三十三話 進撃のペン爺⑤
「しかしこの愚拙、つい先ほどはとんだ失礼を致しました。アルタ女史に、何も知らぬ小娘など……! アルタ女史は、愚拙よりも遥かに広く深き見識をお持ちであられる……」
ペンラートが深々とアルタミアへと頭を垂れる。
アルタミアは「よしなさい」と苦笑しながらペンラートを止める。
「いやはや、世界は広い……。この愚拙、魔術の真理、黄金の錬金術師へ至るには、ただ研究を重ねるしかないと考えておりましたが……もっと世界を見るべきなのでしたな。まさかすぐ近くに、アベル様に続きアルタ女史の様なお方に出会えるとは……!」
ペンラートの手のひら返しが凄まじい。
つい数十分前までの態度が嘘のようだ。
「お恥ずかしながら申しましょう! 愚拙はこれまで思い上がっておりました! 現代において、愚拙は最高位の錬金術師であろうと! 何故この愚拙についてこられる者が弟子の中にいないのかと、歯痒い思いを抱いたこともあります。しかし! アベル様とアルタ女史の魔術はあまりにも奥深きこと! 愚拙がどれほど凡庸であったのか気付かされました!」
「こらこら、アンタ、記憶喪失なんでしょ?」
アルタミアの指摘を受け、ペンラートが目を見開いて口に手を当てる。
「お、おっと、アルタ女史、今のはどうか内聞に……」
「わかってるわよ。アベルのバカが連れて来た時点で、訳ありなのは最初から知ってたもの。私も人のこと言えないから、黙っといてあげるわよ」
アルタミアが唇に指を当て、片目を瞑る。
「ア、アルタ女史……!」
あれ?
こいつら、俺とより打ち解けてないか?
「アンタが現代の最高位錬金術師なのは、まあ間違ってないわ。研究面の知識ではペテロには勝ってるし、妥当なところだと思うわよ。私は現代にカウントするにはちょっと怪しいし、アベルはアベルだから」
「アベル様がアベル様なのはその通りでございますが、アルタ女史はいったい……?」
「とと……口が滑ったわね。その内に話してあげるわ」
よくわからないが、二人とも楽しそうなので良しとしよう。
今ならそっと抜けられそうだ。
先程までは話込み過ぎて抜けるタイミングを見失っていたが、今なら逃げられそうだ。
俺はそっと身を退き、メアの方へと向かおうとする。
メアは下を向いて泣きそうな顔で棒立ちしていたのだが、俺を見て表情を輝かせる。
「アベルッ! そのっ、その、メア、さっき、すっごく変わった料理を教えてもらって! あ、でも、変な味ってわけではないですよ! それでそのっ、今日……!」
俺の左右の肩に、それぞれ一本ずつ手が掛けられた。
俺は一瞬にして背後へと引き戻される。
「アベル様、どこへ向かわれるのですか! トイレでしたらこのペン爺、お供させて頂きますぞ!」
ペ、ペンラート……!
チクショウ、アルタミアと楽しく話しておいたらいいじゃないか!
「ツレないわねアベル、せっかく盛り上がってたのに、どうしたの急に? それにもう、そろそろ休憩終わるわよ?」
アルタミアァッ!
お前もうっ! 絶対最初に割り込んできた目的忘れてるだろ!
誰だこいつを錬金術師団の良心と呼んだのは!
俺がアルタミアに目で合図を送ると、アルタミアが口を曲げ、俺の肩を掴む手を揺らす。
おい止めろ、関節が外れる。
「何? あーわかった! ペン爺、この目はアレよ! 私の理解が浅かったから、もうこれ以上話しても無駄だって目よ!」
アルタミアはペンラートへと振り返って声を高くし、何故か燥ぐようにそう言う。
駄目だ、さっぱり通じていない。
確かに、未だに消化しきれていないペンラートは言わずもがな、アルタミアも三か所くらい誤解しているなという部分があったし、それを指摘していると終わらなくなりそうなので黙ってはいたが、別に俺はそういう顔をした覚えはない。
「こういうとこ! こいつ、たまにこういうとこあるの!」
あるか、そういう部分?
むしろ俺は基本的に訊かれた分は時間が許す限り話す派なので、むしろ長々話していてアルタミアから「頭が痛くなるから今日はもう止めて! ちょっとこっちで纏め直すから!」と止められることの方が多い。
少し考えてみれば、確かにアルタミアの言うことにも心当たりはあるが、あれは俺は悪くない。
アルタミアから訊いて来たのに、欠片も彼女が理解しないので、まるまる二日掛けてほぼ休憩を挟まずに何度も同じことを説明したことがある。
その結果、「つまりこういうことね!」と自信満々に一歩目からすべてが違う謎独自理論をぶちまけられたため、「あ、もういいや」と零したことがあった。
あのことを根に持っているのかもしれない。
「フッフッフ……いや、アベル様とアルタ女史は、仲がいいですな」
ペンラートが微笑ましそうに言う。
「アベル様に相応しい女性はおるまいと思っておりましたが、アルタ女史ならば連れ添う資格がございましょう!」
ペンラートが瞳に嘲弄の色を浮かべ、メアをちらりと見て鼻で笑う。
メアが視線を受け、ショックを肩を上下させ、おどおどと俺やアルタミアに目を向ける。
「他は史上を捜せど、マハラウン王国歴代最強の勇者ヒリア、ディンラート王国の橙の魔女アルタミア、ガルシャード王国の超越者リーティア、ハイエルフの王女ホークラリスくらいしかおるまい……」
ペンラートが考え込む様に言う。
ちょっと何を言っているのかわからない。
さらっとアルタミアが重複カウントされたぞ。
「全生物を含めても、後はせいぜい智天竜ケルビウン、火神マハルボ、邪神クゥドルくらいでしょう!」
人を何だと思っている。
「お、おい、ペン爺、ちょっと本当にいい加減に……」
「は、はぁ? ペン爺ちょっと何言っているの、バカじゃないの! 私はほら、そういうのじゃないからっ! そういう浮ついたのに関心ないし、そういうことできる身体じゃないの。それによりによって、こいつはないでしょこいつは! こいつクズだもん! 初対面で人の家ぶっ飛ばしたのよ!」
アルタミアが顔を赤らめ、俺とペンラートの背をバンバンと叩く。
何だこの人、ペテロと再会したときくらいにはテンションが高いぞ。
「それにほら、アベルにはメアがいるもんね、ね、メア……あれ、メアは?」
アルタミアが、唐突に素に戻った様な声を出す。
「…………え? あ、あれ」
俺も慌ててメアを捜すが、姿が見つからない。
「ちょ、ちょっと捜してくる……」
俺がフラフラと広場を離れようとすると、ペンラートが背後から声を掛けて来る。
「アベル様、もうまた木偶竜ケツァルコアトルの製造が再開しますぞ。今の部分は、アベル様の御指導がなければ、とてもとても進められますまい」
「いや、これはちょっとまずい気が……」
「何故なのですアベル様? あの小娘ならば、時間がないので戻っただけにございましょう。それに、また作業が終わった後に顔を合わせるのでございましょう? 戻ってきた錬金術師団の者共は、アベル様のために来たのですぞ?」
「そ、そう? で、でも……メア……」
「だからこそ、でございますよ。昼の休憩に言葉を交わす機会がなかった程度、大したことにはございますまい。気を遣わねばならんと思っているのでしたら、それがむしろ問題でしょう。愚拙の目には少々異様に映りますぞ。ましてやアベル様は、これより国を守るために忙しくなる身であると聞いております。長く領地不在のときも増えましょう。そのときはどうなさるおつもりで? これでは互いのためになりますまいて、ささ、こちらへ」
「…………」
理屈はわかるが、しかし感情的には納得できない。
……指示にひと段落が付いたら、ペンラートに隠れて、ちょっと様子を見に行こう。