四十二話 教皇サーテリア⑦
俺は半ば流されるままにサーテリアについて歩き、宮殿の内部の階段を歩いていた。
ペテロが鬼の形相で、メアが不安げな表情で後を付いて来る。
「……一方的に、リーヴァラス国から干渉する形となってしまい、申し訳ございません。我が国は現状、不安定な状況にありまして。強引な宗派統一もあるのですが、もう一つ難点を抱えておりまして。それこそが、リーヴァイ様がディンラート王国への干渉を目論んだ最大の理由でもあります」
サーテリアは一方的に話ながらも、俺の反応が芳しくないと、足を遅め、俺の顔をちらちらと確認する。
「はあ……」
俺はちょうどいい言葉が浮かばず、頼りない相槌を返す。
サーテリアは満足した様に目を細め、嬉しそうに笑う。
どんどん俺の不安が募っていく。
なぜ、どうしてこうなったのか。
俺の対応が、何かまずかったのだろうか。
俺は念のため、世界樹オーテムをサーテリアの許可を得てから動かし、俺のすぐ横を進ませている。
万が一の場合に備えるためである。
サーテリアの様子が怪しいこともそうだが、彼女自身、何らかの魔術結界に既に守られている気配があった。
自動対応できるオーテムを置いておかねば、急に彼女が襲い掛かってきたときに対応できない。
……因みにオーテムを動かすことについては、サーテリアの許可を取っている。
彼女は不気味な程難色を示さなかったし、俺のオーテムについても詮索することはなかった。
「今件について、公の場で謝罪させていただける機会をいただければと、考えております。ですので先に貴国の王家と連絡を交わし、我が国のしでかしたことの落としどころを先に詰めることができれば、と。私としましては、その……今後はどうか、建設的な関係を、と……」
「あ、あの! 俺に言われても、困るんですけど……そういう話はその、後ろのあの、ペテロさんに……」
よし、よく言った俺、勇気を出した。
流されて俺がずっと話を聞いていたが、ここは俺が出る場ではないのだ。
サーテリアも、何か勘違いしているに違いない。
俺は一魔術師であり、そんな国が云々みたいな話を垂れ流されても困る。
そもそも俺は、こういった事態のために、ペテロを外務担当として連れて来たのだ。
これでようやく逃げられる。
背後からメアと並び、ペテロの顔が青くなったり赤くなったりするのを眺めておこう。
「あ! いえ、いえいえ……! 別に、そういうふうに受け取っていただかなくとも、大丈夫です! 言質をとってやろうなどということは考えておりません! ただ、私はリーヴァラス国の現状と、今後の意向について、アベル様達に先に話しておきたかったのです! 決して我々は争うことなく、言葉によっての解決を図れる関係であるはずだということを、誤解ない形でお伝えしたく……」
何故か駄目だった。
いや、本当に何故だ。
メアが何も言えずにいるのはわかる。
しかし、ペテロも頭を打ったチンパンジーみたいな顔芸とジェスチャーを繰り返すばかりで、一切何も助け舟をだしてくれないのは何故だ。
「あの、何故俺なのですか……? 本当に俺、戦力としてきただけなので……こういうの、本当に困るんですけど」
サーテリアが沈黙し、足を止め、俺の顔をじっと見つめる。
気恥ずかしい。なんだ、この間は。
別に妙な気はないが、サーテリアがかなり美人なため、どうしてもどぎまぎしてしまう。
「えっと……」
「そう……ですね。主題を後に回すのは、誠実ではありませんでしたね。まずはそちらからお話させていただきます。失礼ながら、ネログリフがディンラート王国によって拘束されたと聞いたとき、私はリーヴァイ様の思惑とは別に、ファージ領に対して密偵を送らせていただきました。私がここから出られないのをいいことに、リーヴァイ様は、私が知ることのできる情報に、多くの制限を課しておりましたので……」
……ファージ領に、サーテリアのスパイが入り込んでいたのか。
ファージ領はリーヴァイ教関連の工作による封鎖の反動で人の行き来が急増しており、ラルクも他領地との関係回復に少しでも繋がればと、領地の出入りに制限を課したり厳しく調査する様な真似はしなかった。
入り込まれていても不思議ではない。
「それがなぜ俺に……」
「……その調査により、我が国の工作により困窮していたファージ領に対し、まったくの無償で膨大な援助を行った旅の魔術師がいた、ということを知りました」
「うん……?」
「更にその魔術師は、世界の魔術水準を数百年は縮めると断言できるほどに、高度な錬金術の行使、及び再現性の確保に成功! そしてその研究成果の権利を、惜しむことなく領主に預けた! ばかりか、現地の魔術師に大して親身に魔術教育を施すことで、今後ファージ領が完全に自立して動けるであろう体制を整えた! これらの全てを、信じられないほど短期の間に!」
サーテリアの言葉に段々と熱が込められていく。
興奮したのか顔を赤らめている。杖を握る拳にも、どんどんと力が込められていくのが見てわかる。
「名を聞けばその御方、ファージ領に根を張っていた二人の大神官、ネログリフ、マリアスを圧倒的に不利な状況から打ち破り、命は取らずに拘束した、マーレン族の魔術師と同じ御方ではありませんか!」
「ちょ、ちょっとあの、過剰に伝わっている気がすると言いますか……」
「ファージ領にはそんな、魔術の腕ばかりか、人格までも伝承の英雄顔負けに優れている人物がいらっしゃると聞き……ぜひ一度お会いしたいと考えておりまして! そんな折、アベル様の動向に変化があったとお聞きしまして、これは近い内に顔を合わせられる機会があるかもしれないと……!」
サーテリアが感極まったのか、目に涙を湛え、俺に腕を伸ばしてくる。
「ア、アベル! ペテロさんが、その、内緒のお話があるそうです!」
俺が混乱していると、メアが俺の背へと声を掛けて来た。
サーテリアがはっとした様に、崩れた表情を戻し、俺に伸ばしていた手で自らの涙を拭う。
「も、申し訳ございません、私としたことが……」
俺はサーテリアから間合いを取る理由ができたことい安堵しつつ、急ぎ足で背後へと下がる。
「ペ、ペテロさん、あの……」
ペテロは無表情で、手に握る大杖を横に振るった。
「শিখা পাখি হাত」
三つの魔法陣が展開される。
魔法陣上に炎が上がり、赤黒い鳥が形成される。
翼を広げて飛び上がり、俺を大回りで避け、三方向からサーテリア目掛けて襲い掛かる。
「ペ、ペテロさんっ!?」
ペテロが床を大杖の尾で突く。
「なに絆されてるのアナタ!? ワタシ達は、リーヴァイを倒しに来たのよっ! とっとと始めなさいと、ワタシ、百回くらい示したわよね! 判断に困ったときは、ワタシに任せるために連れて来たんでしょうがぁ!」
「だ、だって、別に、そういうことしなくてもよさそうだったじゃないですか! いくらなんでも可哀想です! サ、サーテリアさん!」
前方を見ると、サーテリアの周囲に薄く、球状に水の幕が張られていた。
水からは、濃密な魔力を感じる。表面には術式が浮かび上がっており、常に波紋が広がっている。
最初にサーテリアに会ったときから感じていた結界の気配は、恐らくこれだったのだろう。
「あれ、これ、普通に硬いんじゃ……」
術式を眺めていて、思わず呟いてしまった。
どうせ水神関連なら大したものではないという考えがあったのだが、この結界は、俺が見た中でも最上級に入る。
思えば、水神の槍も、本体の水神からは想像もつかないほど高度な代物だった。
時間さえ許すのならば、じっくり観察して考察したいところだ。
サーテリアは水の守りの中で、相変わらずの笑顔を湛えて立っていた。
殺されかけたというのに、脅えや怒りはまったく感じられない。
「……後出しで申し訳ございません。私もこれで、必死なものでして。聖地に眠る龍脈の力、水龍の鎧です。私がこの聖地にいる限り、龍脈は、私に向けられたあらゆる危害を感知し、防いでくれるのですよ」
「うっ……」
ペテロは上擦った声を出し、俺の背後へと回り込んで背を屈める。
サーテリアを隙だらけと判断し、今ので仕留められるかもしれないと希望を持っていたようだ。
ペテロはそのまま俺の肩を掴み、急かす様に指で叩いて来る。
「ア、アベルちゃん、やっておしまい!」
「ペテロ様、貴方の事は、ディンラート王国の政治を陰から操る、過激派の人物であると報告を受けています。ですが私は、最終的には、貴方にも納得していただけるものだと、信じております。どうか矛は納め、私に機会をいただけませんでしょうか? 貴方にとって王国が大切なのはわかります。しかし、私の国にも苦しんでいる民がいるのです」
「はっ! 虫唾が走る論調ね! 散々迷惑をかけておいて、アンタ達側の事情ばかりじゃないの! 下手に出たって同情なんかしちゃあげないわよ。アンタとは、まともにお話ができるとは思えないわね。はっきり言ってあげるけれど、こっちはアンタらの謝罪も、補償も、どうだっていいのよ。盲目の理想論者に付き合ってあげるほど暇じゃないの! はいアベルちゃん! これがワタシの答えです! どうしてワタシが付きそうことになったか、覚えてるわよね?」
ペテロが俺の肩を握る力を強め、早口で捲し立てる。
唾が俺の首に掛かった。
「……ペテロさん、なんでそんなに焦ってるんですか?」
「私の話を聞く利点ならば、ペテロ様にもあるはずです。私ははっきりと言って、ただのお飾りです。自覚しています。ですからこれから、アベル様達には、ある御方に会っていただくつもりです」
俺はペテロの顔を尻目に確認する。
怪訝そうに口を閉ざし、サーテリアを睨んでいる。
「ええ、そうです、リーヴァイ様です。話し合いが気に入らなければ、いつ手にした杖を振り上げてもらっても構いません。武器の没収も致しません。元々、リーヴァイ様の首を獲るのおつもりで来たのでしょう? 私の話を聞くだけで会えるのでしたら、好都合なのではないですか? 無論、そのときには、私も、全力で抵抗させていただきますが……」