く星々を観測し、記録をつけている。
そのため判明したのだが、十六年後に起こる月祭は、数千年に一度の大接近になるという予測になっていた。
ドゥーム族の間では、月が近づくと『赤石』と称される忌み子が生まれ、月祭の日を跨ぐと化け物へと変わるという伝承がある。
更に厄介なことに、月祭を迎えた化け物は、ドゥーム族全体を操る魔法を得るという。
五百年前の月祭では、ドゥーム族が『赤石』を頭目に立て、ディンラート王国内で無謀なクーデターを引き起こしたことが記録されている。
その蛮行は『赤石』が当時のマーレン族の魔術師に不意打ちで殺されると、驚くほどあっさりと収束した、ともされている。
事件収束の際には、ドゥーム族の多数の者が牢に繋がれた他、ドゥーム族の住処をマーレン族の監視下に置き、かつドゥーム族に対して一切の遠出を禁じることが取り決められた。
その後、十年おきにマーレン族が様子を見に来ていたが、三十年目には早々にそれが途絶えたことも記録されている。
極度に口下手で恥ずかしがり屋な連中だったので、恐らく王家から言われて嫌々赤石の調査に来ていたが、役目を盥回しにした挙句に有耶無耶になったのだろうと、当代の族長が愚痴の記録を残している。
実はドゥーム族の集落も、最初の五十年を過ぎた後には、ぽつぽつ旅の冒険者を招き入れたり、騎士を夢見て集落を抜け出た者がいたりしたようなのだが、それについて特に罰則を受けたことはない。
ドゥーム族の抱えている問題とは、近い内に『赤石』が生まれ、再びドゥーム族を操って無謀な戦争へと導くのではないか、という危惧である。
特に今回の月祭は数千年に一度の大接近である。
もっと酷いことが起きても不思議ではない。何がどうなるのか、全く予測がつかないのだ。
今回の騒動に『赤石』が絡んでいるとすれば、それがドゥーム族にとっての悪夢の始まりとなることは間違いなかった。
「せっかくのメレゼフ様の二人目のお子様の御誕生に、不吉なものです。何事もなければいいのですが……」
呟くデフネへと、三体の精霊獣が駆けて来る。
デフネは地を蹴って精霊獣へと接近し、一番近い一体を槍で薙いで弾き飛ばし、二体目へと跳びかかりながら穂先で貫く。
デフネの身体が浮いたのを幸いと、三体目は彼の下を掻い潜り、足へ喰らいつこうとした。
デフネは足で精霊獣の顔を蹴り飛ばし、そのまま一回転して着地する。
「……といえるのは、ひとまずこの騒動が片付いてからですね」




