五十一話 再・水を司る神リーヴァイ⑤
バラバラになったリーヴァイの身体が、焼け焦げながら宙を舞う。
リーヴァイ教徒達は、危うく教神に殺されるところだったというのに、目から涙を流し、呆然とした顔つきで消えゆくリーヴァイを見守っていた。
「しぶとい上に胸糞悪い奴だったけれど、流石にこれで終わったわね……」
ペテロが疲れ果てた様に言う。
俺はその言葉に対し、無言で小さく頷いた。
『まだだ……まだ、終わらせぬ……』
聖都中に、リーヴァイの声が響き渡った。
俺もさすがに驚いた。
聖都の中央にボロボロに崩れたリーヴァイの頭部と、サーテリアを握り締める腕が浮かんでいた。
顔の三つの目が、福笑いの様に、顔の体表を這って位置を変える。
不気味な嗚咽と共に開いた口の中には、四つ目の巨大な目玉が覗いていた。
「……あ、あれ、なんですか、ペテロさん?」
あまりに衝撃的な光景に、俺も杖を握りしめて、呆然とすることしかできなかった。
ペテロも口を開けたまま、呆然とリーヴァイの頭を眺めている。
何もわからないのだろう。そりゃあそうだ、俺だって、こんなことを聞かれても困る。
教徒達も、同じ顔を浮かべてリーヴァイを見上げていた。
宙に舞ったリーヴァイの生首へと、サーテリアを掴む腕が、くっ付いた。
そうとしか形容ができない。悪い夢でも見ているかのような、そんな気分の悪さがあった。
続けてリーヴァイの髭と髪が伸び、それがくるまって棒状のものを形成し、一本の、長い腕の様なものができあがった。
長く、肘で大きく曲げられているためか、妙に生々しい。
思い返せば、おかしい事だらけだった。
何故、リーヴァイの半身である龍脈を、リーヴァイ自身が扱うことができないのか。
にも拘らず、何故、たかだかリーヴァイに仕えていた巫女の血を引く者が、龍脈を制御することができたのか。
そもそも、神話時代にとうに滅んだリーヴァイが、今更復活できた理由についても、ここまでほとんど話題に上がることがなかった。
俺も詳しく調べる機会はなかったので、まぁそういうものなんだろうで流してしまっていた。
しかし、思い返してみれば、ここまで揃っているのは、さすがにおかしい。
悪魔が神を騙るなど、この世界ではありふれたことだったのに、なぜ神格の威厳のないリーヴァイが本物であると、俺はそう思い込み、疑うことさえしなかったのだろうか。
『ここまで来れば、正体を伏せる意味もあるまい……。余はメド、四大創造神最強と称された空神に仕える八十八天使を束ねる、四大天使の最後の生き残りにして、空神が姿を消してから一万年、数多もの宗教と国を滅ぼし、『この世界に巣食うモノ』と恐れられ続けた最高位悪魔、偽なる神メドなり……!』
顔面に四つの目が出鱈目に並び、八本の腕が、ぐねぐねと揺れる。
抽象画の意図して不気味に描写された、太陽の様な姿へと変わった。
『まだ正体を露呈させるわけにはいかんので魔法を使うのを控えておったが、こうなっては、もう容赦せぬ。数々の国を葬った余の魔法を、リーヴァイの龍脈の出力を用いて放ってくれる。ここからが、本当の戦いだ……』
俺はあまりのショックに、開いた口が閉まらなかった。
だが、教徒達の衝撃は、俺の比ではないだろう。
「お、お前、本物でさえないのかよ……」
言動が名に伴わず、力も借り物。
それでも本物だと思われていたからこそ、リーヴァラス国の希望であり、サーテリアも縋りついていたのだ。
それが、それさえも、根底から崩れ去った。
そもそも新・リーヴァイ派が、何一つ正当性のないただのテロリストだったことになる。
『ハッ、この女も、貴様ら国の衆も、愚かなものよ! この余に聖地を明け渡したばかりか、龍脈の魔力まで身を削って献上するとはな! だが、しかし、所詮は四大創造神最弱か! こんなガキの魔術さえも満足に無力化できんとはな! 動きづらくて敵わぬわ、アベル、貴様に、真の絶望を教えてやろう!』
輝く糸がリーヴァイの頭部に結び付き、覆い隠し、巨大な繭を作っていく。
その繭がさらに肥大化し、触手が伸び、髪の長い人間の上体が伸びる。
伸びる触手の一つには、サーテリアが雁字搦めにされていた。
人間は通常の顔はなく、メドの様に、頭から身体にかけて、出鱈目に四つの目と鼻が配置されている。
『どうだ、驚いたか? ハハハハハ、見よ、大邪神クゥドルなり! この余が、龍脈を用いれば、大邪神クゥドルの力を再現することすらも可能なのだ! 少々魔力量は足りぬが、サーテリアが干からび、龍脈が搾りカスになるまで戦ってやる!』
メドが両腕を広げる。
それに合わせ、メドの周囲に、巨大な輝く蜘蛛の巣の様なものが、いくつも広がる。
やはり、不自然な切断攻撃や、サーテリアの傀儡化、繭を用いた身体の変異など、魔力の糸を用いた魔法が、本領だったのだ。
蜘蛛の巣は恐らく、近づいたものを絡めとる結界の類だろう。
俺はリーヴァイ教徒達へと目をやる。
皆、魂の抜けた顔で、床にへたり込んでいた。
無理もない。この国は、メドが槍を手にしてリーヴァイを装ったその時に、終わっていたようなものなのだ。
「お前……マジで、いい加減にしろよ。どれだけ、人を弄んだら……」
『さぁ、もう、泣いて詫びようとも遅いぞ! アベル、貴様は余の、全てを台無しにしたのだ! この世界最強の暴力の前に、朽ち果てるがよい! 最期に、我が名を神話へと深く、深く刻み込んでくれる! 永遠に消えぬ恐怖を以てな!』
「……সমন」
俺はメツトリの背で、静かに杖を振った。
俺の胸部の召喚紋が輝き、俺とメドの中間に、巨大な魔法陣が浮かび上がる。
『召喚魔術だと、笑止! 愚かにもほどがある! リーヴァイの龍脈と、クゥドルの姿さえも操るこの余に対して、いったいどんな悪魔で対抗しようというのだ? 悪足掻きとは滑稽なものだな、アベ……』
魔法陣を中心に、今のメドとよく似た姿の人工精霊、クゥドルが現れた。
ただ輪郭が似ていようとも、迫力が、まるで違う。
クゥドルから漏れ出す邪気が、辺りの空気を一変させる。
クゥドルが降り立った瞬間から、空の色が赤黒く変わり始め、遠くに雷鳴が響いた。
『我が魔力は貴重な物……故に、不用意に呼び出すなと言っておいたはずだが、どういうつもりか?』
クゥドルの下部にある巨大な単眼が、俺を睨んだ。
「……すいません、少しムキになってしまいました。この分の魔力くらいは、必ずどこかで働いて返しますよ」
『フン、まぁ、よかろう。ジュレムと接触のあった悪魔ならば、無駄足でもない。それに、面白い仮装をしておるではないか。そのふざけた真似は、何のつもりだ?』
クゥドルの単眼が、メドへと向き直る。
『バ、バカな、クゥドルが、もう目覚めていたのか!? そ、そんなはずは……ジュレムからも、そんな話は……! い、いや、クゥドルなわけがない、偽物め、その様なハッタリ、この余には通用せぬぞ! そもそも、あの暴虐の化身クゥドルが、ヨハナン以外に召喚紋を渡すはずがないのだ!』
クゥドルが巨体を引き摺り、前進する。
水路の中央の瓦礫の山の上に立つメドへと、どんどん迫っていく。
『く、くだらんハッタリだ! 失せよ!』
メドが両腕を掲げる。
龍脈の術式が浮かぶ水弾が、無数に宙に浮かび、クゥドル目掛けて飛来する。
クゥドルは前側へと触手を伸ばし、絡ませ、盾とする。
触手が次々に水弾を弾いていく。
『どうした? リーヴァイの魔弾は、多少マシであったぞ。そのごっこ遊びが、貴様の限界か?』
クゥドルが、前進する速度を僅かに上げる。
『バ、バカめ、不用意に近づきおって! もらった!』
メドの周囲に浮かんでいた、巨大な蜘蛛の巣が次々に消失した、かと思えば、次の瞬間、クゥドルの身体を、何重もの蜘蛛の巣が貼りつき、地面に押さえ付けていた。
『や、やった! フフフ、ハハハハハ! これが余の、結界魔法……』
巨大な打撃音と共に、クゥドルを縛り付けていた糸が引き千切れ、地面に巨大な窪みができる。
跳び上がったクゥドルは即座にメドに接近し、頭部を触手で締めあげて持ち上げ、地面へと叩き落した。
再び持ち上げ、宙で縛り上げる。触手が、メドの人型部分を引き千切った。
『アア、アアアアアアアァァァァッ!』
人型が断末魔の叫びをあげ、触手が拘束していたサーテリアの身体を放り投げ、彼女の身体が水路へと落ちる。
メドが下腹部の部分を柔軟に凹ませ、触手を擦り抜け、逃げ出そうとした。
『ふ、ふざけるな、こんな化け物と戦えるか!』
容赦なくメドの下腹部を、上から触手が叩き潰す。
メドの肉塊が、伸びた触手を痙攣させる。
『おい貴様、本当の名を言ってみよ。そうすれば見逃してやろう。まさかこの期に及び、我の名を騙るつもりではあるまい』
『メ、メド、メドォッ!』
メドが苦し気に触手で地面を叩く。
肉塊が裂け、縮み、元の四つ目の、不気味な太陽の絵の様な姿へと戻る。
『いいや、違う』
『ハ、ハァ!?』
『貴様は、フォーグだ。ただのフォーグだ』
しばらく、メドが理解に苦しむ様に固まっていた。
だが、何かを察した様に、目玉を動かす。
無数の光の糸がメドを締め付けて圧迫し、縮小させていく。
そして四つ目の、真っ青なフォーグへと姿を変えた。
『うむ、それでいい』
何がいいのかは知らないが、クゥドルは満足した様に頷く。
フォーグが跳ねて、クゥドルから逃げていく。クゥドルがその背に、容赦なく触手の一撃をお見舞いした。
フォーグの肉が、辺りに飛び散った。
『下衆が』
クゥドルが腕を組み、勝ち誇った様に零す。
「じょ、情報……聞き出すんじゃ……」
俺が零すと、クゥドルはフォーグの断片へと目を落とす。
既に精霊体を保てなくなり、分散が始まっている。
『……次会うまでに、治しておけ』
「む、無理です! それは無理です! だってもうこれ、完全に自我が……!」
クゥドルは俺に一方的に難題を押し付けると、足場に魔法陣を浮かばせ、姿を消した。