三十六話 教皇サーテリア①(side:サーテリア)
水の国、リーヴァラス国の聖都リヴアリン。
その中央部に位置する大宮殿の最上階、神の間にて、青色髪の女、教皇サーテリアが一人で立っていた。
向き合うは神座に置かれた、青い大きな水晶である。
水晶には、水神リーヴァイと交信を行うことのできる力があった。
「リ、リーヴァイ様、やっと交信が通じました! なぜ交信に応じていただけなかったのですか! この国は今、今まで以上の窮地に立たされております! 一刻を争う事態に、何をしておられたのですか……!」
サーテリアが真っ青な顔で、リーヴァイの水晶へと詰め寄る。
今までのマリアスやネログリフの引き起こした騒動は、敵の内部に入り込んで乗っ取るやり口であり、結果として芽が出る前に対処されたため、ディンラート王国側からその後に大きな動きはなかった。
ディンラート王家が、この二つの事件を、リーヴァイ教の無数にある宗派の中の、一部の過激派が勝手に動いた小規模な事件であったと判断したためだろうと、サーテリアは推測していた。
周辺国との関りが皆無であり、内部で何が起きているかさっぱりわからないリーヴァラス国に、余計な干渉を行いたい王族など、いるはずがないのだ。
しかし、今回は今までとは訳が違う。
歩く戦略兵器に等しいペンラートを動かして大規模な破壊工作を行った上で、敵国に拘束されたのだ。
今後もディンラート王国が不干渉を貫くはずがない。
何らかの報復行為に出るはずである。
だというのに、リーヴァイは実質現リーヴァラス国のトップである教皇サーテリアに黙ってペンラートを動かして拘束された上に、今までサーテリアに何の説明も、今後の対策も行わずに放置していたのである。
『……随分と余が知らぬ間に偉くなったようだな、サーテリア。余は忙しいのだ。この余の魔力を分けてやったにも拘らず、何の役にも立たぬかった屑共……マリアス、ネログリフ、ペンラート……奴らに代わる手駒を、用意せねばならぬ』
「……申し訳ございません。ですが、それでも言わせていただきます! このままでは、ディンラート王国からの報復の規模によっては、この国も、リーヴァイ教も、滅亡の危機に陥るのですよ!? この危機を放置して、精霊や人材集めを優先するのですか!?」
サーテリアが声を荒げる。
サーテリアが教皇となるよりも以前から、彼女は『どうか宗派統一よりも、治安の安定化を優先していただくことはできないでしょうか?』とリーヴァイに度々進言していた。
しかし『余も深く心を痛めている。しかし、それよりもまずは宗派統一し、内乱を減らすことが、結果として人民を救うのだ』とリーヴァイは返し、度々後回しにしていた。
サーテリアはその日を夢見ていたが、しかしサーテリアが教皇になった今も、リーヴァイは何かと理由を付け、リーヴァラス国に平和を齎すという当初の目的を後回しにしている。
宗派統一が概ね終わった今の方が、地域によっては反対派との抗争によって元より治安が悪化している有様である。
サーテリアはリーヴァイを、荒れていたリーヴァラス国を立て直すために永き眠りから再び我らの前に降臨してくださったのだと崇拝していたが、最近は疑問を覚え始めていた。
リーヴァイは概ね統一が終わった後には、必要な後処理を全て放置し、ディンラート王国への嫌がらせへと手を付けるようになり、おまけに全て失敗に終わり、ただでさえ不安定なリーヴァラス国を更に窮地へと追い込んでいる。
『黙るがいい、サーテリア! 余が交信に応じたのは、そんなことについて話すためではない。神の声も聞かぬ反逆者であるというのなら、この場で殺してやってもいいのだぞ?』
サーテリアがその場に膝を突き、水晶に向けて額を地に着ける。
「リーヴァイ様! このままではリーヴァラス国は滅んでしまいます! ペンラート殿に代わる魔術師など、このリーヴァラス国にはもうおりません。ペンラート殿、マリアス殿、ネログリフ殿の三人をあっさりと失った時点で、これからどう巻き返そうと、ディンラート王国には敵わないんです! これまでの失敗のせいで警戒されていますから、陰から攻めていくこともできません!」
『何を弱気な事を! これは余の勅命、この水神の引き起こした聖戦である! リーヴァラス国の者は、一人残らずそれに殉ずる覚悟を決めるべき。それをこともあろうか、サーテリア、汝が否定するなど!』
「もう、ディンラート王国に戦争を仕掛けることは不可能なんです! お力及ばず、申し訳ございませんリーヴァイ様! お願いです! どうか、お考えを一度、改めてください! 今必要なのはペンラート殿の代わりになる魔術師ではありません! 自国の治安改善、そして他国との条約の締結を進められる、優秀な学者を政治家として登用することです! ディンラート王国に降伏する他、ないんです!」
サーテリアの言葉に、水晶が青と赤の光を荒々しく放つ。
神の間が魔力の光に照らされた。光は、水神の怒気を孕んでいた。
『ふざけるな! ディンラート王国を制御下に置き、伯爵、そして近い内に蘇るクゥドルへの牽制として用いる! これは最優先事項だ! 仮にこのままクゥドルが目覚めれば、何の手札も持たない余は、あの神話最強の怪物と真っ向から戦うことになるのだぞ! 汝は、余が死んでも敵わぬと申しておるのだな……?』
サーテリアの立つ神の間に、魔法陣が浮かび上がる。
リーヴァイが脅しのために展開したものである。
サーテリアは顔を上げ、悲痛な表情を浮かべる。
だが、すぐに歯を食い縛り、水晶を睨むと、自身の祭服の胸元に手を掛け、胸部を中心に浮かぶ魔法陣を晒す。
魔法陣はリーヴァイの召喚紋を中心にしており、身体全体に広がっている。
「殺せるものなら、殺してみせてください! この聖都の龍脈の魔力を引き出せるのは、私以外にいないのですよね? 四大神官の過半数を欠いた上に、私まで処分できるのですか? 他の大神官の代わりに加えて、龍脈の血族を捜してみますか? 龍脈がなければ、大邪神クゥドルは疎か、例の危険人物、マーレン族のアベルに対抗できるかどうかも危ういという話でしたが」
水晶にリーヴァイの目が映る。
驚愕に見開かれた異形の目が、サーテリアへと、呪い殺してしまいそうな怨恨を乗せた視線を向ける。
龍脈とは、リーヴァラス国の聖都リヴアリンに地下に流れる、膨大な魔力を秘めた水の事である。
神話時代に、クゥドルと戦って敗れたリーヴァイの、魔力の断片だとされている。
龍脈はリーヴァイの半身ともいえるが、しかし現代においては、リーヴァイも龍脈を自身の力だけでは制御することができない。
現状、龍脈より魔力を引き出すことができるのは、神話時代にリーヴァイに仕えていた水神巫女を遠い先祖に持ち、高い魔術素養を持つサーテリアの他にいないのだ。
『汝ィ! この余を、リーヴァイを脅迫しようというのか!? それは死後も冥府にて水魂牢に封じられ、永劫に魂を呪われる大罪ぞ!』
「リーヴァイ様にお考えを改めていただけるのでしたら、私の魂程度、いくらでも捧げさせてみせましょう! どうかリーヴァラス国のために、お力を貸してください! この国は、民は、リーヴァイ様の便利な道具ではありません!」
水晶に浮かぶリーヴァイの目と、サーテリアの目が睨み合う。