四十四話 教皇サーテリア⑨
リーヴァラス国の教神リーヴァイ、教皇サーテリア、そしてペテロと俺の四人による会談が始まった。
俺は正直、何も責任を負いたくはなかったし、有益な話を出せるとも思わなかったので、メアと一緒に下がっていようとしたのだが、サーテリアにがっしりと手首を掴まれ、その場に引き留められた。
「私はぜひ、アベル様とお話がしたいと思っておりましたので……!」
俺、何も決定権ないんだけどな……。
恐らく、頑固なペテロを直接懐柔するのは不可能と考え、俺を緩衝材にしたいのだろう。
ペテロもサーテリアを面倒臭そうに睨んでいた。
「白けた場所ね、椅子と机もないじゃないの。ここの段差にでも座ればいいのかしら、え? なんだかワタシ、喉も渇いたんだけど?」
ペテロがわざとらしく辺りを見回し、交信のための水晶の台座へと続く段差を見下ろす。
「も、申し訳ございません、この間は元々、リーヴァイ様へ祈りを捧げるための場でして……その、座ったり、何かを飲んだりする場では、本来ないのです。リーヴァイ様も立ったままですので、どうか今のままで……」
「アナタ、バカなの? ワタシ達が、アナタ達の独裁と、これまでの破壊工作を見逃してあげるかどうかっていう話を、今からしたいのでしょう? クゥドル神の教えでは、四大創造神による直接の統治なんて認めちゃいないのよ? だから、滅ぼしたの。アナタが国が大変だから見逃してくださいって言うから、話くらいは聞いてあげようって譲歩してあげたんじゃない」
「は、はい……」
「そこに重ねて、そこのバカ神を尊重して礼を尽くすために、立ったままでいろっていうの? おかしいわよね? ああ、ひょっとして、そうやってあれやこれやと理由を付けてこっちに我慢を強いて、ワタシ達が下手に出る空気を先に作ろうとしているのかしら? 嫌だわ、さっすが、対抗派閥を尽く策謀で潰してのし上がった、リーヴァイ教の教皇様は違うわねぇ!」
ペテロが指で、崩れた壁からこちらを覗くリーヴァイを示す。
明らかにペテロは会談を潰しに掛かっていた。
やはりサーテリアの話を聞く気は毛頭なかったらしい。
最近低姿勢なペテロばかり見ていたから、この人も結構危険人物だということを忘れていた。
「え、えっ、えっと、し、しかし……」
サーテリアが戸惑いながら、ちらりとリーヴァイを見る。
俺もリーヴァイの表情をこっそりと窺ったが、青い顔を赤く染め、怒りのためかわずかに震えていた。
「ワタシはいいんだけど、アベルちゃんが黙ってないわよ? 見たでしょう、ここまでの長階段で、どれだけアベルちゃんの脚が疲弊していたか」
「は、はい……申し訳ございません。それは本当に、私の配慮不足が……」
「あのね、ワタシ怒らせても怖くないかもしれないけれど、アベルちゃんが怒ったら、そこの顔がデカいだけの悪魔の親戚みたいな奴なんて、この宮殿ごと吹っ飛ぶと思いなさい」
サーテリアもリーヴァイを悪魔呼ばわりはさすがに堪えたらしく、顔を青くし、唇をプルプルと震わせていた。
ここまでずっと絶やさなかった笑顔も、凍り付いて無表情になっている。
どうしよう、滅茶苦茶居づらい。
普段怒らない人が怒ったときの空気が、俺は苦手なのだ。
もうペテロだけこの場に残して帰りたい。
「ペ、ペテロさん、話! 話くらいは聞いてあげるって、言ってたじゃないですか! ね? 俺はほら、全然大丈夫なんで!」
俺の言葉を聞き、サーテリアが安堵した様に笑みを浮かべる。
「……ありがとうございます。本当に、アベル様が来てくださってよかったです。あ、すいません‥‥‥少し、安心したら、その、涙が」
サーテリアが袖で目を拭う。
見ていて居た堪れなくなってきた。
「ペ、ペテロさん、そんな虐めなくても……。そもそも貴方、クゥドルを散々道具呼ばわりしていたじゃないですか。腐っても国教の神なんですから、向こうの立場だと、足蹴にする様な真似はできませんよ」
俺は小声でペテロへと耳打ちする。
「……ワタシだって鬼じゃないけれど、この会談、本当に意味ないわよ」
ペテロがげんなりした様に俺へと返す。
サーテリアは前置きを述べた後に、現状のリーヴァラス国と、今後のリーヴァラス国について、俺とペテロへ力説する。
最初に話していたことと内容は大差ない。
現在のリーヴァラス国は対抗派閥による内乱が勃発しており、現状では国として真っ当に機能できていない。
そのため、これ以上ディンラート王国へと干渉する余力がなく、今後は敵対的な干渉は行わない。
難しいかもしれないが、今後はこちらは国交を望んでおり、これまでの被害に対する賠償は何らかの形で行わせてもらう、といったものだ。
また、これまではリーヴァイと過激な思想を持つ他の大神官が政治を仕切っていたが、今後は自分も発言力が握れるようリーヴァイとの交渉を進めており、同時にリーヴァイの息が掛かっていない部下を集め始めている、という話だった。
話の最中、リーヴァイは険しい顔を浮かべてはいたものの、サーテリアの話に対して、横槍を入れるようなことはしなかった。
龍脈を握られているのが、相当堪えているらしい。
この場に出た時点で、サーテリアがこれらの事を話すのは織り込み済みだったのだろう。
不気味なことに、ペテロは露骨に退屈そうな素振りを見せてこそいたものの、途中で茶々を入れるような真似はしなかった。
「……それに、リーヴァラス国と国交を結んでいただけた際には、ディンラート王国にとっても有益な情報を共有できると考えております。ペテロ様も、知りたがっていたのではないかと」
サーテリアが、ペテロへと目を向けて言う。
リーヴァイの表情が、僅かに強張った。
『おいサーテリア、その話は……』
サーテリアは、聞こえていない振りをして続ける。
「怪人ジュレム伯爵の話……と言って、伝わるでしょうか? 元々リーヴァイ様は、喪失していたリーヴァイ様の力の一部である神器、槍をジュレムより受け取ることで、再びこの世界に復活を遂げることができたのです」
ジュレムの名前を聞いて、これまで露骨に興味がなさそうな素振りをしていたペテロの目が、サーテリアを向いた。
すぐに興味なさげに横を向いたが、動揺しているのは明らかであった。
「ジュレムはクゥドル神が月祭の日までに目覚めるだろうと予知していたらしく、クゥドル神への対応策の一つして、リーヴァイ様を復活させたのです」
月祭というのは、月が最も大地へ近づく日の事である。
月は五百年に一度だけ人間の住まうこの大地に急接近し、それからまた一定の距離を開くとされている。
月の魔力によって魔獣が活性化したり、悪魔が急増する、という伝承は残っているが、特にそういった記録があるわけではない。
確かに月祭の日は近いが、だからといってどこかの国が対策を始めている、といった話も聞かない。
俺もアルタミアとの話のネタ用に魔力場を計っておこう、くらいにしか考えていない。
というよりこの口振り……やっぱり、サーテリアもリーヴァイも、クゥドルがとっくに封印から解けてファージ領を中心にウロウロしていることを知らなかったらしい。
「……もっとも今は、リーヴァイ様がジュレムを出し抜こうと考え、無断でディンラート王国をコントロールする布石を置こうとして以来、連絡を取る機会がないままでいるそうですが……」
俺は思わず、リーヴァイへと目を向けた。
何やってるんだ、あの三つ目爺。
散々ディンラート王国に嫌がらせしてクゥドルからヘイト買っただけかと思いきや、クゥドルと敵対関係にあるジュレムを出し抜こうとうして、あっさりバレて捨てられてるじゃないか。
リーヴァイは思慮深げに苦悶の表情を浮かべているが、これまでにリーヴァイのやったことは、凄く的確かつ着実とリーヴァラス国を追い詰めていただけだという自覚はあるのだろうか。
ここまで来ると、水の神より、逆張りの神と称した方がよさそうに思えて来る。
ペテロも無関心を装うのも忘れ、呆然と口を開けている。
話を理解しようと頭を捻っていたメアまでもが、リーヴァイを困惑顔で見上げていた。
「……と、ともかくジュレムについては、ペテロ様よりも、リーヴァイ様の方がお詳しいはずです。この情報共有も、どうか我が国と国交を結ぶに当たっての、利点として考えてもらえればと」
サーテリアが少し話し続けるのに疲れた様にフーと息を吐き、これまでの話の意見を求める様に、俺へと微笑みかけて来る。
「え、えっと、いいんじゃ、ないですかね……」
俺がぎこちなく言うと、サーテリアの表情が輝き、ペテロが怒りの形相を浮かべる。
……俺としては別に、リーヴァラス国が余計な事をしてこないのならば、無用に攻撃する理由もないと思うのだが、やはりペテロはそうではないらしい。
ジュレムの情報も、ペテロにとっては喉から手が出るほど欲しいはずなのだが……。
「言いたいことは、だいたい終わったみたいね。じゃあはっきり言わせてもらうけど、アナタの話、ディンラート王国にとっては無益な上に夢物語だから、さっぱり諦めてもらっていいかしら?」
場に緊張感が走る。
ざっくりと斬り込んでいった。
リーヴァイかペテロがフライングして動き出す可能性もある以上、いつ戦闘が始まってもおかしくない。
俺も防ぐ準備くらいはしておいた方がよさそうだ。
「まず、リーヴァイが暴走しないって保証が、どこにあるのかしら? ついさっきも会談前に、とっとと代わりを見つけてお前など弾き出してやると、言っていた様に思うけれど? そもそも、龍脈がそこまで本当に大事なのかも、ワタシからしてみれば怪しいものなのよ。保証は何一つできないけれど、上手くまとめて見せるから信じて下がってくださいって、ガキの言い訳じゃないのよ」
「実はそのことで、考えていたことがあるのです!」
サーテリアが声を張り上げた。
どうやら俺に意見を振ったときから、ペテロがこう切り出していたのを待ち構えていたらしい。
「実はアベル様にリーヴァイ教の教皇の席をお譲りし、私は大神官としての補佐に徹しようと考えております!」
えっ……。
「どうか、お受けしてはいただけないでしょうか、アベル様! これ以外に、リーヴァラス国の民を救う手立てはないのです! 厚顔無恥は承知でお願い致します、どうか、ファージ領を我が国の魔の手から守っていただいた様に、この国を救ってはいただけませんか?」
なんでこの人が、ペテロを放置して、ひたすら俺に気遣ってきていたかは、わかった。
最初からこれを考えていたらしい。
それはわかったが、この人、やっぱり俺を勘違いしているとしか思えない。
情報がどこかで曲がって伝わったのだ。
ペテロとリーヴァイが、ほとんど同じ表情でサーテリアを睨んでいた。




