一話 とある火の国の凶兆①
俺はまたペテロの誘いで、ラルク邸の地下二階、ラルクの祖父が作った秘密の会談室に座っていた。
ペテロは俺の対面に座り、机の上に肘を置ていた。心なし浮かれた様子で肩を揺らしている。
ペテロの横にはミュンヒが座っていた。
ペテロはディンラート王国を影から牛耳る禁魔術師のはずなのだが、こうして顔を合わせるのも最早すっかりと慣れてしまった。
「アベルちゃん、先日のリーヴァラス教国の件では世話になったわね、お手柄だったわ。リーヴァイを騙っていたメドの暴走には、マハラウン王国のトップも煩わしく見ていたみたいなのよ。ンフフ、実はつい先日、ワタシの部下を向こうの従者と接触させていたのだけれど、向こうの主もとても驚いていたそうよ」
「はぁ……そうですか……」
俺としては、正直あまり関心のない話だ。
その顔合わせの結果として何か進展があったのならば、とっととそっちの話をしてほしい。
「リーヴァラス教国……? 名前、変わったんですか? 今までは単にリーヴァラス国って……」
メアが首を傾げる。
俺が答えようとすると、ペテロがずいと身を乗り出した。
「今までも偽リーヴァイとサーテリア教皇が国主を自称していたのだけれど、正式には統一が済んでいなかったのよ。リーヴァイ教アーヴェル派の成立に伴って、ようやく全土に纏まっていく動きができたから、ウチのディンラート王家も正式にサーテリア教皇が国主であることを認めてあげることにしたのよ」
「う~ん……よくわからないけど、何となくわかりました!」
やはり、いつになくペテロの機嫌がいい。
明らかに全く理解していないメアの空返事に対しても、全く機嫌を損ねることなく、口許を上機嫌な形に保って微笑んでいる。
「で……話は、短めにお願いしますよ。また何か、俺に頼み事があるから、わざわざラルクさんからこの地下の部屋を借りたんですよね?」
「別に、そういうわけじゃないのよ。ただ、状況に変化があったから、教えておいてあげないといけないと思ったの。知りたいでしょう? ほら、さっきワタシが話した、マハラウン王国の某大物の従者のことなのだけれど……」
ペテロの話し方が絶妙に癇に障る。
さっきから名前を伏せつつも、自分がマハラウン王国の大物と関わりがあり、なおかつ相手の鼻を明かせたことをちょいちょい匂わせつつスローペースで話しているところが苛立つ。
俺は散々リーヴァラス国問題で遅れた錬金術師団の団長としての教育やら設計やら、領地問題の改善やらの仕事が山積みになっている。
それを必死に寝ずに熟していたのに、ペテロがさも重要な話があるようなことを言うから、時間を割いて話を聞くことにしたのだ。
要点だけ絞って話してほしい。
なんなら紙に書いて渡してほしい。
そうしてくれさえすれば、俺はオーテムでも彫りながらそれを読ませてもらうことにする。
「ペテロさん……暇なんですか? 最近、ずっとファージ領いますよね? もっと国中飛び回らないといけない、みたいなこと以前に話していませんでした?」
「いいの、いいの。そもそも絶対にワタシが出張る必要のある場は、クゥドル神の復活と偽リーヴァイの討伐で概ね片付いちゃったもの。残りの仕事はぜーんぶ部下に投げてあるから、しばらくは定期報告を受けて指示出しだけしておいて、ワタシはラルクちゃんの男爵領でアベルちゃんの接待という、最重要責務を存分に果たさせてもらうこととするわ」
「ええ……」
まさかこの人、この先ずっとファージ領に居座り続けては、何か起こる度に俺を呼び出し続けるつもりか。
「……俺も忙しいんですよ、本当に。人材教育に領地改革……それに、木偶竜の製造、魔力波塔の建設、リーヴァイの槍の解析が、どれも結構大詰めなんです」
「そ、そう、悪かったわね。なるべく呼び出すのは控えるようにするわ」
「後……月祭の日が近づいているじゃないですか? アルタミアさんが月の影響を知りたいから魔力場の測定に付き合えって煩いんですよ。その下準備が結構な手間なんです。ラルクさんも、月祭にかこつけて、領地を活性化させられる行事ができないかって騒いでて、色々口出ししてたら、いつの間にか行事企画の副会長に組み込まれてて……」
「あのね、それはアナタもしっかり断りなさい」
ペテロの仮面の下の口許が真顔に戻った。
「とにかく、短くお願いします! ペテロさんも国の危機だと言いたいんでしょうけど、俺だって錬金術師団の仕事と月祭の行事企画には命懸けで取り組んでるんです!」
「……アナタ、なんやかんやで結構流されやすいタイプよね」
ペテロが呆れた様に溜息を吐く。
「まぁ、いいわ。アベルちゃんに下手に隠し立てして、第三者面された方が厄介ね。これは本当に内緒なのだけれど、実はワタシ……マハラウン王国最強と噂される魔術師、五大老のリムドと内通しちゃってるのよ」
「リ、リムドって……」
さすがに驚いた。
マハラウン王国は、王とその相談役である四人を、五大老と呼んでいる。
リムドはマハラウン王国最強の魔術師にして、王に次ぐ影響力を持つ男だ。
俺はあまり詳しくはないのだが、穏健派ではあるが、やや黒い噂の絶えない人物でもあると聞く。
「まぁ、完全な協力関係じゃなくて、裏で結託してお互いの国に有利に進めていこうっていう程度の仲なのだけれどね。以前、ちょっと騙して出し抜いたときには、危うく手紙に仕込んでいた魔法陣で呪殺されるところだったわ。脅しだけだったからよかったのだけれど……本気でやられていたら、アレで死んでいたわね」
何やってるんだこの人……。
「……そんな便利なパイプがあったなんて、今まで聞いてませんよ。確か、ジュレム伯爵は、四大国にディンラート王国を攻撃させるって、ペテロさんに宣言したんですよね? それについて、リムド五大老はどう言っているんですか?」
「そうそう、そのお話をしたかったのよぉ! アベルちゃんも、ようやくワタシの話を聞く姿勢になってきたみたいねぇ!」
ペテロが嬉しそうに言う。
駄目だ、つい気になってこっちから訊いてしまった。
俺は首を振って雑念を振り払い、顔を力ませ、表情を硬くするよう意識した。
この手の話は聞いていればキリがない。
俺としてはあくまでも、最低限の方針だけ聞かせてもらえれば、それでいいのだ。
「あ、あの、本当に俺っ! 忙しいので……!」
「マハラウン王国との関係を正確にアベルちゃんに把握してもらうためには、先に知っておいてもらわないといけないことが沢山あるのだけれど……そうね、まずはアレを見てもらいましょう」
ペテロがミュンヒを視線で急かす。
ミュンヒが何かの紙束を机の上へと置いた。
捲れたページからは、顔の似顔絵の様なものが描いてあった。
手配書の類だろうか?
「最小限で! 最小限でお願いします!」
「……実はこれ、ワタシがリムドと情報交換して作り上げた、全世界の重要人物と、ここ百年以内に存命していたことが明らかな高位精霊を脅威度順に百枚並べたものなのだけれど……見たくない?」
俺は身を乗り出す。
「そ、それはつまり……!」
これはつまり、男の憧れ強さランキングという奴である。
俺も前世では、好きだった人気漫画キャラの強さランキングには心を躍らせたものだ。
この世界のトップを争う権威者同士が手を組み、必死に作り上げたものである。
興味が湧かないはずがない。
俺は身を乗り出し、脅威度リストへと手を伸ばす。
ペテロが書類を掴み、さっと高くに持ち上げた。
「ああっ!」
「……これ、勿論超極秘書類だから、リムドとの約束で、第三者には絶対に見せちゃダメってことになってるのよ。だから、もうちょっと協力的になってくれるわよね、アベルちゃん?」
ペテロが口端をにんまりと吊り上げて笑う。
「うぐ、ぐぐ……でも、俺には、時間が、時間が……! そもそもリーヴァイの槍や木偶竜の製造は、ジュレム伯爵に対抗するためのもので……!」
「……とりあえず、未練があるのはわかったけれど、行事企画の副会長を辞任しましょうか」




